第一章
美貌の騎士は死んだらしい
今朝はいつもより早く目が覚めたのかと思ったが、実際には朝が訪れるのが遅れただけで、いつも通りの時間に起床したのだとディアナは気づいた。
初秋を感じる朝のことだったのだ。
――ディアナがその日一番の客人として、泣き出しそうな旧友・エリクを迎えたのは。
「……シスター・ディアナ。あの……」
「これは副隊長殿。おはようございます。何かございました?」
「…………これ、を……っ」
差し出されたのは、丁寧に折り畳まれた薄い紙だった。
覚悟していたことが現実になったことを悟り、ディアナは「ああ」と言葉にならない声で返事をした。
「新兵を庇って捕虜になった後、これだけが届けられました。最後まで誇りを捨てなかった証拠だ。彼女は僕たちの誇るべき――戦友です」
見慣れた金色の長い髪が、自分の手のひらの上に横たわっていた。
英雄フルール・ホワイトの、名誉の戦死である。
共に育った姉妹、幼馴染にして親友、唯一無二を誓い合った恋人の喪失である。
恐ろしいショックから目を逸らすようにただ茫然と、仕事をしなければ、とディアナは思う。
いつもだらしのないエリクが珍しく軍服をきっちり着込んでいるのは、これからかしこまった式に参加するからだ。
***
「――あなたの魂が安らぎと幸福に満ち、天へと届きますように。偉大なる神のお導きのもと、新たな世界へと解き放たれることを祈って」
葬儀は王城の中庭を使って大々的に行われた。墓もここに造るらしいからだ。
フルールの遺髪を収めた棺を前に、ディアナはいつもと変わらぬ毅然とした態度で祈りの文句を告げ、ロザリオを握った。
冠婚葬祭はこれまでに何度も行った経験があるので、ディアナは全く動じる素振りを見せずにいられた。
英雄の死を前に当然国民はざわついた。
「国の宝を失った」
「戦争が起きていたなんて知らなかった」
「この国はもうダメなんだろうか」
口々に不安を漏らす民の前に、黒い正装のミッシェル王子が立つ。ディアナはそっと端に避けた。
「っ……、彼女は、我が国の誇りでした。今となっては意味のないことだが、我が国の平和を保とうと、彼女は人知れず戦い続けてくれていました。みなさんにまで戦争の不安を抱かせることになったのは不本意だけれど、どうか彼女の勇姿を知り、誇りに思って欲しい。美しいフルール隊長。あなたが安らかに眠れるよう、僕たちはただ祈りを捧げるばかりです。どうか、どうか安らかにっ……」
ミッシェルはいささか大げさに鼻をすすっていた。
「王子が泣いていらっしゃる」
「私も涙が出てきたわ」
「ええ、フルール隊長を失って悲しまない人なんて、この国にはいない」
中庭全体がすすり泣きの声に満ちる。
背筋を伸ばしてディアナは葬儀を最後まで執り行った。参列者を並べて花を手向けさせ、業者と協力して棺を埋葬――。
民の一人が呟いた。
「シスターは薄情だ」
自分に向けて言ったのではないことくらいディアナには分かっていた。独り言だ。
「聞けばシスターとフルール隊長は幼馴染みだというのに、涙ひとつ見せない」
独り言に便乗する馬鹿がいる。
「やはり人の血が通っていない」
「本当に魔女かも」
「やめなさい」
「でも、なんて冷たい顔」
「そんなことを言われても仕方がないわね……」
ディアナは空を見上げた。
死者が空に昇ると思ったことは一度もない。ただ、そこからいなくなって二度と会えなくなるだけ。泣いたって変わらないのだ、それも分からないで口々に偉そうなことを――クソッタレ共が。
すすり泣きに紛れて小さく舌を打つ。
***
葬儀を完全に終えたのは夕刻のことだった。
ディアナが教会へ戻ると、すでに先客が座って待っていた。
施錠中の教会に入れるのは、裏口を知るエリクだけだ。席越しにディアナを振り返った彼は、泣きはらした真っ赤な目をしていた。
「ねえ」
「……ああ、副隊長殿。この度は残念です」
「ねえ、ディアナ」
「私でよろしければ、いつだってお話を聞きます――」
「僕はシスターに懺悔を聞いてもらいに来たんじゃない、友だちに話をしに来たんだよディアナっ!」
エリクはフルールの同僚にして、十年以上の付き合いがある、フルールとディアナの共通の友人だった。気が小さいけれどとても優しくて、エリクが花屋の娘に告白するまでディアナとフルールは気長に彼を励まし続けたことがある。
そんなエリクが涙目でじっと見つめるものだから、追い返す気にもなれずディアナは後ろ手に扉を閉めた。
「……彼女は最後まで勇敢だった。君のこと、いつも話してたよ」
「そう、光栄だわ」
「今でも信じられない。胸にぽっかり穴が空いたみたいだ」
「そうね」
「単なる友だちの僕でさえこんな気持ちなんだ。君がつらくないわけないよディアナ。だって君はフルールの――」
「エリク!」
ぴしゃりと叫ばれて、エリクはハッとしたように黙り込んだ。
彼はディアナとフルールの関係性を知っている数少ない人物の一人だった。信用しているから打ち明けた。彼もその秘密を守ると誓ってくれた。
溜息をつき、ディアナは開けたばかりの教会を施錠する。口に手を当て「ごめん」とエリクが呟いた。
「……泣いてなんて、あげないわ」
近づいてエリクの隣にこじんまりと腰かけ、ディアナは旧友に白状した。
「だって私を置いていったのよ勝手に。覚悟はしてたけれど、まさか本当にやる? 本当に私を愛していたのなら悪霊になってでも帰ってくるべきだわ。だけど彼女はそれをしなかった。これで奴のために私が泣くんなら、まるで思う壺。生憎私はそんなに尽くすタイプじゃない。だから絶対に泣いてなんてあげない。精々あの世で悔しがってればいいわ、クソッタレ!」
「ディアナ……」
「だからエリク、下手なお涙頂戴は無駄よ。言葉の銃撃戦じゃ私に勝てない」
我ながら支離滅裂なことを言っている。エリクが考えていることは手に取るようにわかった。
涙は膿だ。それをはかさず溜め込んでおくのは、悲しみを昇華させずわざわざ背負い、引きずろうとする行為だと。ディアナ自身もそう思う。
泣かないのは素っ気ないからではない、忘れないための愛情や執着に等しい。
こちらの方がフルールの喜びそうなことなのだと、心の奥では分かっている。
歯を食いしばるディアナを見て、エリクはしょうがないといったように笑った。
「ああ、分かったよ。もう余計なこと言わない。……でも良かった。君がシスターとして気丈に振る舞おうとして、そのせいで泣くのを我慢してるんじゃなくて。君の責任感の強さが誤解されるのは見てられなかったんだけど……」
彼は一度、窓の外を歩く黒服の国民たちに目を向けた。
「でも君の意思なら何も言わないさ」
「心配してくれてありがとう」
「当然さ。フルールと同じ、君も大切な親友なんだから。……それでね、親友ついでに話があるんだけど」
「何かしら」
エリクはディアナの耳に顔を寄せ、小声でつぶやいた。
「今晩こっそり――五分でいいんだ、教会を貸し切りで使わせてくれないかな。今みたいに施錠して」
「……ええ、可能よ。だけど理由は聞きたいわ」
「もちろん。僕ら明日また出発するんだ。次はいつ帰ってこられるか……。だから悔いを残したくない。シンシアに指輪を渡したいんだ。ほんとに、渡すだけなんだけど……」
ただのプレゼントなら問題はないが――兵士が恋人に指輪を渡すのは、結婚に近い行為だ。しかも、教会でだなんて。
ハッキリ言って危険だ。法に抵触しかねない、かなりのグレーゾーン。それを気の小さな友人がしようとしているのには、どんな理由が……?
「まさか妊娠?」
エリクがむせた。
「げっほ! ……あ、ああ~、うん……。君は話がはやくて助かるよ。ほんと。……そう、シンシアが僕との子を妊娠した。産まれてくる子には、例え死んでいたとしても父親の存在がなきゃと思って。――それで、君にもう一つお願いがある」
エリクは身体ごとディアナの方を向き、背筋を伸ばして真っ直ぐ視線を合わせてきた。ディアナもつられて背筋を伸ばす。
「ええとね……もし女の子なら、フルールって名前をつけたいんだ。ディアナ、君の許可がほしい。許してくれる?」
悔しさと寂しさによどんでいたディアナの瞳が、少しずつ光を取り戻すのを、エリクは見た。
「もっ、もちろんよ、光栄だわすっごく。フルールが聞いていたら涙を流して喜ぶに決まってる。ああでも、賢さに期待できない名前かも!」
「そんなこと……まあ、ないとは言い切れないけど。でも彼女みたいに勇敢で、優しくて、芯の強い人に育ってほしいんだ」
「そうね、そこだけは保証する。出産祝いとけっこ……ええと、指輪祝いね。名前ぐらい好きに使って。それに教会も。協力するわ」
「ありがとうディアナ。……ん、ディアナ?」
明るくなったばかりのディアナの瞳が再び翳る。
エリクが心配そうに顔を覗き込むと、ディアナはハッとしたように顔を上げ、眉間にしわを寄せ、次に右手を振り上げた。
「このっ――クソッタレ野郎!」
平手。頬に一撃。
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