魔女狩り

「こんな夜中に何の騒ぎ?」

「まあ、王子様に大臣様まで――それにあれは、シスター?」

「さっき聞こえたけれど、内通って……」


 寝静まっていたはずの町民たちが、次々に家を出て野次馬を始める。

 集会を開いたときにもこんな風にさっさと集まれば良いのに――。


「砂糖に群がる蟻か? 愚民共め」

「王子」


 小声でぼやくと大臣にたしなめられた。ミッシェルは咳払いをひとつして、衛兵に捕らえられたディアナの眼前に立った。

 後ろ手に縄で縛られ、教会を背に膝をついている。実に画になる光景だ。ずっとこうしたかった。いい気味だ。

 この女のせいでミッシェルの計画は全て台無しにされたのだから! 


 ――シスター宛てに怪しげな書簡があったんです。それに彼女、しきりに奥に何かを隠しているようで……。


 おどおどとタレこみに来た新人配達員の言葉を思い出す。火のないところに煙は立たない。

 実際にこうして――フルールの葬儀の後にエリクを尾行させたら、教会に怪しげな裏口を見つけ、きな臭いシスターの所有物から隣国産のワインが見つかったのだから。


 正直、隣国産のワインなどどこにでも流れてくるものだが――まあ疑いの種になりそうだから利用しない手はない。


 ミッシェルは腰の剣を引き抜き、周囲に聞こえるよう声を張り上げた。


「この悲劇は全て貴様が招いたことだな、ディアナ・ヴァレンタイン! シスタルカ帝国と内通し、戦争を招き、僕と婚約するはずだったフルールをそそのかしてみすみす戦死へ追いやった! その上、今度は法に逆らって兵士を婚姻させるだと? ――どこまで我が国を愚弄するつもりだ!」


 ミッシェルの言葉に民がどよめく。

 この場で最も驚愕を露にしたのは、ディアナの後ろで近衛兵に銃を突きつけられていたエリクだった。

 フルールが王子の求婚を断った話は、騎士団なら誰もが知っている話だった。

 だからこそ、ミッシェルのこの言い方に、エリクは恐ろしい予感を覚えたのだ。


 ――この言い方じゃあ、まるでディアナ一人が疫病神だと言っているようなものだ。


 みじろぐと、背中に突きつけられていた銃口がさらに深くめり込んだ。「やめとけ」耳元で囁く近衛兵の声は諦めの色をはらんでいた。


 果たして、エリクの予感は的中する。


「教会に隠されていたこのシスタルカ製のワインが証拠だ! 賄賂を受け取り王国を売り渡した! どうなんだ、ええ? この忌まわしい魔女め!」


 言い放ち、ミッシェルはディアナの頭からベールを剥ぎ取った。

 夜風に吹きさらしになる真っ赤なディアナの髪。

 それは明け透けな彼女が珍しく人前に晒したがらない、数少ないコンプレックスの内のひとつだった。


「見て、赤毛だわ」


 女性の声が怯えたように呟いた。


「なんて気味の悪い」

「不吉の象徴じゃないか」


 それに同調して続く、民の声。まだ発展途上のピディアト国内では、差別意識も珍しくはなかった。

 だからディアナは幼い頃から、髪を隠していたというのに。


 無論、魔女なんて根も葉もないおとぎ話だ。

 しかし民の前では今、目に映るもの、耳に拾う言葉だけが真実だった。


 まるで魔法のような博識。

 敵国との内通を示唆するワイン。

 次期妃の嘆かわしい戦死。

 隠され続けた、不吉な赤毛――。


「魔女だって言うのは、本当だったのか――!」


 確信づけるように誰かが呟く。

 国民に背を向けたままのミッシェルが、満足げに口角を上げるのを、近衛兵やエリク達だけが見ていた。

 エリクはただぞわりと背筋が粟立つのを感じる。


 ――弾劾などではない、これは、ただの、八つ当たりだ。


 今、ピディアト王国は不穏な雰囲気に満ちていた。

 急に知らされた戦争の不安と、人知れず亡くなった美貌の英雄の存在に、いつしか民は王家に不信を向けようとしていた。

 そこで作られたシナリオが、この魔女騒動だ。

 噂通りにディアナを魔女に仕立て上げ、戦争の責任を押し付け処刑する。

 つまり民の不満の矛先と、王子自身の失恋の憂さ晴らしの生贄に、エリクの親友は選ばれてしまったわけだ。


 今、どう動くのが正解か。エリクは考える。どう動けば親友を救えるのか――。

 しかしシンシアは短気だった。考えるより口や手が動くタイプだった。 


「嘘よ馬鹿げてる。魔女なんてあるわけ――」


 シンシアを捕えていた近衛兵が、彼女の口を塞ごうと銃の引き金に指をかける前に。

 袖口に潜ませていたナイフを後ろ手に近衛兵の手首に突き刺し、エリクが身をよじるその瞬間に。


「…………っふふっ……ふふふふふふふ……」


 女の不気味な笑い声が、深夜の町に響き渡った。


 誰もが疑問符を浮かべて声の主を探す。もちろんすぐに見つかった。

 俯いて顔を覆い隠す赤い髪が、小刻みに揺れている。やがてその揺れは大きくなり、声のボリュームが上がり、ついに顔を上げてディアナは高笑いを始めた。

 

「あっは。ああーっはっはっはっは! ああ、おかしいったらないわね。これだから人の子は頭が悪くて嫌になるわ。でも結果オーライってとこかしら。仮にあの胸だけでかい馬鹿女が生きていたとして、そこの声だけでかい馬鹿ボンボンとくっついたりなんかしたら、この国、お先真っ暗じゃない!」


 ディアナは心底おかしそうに笑いながら吐き捨てて見せた。

 全てを見透かしたような、傲慢そうで人を見下した語調は、誰もが絵本で読んだ『魔女』のイメージそのもの。

 一瞬だけ呆気に取られたミッシェルが、思い出したように顔を赤くして眉間に眉を寄せる。


「この無礼者――」

「私が魔女だって、そう認めたらどうするおつもりかしら? 首をはねる? 火にくべる? やっぱり十字架にくくりつけて石を投げるのがセオリーかしらね」


 まるで開き直ったような態度だった。

 誰もが怪訝を顔に浮かべ、この状況を理解しようと口を閉ざす。

 静まり返ったその瞬間を見逃さず、ディアナは高らかに言い放った。


「呪いをかけたわ!」


 魔女の言葉にしてはどこか爽やかさを感じられる宣誓。

 もはや、ざわつきなどない。

 今まで数々の民に正確な助言や指摘を告げたのと同じ口が、恐ろしい予言を轟かせる。


「この国に、いえ、私の恨みを買ったすべての人間に呪いをかけた。……予言するわ。この国にはもうじき火の雨が降り注ぐでしょう。だけど私の処刑を決める者、行う者、今この場で何もせずボサッと突っ立って私を眺めてる者たち全員には、特別にもっと苦しんでもらう。肉体は殺されても呪いは生き続ける。家を焼かれるよりももっと酷い目に遭いたい者だけが、私の死に対面することね。周囲に不幸をばらまく、忌まれ苦しむ愚者となりたいのなら、だけど」


 シンシアの視線を感じてエリクは振り返った。妻は焦りを顔に浮かべていた。親友のやろうとしていることに気付いたからだ。彼女の背後では、僅かに怯えを滲ませる近衛兵。まずいぞ、と口の動きだけで呟いたのは大臣だ。


「――っ戯言を……!」


 ことに、王子だけが気づいていない。


 民にとってすでにこの場は、反逆者の公開処刑ではなく、魔女裁判になっていたのだ。


「ひいいい、お助けをっ!」


 港の主人が悲鳴を上げて家に戻った。


「見ちゃいけないわ部屋に入ってなさい!」


 次にパン屋の女店主が、騒ぎに起き出した一人息子を魔女の呪いから守るため、彼を連れて家に飛び込んだ。


「俺は何も見ちゃいない」

「呪われた……呪われた……」

「狂ってやがる、もうこの国はダメだ」


 次々に家に閉じこもっていく民を見て、ようやくミッシェルはすべてを悟った。

 全ては「魔女」という言葉を使ったのが間違いだったのだ。

 ディアナを魔女にしてはいけなかった。

 民がディアナを魔女だと信じるということは、すなわちディアナの不吉な予言を誰もが鵜呑みにし、恐れるということ。

 これまでにディアナから指摘や助言を受けた者なら尚更、彼女の言葉を信じざるを得ない。

 現に近衛兵の何人かは、ディアナを直視できずにいた。背後から彼女に向けられていた槍の片方は震えている。


 ――反逆者の処刑なら民は望むが、不吉な魔女の処刑なら誰も積極的にはならない。


 唖然としたミッシェルの顔が自分の方を向くと、ディアナは慌てたように怯え顔をつくった。


「……ああ、えっと。……何よ冗談なのに。私、魔女なんかじゃありません!」

「………………連れていけ」


 恐々とした手つきでディアナを連行する近衛兵。

 ほぼ誰もディアナに触れられないでいるのを、エリクとシンシアは眺めていた。

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