真夜中の秘密の花嫁
――あれは十歳の夏。祭壇にやっと頭のてっぺんが並んだくらいの頃だった。
司祭に怒られて昨晩からしょげていたフルールを、何とかして励ますことがディアナの目的だった。
そこで教会の裏庭を何時間も這いつくばって、ようやく目的のものを見つけてディアナは飛び上がった。
教会に飛び込むや否や、頭のバンダナを取って赤いくせ毛を振り乱しながら、奥の書斎で反省文を書かされていたフルールの元に駆けて行き、スツールの上の背中に思い切り飛びついた。
「――っくりしたぁ。どうしたのディアナ」
「まだ書き終えていなかったの? 本当にのろまで間抜けでどうしようもないのねフルール」
「ディアナみたいに心にもないことをサラサラ書けないんだよ。それよりどうしたの? ほっぺに泥つけて」
「努力の証拠よ。これあげるわフルール、幸運のシンボル。ちょっとは前向きになれるんじゃない?」
やっとの思いで見つけた四葉のクローバーを押し付けると、フルールは目を丸くして恐る恐る受け取った。
「これって確か珍しいんだよね、わたしでも知ってる。貰っちゃっていいの?」
「もちろんよ。でも一応言っておくと、四葉のクローバー自体には何も医学的・科学的な根拠はないわ。ただ珍しいから素敵な気分になれるってだけ。でも確率的な運を味方につけるっていう意味はあるかもね。くっだらないけど世の中運だけで全部ひっくり返ったりすることも――」
「ありがとうディアナ!」
「ぐええっ」
脇の下からひょいと抱えられて、ひざの上で力強く抱きしめられた。
子どもの頃は二歳年上のフルールとの体格差が大きかった。馬鹿力でぬいぐるみのように抱きしめられてはひとたまりもない。
翌日、教会の掃除をしていたディアナの元にやってきたフルールが、照れくさそうに笑いながら一本のクローバーを差し出してきた。
「昨日のお礼だよ」
自分の指に巻きつけられた三葉のクローバーを見つめて、ディアナはショックを受けた。
自分が何時間も費やして四葉を見つけたというのに、フルールはその辺に生えている何の変哲もない草を、ただむしってきて自分の指に巻きつけただけ。
指輪は確かに可愛いけれど……違う。努力の密度が違う。
「……っう、うう゛ぅー……」
「えっ、あれ!? どうしたのディアナ! もしかして花の方が良かっ」
「フルールのばかあ! みずむしい! くそったれえ!」
「わたしのは水虫じゃなくて巻き爪――どこ行くのディアナ! ちょっと!」
フルールが喜ぶと思って何時間もかけたのに、そのお礼が、どこにでも生えてる草一本。
「じざいざまああ」その草が左手の薬指に巻きついていることをすっかり見落として、ディアナは真心が報われなかったと司祭に泣きついたのだ。
***
「……笑えるわよね、昔は私の方が馬鹿だったなんて」
深夜、無人の教会でワインを傾けながらディアナはひとりごちる。肴は恋人との淡い思い出――。
空になったグラスを祭壇に置き、その隣にあるものを見て自嘲気味に笑った。
昼間はつい引っぱたいてしまったけれど、エリクの親友として、何より彼の恋人であるシンシアの親友として自分は正しいことをしたのだと思う。
亡ぶ寸前のこの国で、身籠った女性がパートナーなしに生きていくのはどんなに心細いことか。シンシアにはエリクが必要なのだ。一人になんてさせてはいけない。
「生きて帰って来なかったら殺すわ」そう吐き捨てたディアナに、エリクは頬に手を当てて泣き笑いを見せた。
グラスの隣からレースのカーテンを取り上げる。棚の奥に鎮座していた新品だ。以前結婚式を取り持った夫婦からお礼にと貰った、当時は何の役にも立たないと溜息を吐いた代物。
奇しくも今、役立つときがきた。
「こんなもの用意してる時点で、今もそう変わらないかしら。……ねえ、フルール?」
時間だけをかけて渡したプレゼントに、あっさりと自分の人生でお返ししてくれたディアナの美しい恋人。
酔いが回ったか、彼女が笑っているのが見えた気がした。
グラスを奥に片づけて再び礼拝堂に戻ると、ちょうど控えめに扉が開くところだった。
シンシアを連れてそっと入ってきたエリクが、ディアナの出迎えに顔をしかめる。
「こんばんは。酒くさいぞ生臭シスター」
「待っててあげたのにお礼もないなんて、無礼な新郎新婦だこと」
「しーっ! 言っちゃダメだよディアナ! 新郎新婦だなんて、全然違うから。ほら、シンシアも何か言って――あれ、シンシア?」
「うっ、ううう……ディアナ~~!」
「ぐおっ」
施錠を終えたところを、鼻から目から水分を垂れ流すシンシアに抱きつかれた。
「うううディアナ~。フルールのことは本当に残念だった。今でも信じられないよ、あの丈夫で健康だけが取り柄だったフルールが! だけど忘れないで。あだじっ、あだじはぜっだいディアナの味方だがらあ~」
「あー、ありがとう。花嫁からの抱擁なんて身に余る光栄だわ。鼻水さえなかったらもっと素敵だった」
「シンシア、離れなよ。ディアナの機嫌が悪くなる。彼女汚いのが嫌いなんだから、今にクソッタレって言われるよ」
シンシアがエリクに引きはがされる。自分の肩についた鼻水を見てディアナはおもむろに顔をしかめた。
「ごめんね……。でも本当。ディアナ、フルールがいなくなってもあたしがいる。心もとないかもだけど頼って。立場を優先して、無理して泣くのを我慢する必要もないからね。あなたを誤解する馬鹿野郎がいるなら、あたしが代わりにぶってあげるから。いつでも言ってね」
親友は真剣な顔で鼻水を垂らしていた。
「……ありがとう。似た者夫婦ね」
「ふっ、夫婦とかそんなじゃないよ。ここではただ、エリクからプレゼントをもらうだけ――」
「いいえ、夫婦になるのよ。そして誇り高い父母にならなきゃ」
当然だが同性同士のディアナとフルールには、新たな命を宿すことなどできなかった。
しかしふたりには共通の、大切な友人がいた。その友人を守り祝福することこそが、自分の示せるフルールとの絆だとディアナは思う。
例え危険を冒すとしても、だ。
「ふたりが素晴らしい契りを交わそうとしてるっていうのに、祝福しないなら親友じゃないわ。わざわざ教会を選んで、聖職者まで用意したんだから、当然そのつもりでしょ?」
にっと笑ったディアナを見て、ふたりの友人はさっと顔を青ざめさせた。
エリクが真っ先に首を振る。
「……え。えっ、ちょっとだめだよそれは! ディアナ、だめ! そんなことしたら、僕らはともかく君が――」
「バレなきゃいいのよ。ま、バレても構わないけど。どうせこんなの、ごっこ遊びなんだし。言い訳なら考えてあるから安心なさいな」
口をパクパク開閉させているシンシアの頭に、レースのカーテンをパサリと被せる。上質な生地にセンスの良い柄だ。
ついでにハンカチで鼻水を拭いてやる。そのハンカチは床に放り捨てた。
続いてディアナは花瓶から花を抜き取り、ポキリと茎を折ってエリクの胸ポケットに差す。
奇妙なパントマイムでディアナを止めようとする彼の頭に、瓶の水をパシャリとかけた。驚いて静止したエリクの髪を丁寧に撫でつける。
簡易的、お手軽新郎新婦の完成である。
ふふんとディアナが鼻を鳴らしたのを合図に、ふたりはハッと一斉に口を開いた。
「ねえ危ないよやっぱり」
「もしバレたら」
「ふたりとも気をつけ!」
エリクとシンシアは揃った動きでぴしっと背筋を伸ばした。
「エリクはOK、シンシアはかかとをくっつけて? もうちょっとあごを引いてみて。よしOK。ふたりとも目線を真っ直ぐ前に。……結構、ではさっそく」
以前に何度かやったように、ディアナはふたりの男女の前に立ち、形だけの聖書を手に誓いの言葉を口にした。
「新郎エリク・リカー。あならは病めるときも健やかなるときも、ここにいるシンシア・カミルを敬い、愛し、慈しむと誓いますか?」
「……誓います」
「新婦シンシア・カミル。あならは病めるときも健やかなるときも、ここにいるエリク・リカーを敬い、愛し、慈しむと誓いますか?」
「誓います」
「よろしい。ならば指輪を花嫁に」
たった三人だけの、静かで穏やかな結婚式だった。
法に触れる怯えか晴れ舞台の緊張か、震える手で指輪を取りだすエリクの前に、同じく震える手をシンシアが差し出す。
花屋の仕事で荒れ気味の細い薬指に、銀色の上品な指輪がはめられるのを、ディアナは網膜に焼き付けるようにじっと見つめていた。
「…………うっう゛う゛ー……っ」
沈黙を破ったのは花嫁の嗚咽だ。シンシアは指輪をさすりながら、再びディアナの首に抱きついてきた。
「ちょっと鼻水おばけ、親友のスピーチがまだよ」
「だって嬉しんだもん。本当にありがとうディアナ。これでエリクを悔いなく見送れる。君はあたし達ふたりの――ううん、あたし達三人の女神だよ」
「大げさね」
「大げさなんかじゃないさ!」
背後からどんっと衝撃。前後から新郎新婦に抱きしめられて、ディアナはサンドイッチの具になってしまった。
「フルールに恥じないよう、僕も最善を尽くすよ」
少しだけ何を言うかためらってから、ディアナは鼻から息を吐いて笑った。
「……フルールって、どっちの?」
目の前でシンシアが笑う。
「ええー、ディアナってば気が早いな。男の子かもしれないのに」
「別に男の子でもいけると思うわよ、フルールくん。――ねえ、触っても?」
「もちろん。……ほら、ママとパパの女神様よ。ご挨拶して」
身体を離したシンシアが、ディアナの手を自分の腹へと導いた。
正直言って胎動などまだ分からない。けれどここには命が宿っていて、その事実にふたりの親友が見たことのない顔をしていることが、ディアナにとっての喜びだった。
フルールにも、見せてあげたかったな――。
シンシアを茶化すことで、ディアナは本音を飲み込んだ。
「まあ驚き。あのじゃじゃ馬シンシアがおしとやかな顔をしてる」
「ちょっと――」
――ガシャンッ!!
静かな教会に突如割って入った音。
何かが割れる――壊されるような異音だった。
咄嗟にふたりを突き飛ばしてディアナは背後を振り返った。祭壇の奥、居住スペースに繋がる細い廊下の棚が倒されている。
やられた――。その奥にある隠し扉こそが、施錠中の教会に唯一入れる『裏口』だった。
本来なら棚を横にずらせば中に入れるが、勝手が分からなかったらしい王子とその従者たちは、障害物を武器で壊して侵入してきたようだった。
他人事のように、器物破損と不法侵入だ、とディアナは思った。
「……ほう。ほおーう、ほうほう。親切な配達員からタレこみがあったから来てみたら……やはり魔女は恐ろしいな。お前たち、奥を調べろ」
「御意」
品定めするようにディアナたち三人を見て、ミッシェルはにやける。ずかずかと奥へ押し入る近衛兵は四人――。
シンシアが真っ先に声を上げた。
「ちょっと、こんな夜中に何なんですかあなたたち!」
「何なんですかはこちらのセリフだ! 兵士の婚姻は法律で禁じられている、つまりそこにいる女は最早シスターなどではない。犯罪を教唆し法に背く反逆者というわけだ! 拘束しろ!」
ミッシェルの一言で二人の衛兵がディアナを取り囲む。エリクとシンシアにも一人ずつの衛兵がついた。
「まっ、待ってください彼女は関係ない!」
「そうよ! シスターはあたしたちに……そう、脅されて、それで仕方なくやっただけ――」
「あらまあ、ただのおままごとじゃありませんか。ごっこ遊びもだめだっていうなら、大臣様が深夜のパブで野菜を食べながら薬物中毒者の真似をしているのもアウトでは?」
ディアナの一言でその場の誰もが大臣を振り返った。大きく肩を跳ねさせてから、大臣は首と手を振った。
「でデタラメです王子!」
「確か週一でやってらっしゃる。あの奇抜な帽子は間違いなく彼だと思ってたのですけれど。ほら、頭のてっぺんに大きな蝶々の――」
「ええいうるさい! とにかく表に出せ!」
「そうだよディアナは黙ってて、話がややこしくなる!」
エリクとミッシェルに叫ばれて、ディアナはむっと口を閉ざした。
程なくして奥から走ってきた近衛兵が、何かを片手に喜々と声を上げる。
「見つかりました、王子! シスタルカ帝国で醸造されたワインです! ご丁寧にラベルを偽造までしてありましたが、瓶の底にシスタルカの刻印が」
ワイン、とエリクが眉を寄せる。目の前で近衛兵が四つの鍵を鎖ごと破壊するのを見ながら、ディアナは肩をすくめた。
すべてに合点がいく。――あの日訪れた配達員がシスタルカの諜報員で、ディアナを軸に国を混乱に陥れたいのなら。
「内通していたか。来いっ!」
嬉しそうなミッシェルの声。子どもみたい、とディアナは思う。
自分の名を叫ぶふたりの親友の声を聞きながら、空気の冷たい深夜の町に叩き出された。
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