ふたりについて
フルール・ホワイトが騎士団に志願したのは、愛国心や育ての親の遺言が理由ではない。
兵士に結婚が禁止されているこの国の法律を利用して、自分が異性と結ばれる道を絶つためだった。
幼いころから美貌をもてはやされたフルールは、孤児で学もないため、将来は貴族の男のお飾り妻になるのが関の山とされていた。
だから騎士団に入団できる年齢を迎えてすぐ、彼女は騎士団の兵士に志願したのだ。
ディアナ以外と運命を共になどしないために。
ディアナ・ヴァレンタインがシスターとして教会を守るのも似た理由だ。
貞潔の象徴、神の花嫁とされる修道女の立場を利用して、うまく異性を退けた。
たった一人で育ての親の教会を引き継ぐ姿は、さぞ献身的に映ることだろう。しかし恋人との密会の場所を確保することが、その一番の理由だった。
神だろうと、自分の愛をフルール以外に捧げるつもりなど毛頭ない。
――つまりふたりは国も神も利用した、全く酷い恋人同士だったのだ。
ゆえにその罰とでも言うべきか、厳重に人目を忍ばないとろくに抱擁すらできない。
「んっ……?」
深い口づけを交わす中で、ディアナは妙な違和感を覚えた。
待ち望んでいた恋人との逢瀬ではあるが、そっとディアナはフルールの背中を叩いた。やめろ、という意思は伝わっているはずなのにフルールは一向に離れない。……結局頭を軽く小突くまでフルールは離れなかった。
「ああもう何なのさ、良いとこなのに。邪魔しないでよね!」
「フルールあなた、変なにおいがするわ」
「え? におい?」
「うーん、なんていうのか……くさい?」
「くさいって、きみねぇ……」
残念そうに身体を離したフルールは自分の肩や腕を嗅ぎ、「ああこれか」と呟いた。これ、とは?
訝しげなディアナの手を握り、いたずらっぽく歯を見せてフルールは強く腕を引いた。
「わ、ちょっと」ディアナは祭壇から引きずり下ろされ、フルールに手を引っ張られるまま、くるりとターンを一回転。
「左手はこっちね」フルールに導かれ、自らの左手が目の前の軍服の肩に乗せられる。その意図を理解したディアナはピュウ、と口笛を吹いてステップを踏んだ。
「なるほど、舞踏会ってわけ? てっきり前線に出てるんだと思ってたのに」
「残念、今夜の戦場はお城でした! 金持ちどもがフラフラしてるのを眺めるだけの、退屈なお仕事だったよ」
もちろんダンスのレッスンなんて受けたことはない。ちぐはぐに踊るふたりを、ステンドグラス越しに月明かりだけが照らし、演出する。
フルールの調子はずれなハミングが、ステップを踏むためのリズムを作っていた。
「正体はお貴族様の香水の匂いね。まあ、随分と――楽しそうだこと!」
肩に乗せていた手を背中に滑らせ、片足を引き、ディアナはぐっとフルールの腰を引き寄せた。「あはは、反撃だ」器用に背中をのけ反らせて、フルールが愉快そうに笑い声を上げた。
長い金髪が床に垂れているのがおかしくて、ディアナも一緒になって笑った。
「ねえディアナ」
「なぁに?」
よいしょっ、と片足をバネにしてフルールが勢いよく体を起こした。ごつん、とおでこ同士がぶつかる。痛いじゃない、と抗議しようとしたディアナの口は、しかし何の声も発することはなかった。
「明日から、また戦場に戻るよ」
至近距離で金色の瞳がこちらを見つめる。
無音の空間の中で、フルールの放った言葉が自分の聞く最後の言葉になるのではないかと、ディアナは確かな不安に駆られた。
「そうなの」答えた声は、自分で思っていたよりもずっと情けない。――本当に、情けない。
水面下でシスタルカ帝国との戦争が始まってから、もう何度もディアナは別れを決意してフルールを送り出していた。
そして今夜のように不意打ちで彼女が帰って来る度、こうして寸暇を惜しんで彼女との時間を味わった。
けれど今回は以前とは違う。現に諜報員か盗人がやってきた。
今度こそ、本当に今生の別れかもしれない。
ディアナは意を決して口を開いた。
「フルール」
「何?」
「別れましょう」
「あ゛あ゛?」
「待って間違えた。言い方を間違えた。待って」
緊張した。らしくない――。フルールがぎゃあぎゃあと怒っている。
深呼吸代わりのため息を吐き、ディアナはもう一度口を開いた。
「……あのねフルール、もしも私と別れたら、あなたにはいろんな可能性が生まれるわ。あなたの容姿なら貴族連中が――王子だって言いよって来るでしょうね。もしかしたら今夜あたり口説かれたんじゃない? あー答えなくて良いわ、顔を見れば図星だって分かるから。彼らと一緒になれば、毎日綺麗な服を着て美味しいものを食べて、子どもだってつくれるでしょう。つまり長生きして人生を謳歌したいなら、今このときに私と別れるのが得策だってことよ」
「はああ? うそ、ディアナそんなこと考えてたの? 冗談じゃないよ。ディアナと別れるくらいなら早死したいね」
「ならあなたは、私に自分の人生をすべて捧げる覚悟があるってこと。そういう解釈で良いのね?」
「……え? じん、せい?」
不機嫌顔から一転、フルールはぽかんと口を開け首を傾げた。
やっぱり分かっていなかったか――。
緊張してでも言って正解だったとディアナは思った。今言っておかないと、この先、一生後悔し続けることになるだろうから。
「ああもう、そういうことになるのよこの馬鹿。このままあなたが戦争に行って死んじゃったら、あなたは私に自分の人生をすべて捧げることになる。もっと他にあった可能性を、一切合切、捨ててね。自分の人生を余さず私のためだけに使う覚悟があるのかって聞いてるのよ。真面目に答えてちょうだいな――どうなの?」
フルールの手を握り、黄金色の瞳を覗き込んでディアナは訊ねた。
その独自のほわほわした視線を漂わせた後、「むしろ」と彼女は呟く。
「…………むしろ、それはわたしにとって好都合に思えるけどね」
まるで平和な午後のティータイムのようにフルールは微笑んでいた。
「だってそうでしょ? もしわたしが戦争で死んでしまったら、ディアナのために人生を全て捧げたわたしのことを思って、ディアナはその後誰とも結ばれず、一生わたしのことを思い続けて死ぬのを待つんだと思う。わたしがきみに人生を捧げるのは、つまりわたしがきみの人生を独占するってこと。わたしにとっては本望だけどなぁ」
賢さには自信があったディアナの頭が、急にぴたりと働くのをやめた。目の前のあほ面をぼんやり眺める。のんびりした口調が語った言葉を反芻するうちに、思考力が駆け足で戻ってくる。
ハッとした。いつの間にか握り返されていた手を振りほどき、ディアナは頭を抱えてうずくまった。
「……あー。あー、もう……」
「あ、あれ、ディアナどうしたの? もしかして引いた? ちょっと重かったかな?」
「そうじゃなくて――いや確かに重いけどそうじゃなくて」
上目に睨み上げた先には、中腰でこちらを覗き込む困惑顔。理不尽な怒りを覚えた。
なぜお前が困るんだ? いつもその頭の悪さで人を振り回しているくせに、こんなときばかり真人間のような顔をしやがって――!
ため息混じりにディアナはぼやいた。
「ものすごい自己嫌悪だわ。あなたがそう答えるのを知っていて質問した。言わせたかったのよ。わざわざ『私のこと好き?』って分かってて聞くなんて。まるで馬鹿のすることだわ。頭が悪すぎる」
「え、え。そんなことないよ。ディアナは賢いよ。いつも通りじゃん」
「今のをいつも通りって言うなら、私はいつも馬鹿ってことよ。この、クソ、私のクソッタレ」
「ああーダメだよディアナお口が悪くなってる」
「短所も丸ごと受け止めて。恋人と長続きする秘訣」
「ええー、口の悪さを克服したいから指摘してくれって言ってたのはディアナでしょ? ――いやわたしは口の悪いきみも好きなんだけど、放っておくときみが自己嫌悪で塞ぎこむから厄介なんだよ。キスしたくても構ってもらえなくなるから」
「ああほらそういうことを言う! そうやって甘い言葉で私の知能を下げようとする。 あなただってクソよ、このクソ――」
眼前に衝突する金色の睫毛。罵ろうとした唇を唇で塞がれ、ディアナは軽く目を見開いた。たっぷり三秒はそのままだっただろうか。
触れるだけのキスを終え、額同士をこつんとくっつけてフルールがうっとり微笑んだ。
「愛してるよディアナ」
「……反則だわ」
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