第2話

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「…………。それで? あなたは、これから何をしようとしていたのですか?」




 12月21日、午後7時45分。 


 茅蜩館ホテル東京の宴会部長である天野は、配膳室の片隅で、警備の者によって連行されてきたサンタクロースと向き合っていた。宴会部長といっても、忘年会シーズンになると活躍するサラリーマンや学生のことではない。料理と飲み物のサービスを行う部署を統括する、れっきとした役職である。


 そして、彼が問い詰めようとしているサンタも、もちろん本物ではない。赤い衣装と帽子は、安っぽいフェルトで作られていたし、白い付け髭は、脱脂綿をノリで直接張り付けただけであるようだった。髭の下の顔も、若そうだ。体つきもサンタに扮するにしては貧相である。「学生さんですか?」と、天野がたずねたら、「28です。童顔ですけど」と、ふて腐れたような声で返された。天野も、いささかムッとする。脱脂綿の眉毛と髭で顔の半分以上が隠れているのだから、このサンタの素顔が童顔かどうかなど、彼にわかるはずがない。若そうに見える上に大人並みの分別を持ち合わせていないようだから、子供かと思ったのだ。

「それは失礼いたしました。それはさておき、そういった格好で当ホテル内を歩き回られるのは、ご遠慮願いたいのですが」

 彼は、忍耐強くサンタに大人の分別を教えてやった。お願い口調ではあるが、実質的には命令である。


 サンタが入り込もうとしていた本館2階のレストランは、ディナータイムにはジャケットの着用をお願いしているほど、特に格式を重んずる場所である。訪れる客も、そのつもりでレストランを利用している。そんな場所に、ティッシュ配りのアルバイトが着ているようなペラッペラの衣装をつけたサンタが入り込みでもしたら、せっかくの雰囲気がぶち壊しになる。学生のようなノリで悪ふざけをされると、天野としては非常に困るのだ。

「すみません。そうですよね。ご迷惑でしたよね」

 青年サンタは、思いのほか素直に頭を下げた。だが、悪いと自覚しているようなのに、彼は聞き分けが悪かった。でも、どうしてもダメでしょうか? 僕、友達から頼まれているんです。彼によると、僕の働きに彼と彼女の一生がかかっているそうなのです」と、落ち着きなく体を揺らしながら侵入しそびれたレストランに未練があるような素振りを見せる。


 天野にせよ、『一生がかかっている』などと言われると、青年サンタを問答無用で追い出せないような気がしてくるから、不思議なものである。このホテルやホテルのレストランを一生の思い出にまつわる場所だと思ってくれる客が増えることは、天野のようなホテルマンにとっての喜びでもあると同時に自分の誇りともなる。スタッフのモチベーションも上がるだろう。

 話ぐらいは、聞いてやろうか。天野は、ふと、そんな気持ちになった。


「僕の働き……って、あなたは、うちのレストランで何をしようとしていたんですか? その前に、その髭と眉毛を取ってくれないかな。落ち着かない」

 天野は話を振り出しに戻すと、青年サンタに椅子を勧めた。

 素顔に戻った青年サンタは、感じの良さそうな人物だった。先に自己申告したとおり、可愛らしい顔立ちをしている。名前は飯田直喜。友達のプロポーズの手伝いをするために、ここに来たという。


 飯田の友人が彼に指示した段取りは、こうだ。まず、食事が終わった頃――できれば食後のコーヒーを飲んでいる頃を見計らって、サンタの装束を身に着けた飯田がレストランを訪れる。レストランに入ったら、ホテルからのサービスを装いつつ、肩に担いだ袋の中に入っている菓子を各テーブルの配って歩く。順繰りにテーブルを回っていれば、やがて、友人が食事をしているテーブルにも辿り着くだろう。そうしたら、飯田は、菓子と一緒に友人から預かっている特別なプレゼントを、彼女に渡す。


「なるほど。その彼女への特別なプレゼントというのが婚約指輪であるというわけですか。袋の中身を確認させていただいてもいいですか?」

 天野は、飯田から白い布の袋を受け取ると、中を覗いた。そして、袋の口に顔を突っ込んだまま、愕然とした。 

 飯田青年が配ろうとした菓子というのは、スーパーなどで大袋入りで売っている個別包装のチョコやクッキーを、5種類ずつラッピングしたものだった。しかも、明らかに数が足りない。各テーブルの女性と未成年だけに菓子を配ったとしても、レストランの半分を回ったあたりで袋の中身が尽きるだろう。

「おいおい。こんなの配ろうとしてたのかよ」

 天野がつまみ上げた模様入りのビニール袋から透けて見える菓子を見て、彼の囲んだスタッフが呆れたように目を丸くする。


 天野は、たった今から、この青年を客だと思うのをやめた。 

 客どころか、このバカ者は新手のテロリストである。こんなにも庶民的な子供向けの菓子の詰め合わせを彼が配ってしまっていたら、クリスマスディナーは、ぶち壊しだ。それどころか、このホテルの評判もがた落ちになっていたかもしれなかった。それよりなにより、ホテルの知らない所で食べ物を勝手に配られたら、大変なことになるところだった。 

「こちらの許可なく、あなたがあなたの知らない当ホテルのお客さまに菓子を配るだけでも大問題ですが。万が一にでも、その菓子のせいで食中毒が出たら、どうするつもりだったんですか? あなたは、うちのホテルを潰す気ですか?!」

「すみませんっ! でも、一昨日買ったものなので、鮮度は大丈夫だと思います。それに《たけのこの山》も《きのこの里》も、彼女の好きな菓子だったものですから……」

「だから、そういう問題じゃないっ……って、あんた、この菓子を自分で買ってラッピングしたんですか?」

 そんなこと、プロポーズする本人にさせればいいのに。それも、彼女の好物まで考えて菓子を選んでくるなんて。こいつ、人が好すぎるじゃないか。そう思った途端、天野は、目の前でペコペコと頭を下げている飯田青年に、うっかり同情してしまった。 


「ご友人のお名前をうかがっても?」

 ひとまず気を落ち着けると、ぶっきら棒に天野はたずねた。

「伊佐美です。伊佐美克夫」

「伊佐美…… ああ、あれか」

 今日の予約リストの最後に書かれていた客の名前を、天野は覚えていた。それは、このホテルのオーナー兼総支配人が得意先の社長から、そして、その社長は友人から拝み倒されて、予約を締め切った後になってから席を用意することになった客だった。「『息子の一生がかかっているから、どうしても頼む』と、社長がご友人に土下座されてしまったらしいんだ。断り切れなくて困っているらしい。社長にはお世話になっているから、なんとかなりそうなら、してやってくれないかな」と、天野に頼んできた総支配人も苦笑まじりだった。

 彼らの席は、同日に予約を入れていた家族客へのサービスを無償でアップグレードすることを、その家族に了承してもらうことで確保した。具体的に言えば、その家族が指定したのよりも広めの客室を用意して、部屋で夕食を楽しんでもらえるようにしたのだ。ただでさえルームサービスが忙しい時期に余計な仕事を増やしてしまったから、責任感の強い総支配人は、今頃自ら各部屋にワインを継ぎ足しに回っているかもしれない。

「友達ばかりか、親父に親父の友人に総支配人に、俺! そして、ルームサービスのスタッフ! まったく、その伊佐美とやらは、プロポーズするのに何人の手を煩わせてんだよ。ほんっとに迷惑な奴だな!」

 つい地を出して、天野は悪態をついた。その伊佐美とやらに、『男なら結婚の申し込みぐらい、誰の手も煩わせずに独りでやってみろ』と、直接言ってやりたいぐらいである。

「本当に、すみません」

「君に謝ってもらっても、あまり意味がないよ」

 友人の代わりに小さくなっている飯田に向かって、天野は肩をすくめた。知らない間に伊佐美の計画の後押しをしていた自分に、飯田を責める資格はない。


「しかたがないですね。巻き込まれたついでに手伝ってあげましょう」

 天野は決めた。決めてしまうと、彼の行動は早い。まずは、飯田サンタを解任し、彼が配るつもりだったという子供向けの菓子を取り上げた。その一方で、フライドチキン屋の店頭で笑っている等身大の人形と似た体形をしている営繕部の田代という初老の男性を呼びにやらせ、他の者にはサンタの衣装を衣装部に取りに行かせた。 


 衣装とサンタの交代要員がやってくるのを待つ間に、彼は製菓部に電話をした。電話を受けた製菓部の若手チーフは、レストランからの突然の頼み事は常に緊急を要することだと承知してくれており、理由も訊かず文句も言わずに、作り置きのあったドラジェ――つまり淡い色の砂糖でコーティングされたアーモンド菓子5つをセットにしてチュールで包んだものを100セット、配膳室まで届けてくれた。

「結婚式の帰り際に花嫁さんが招待客に配るものですけど、間に合いますよね?」

「上等! どうも、ありがとう!」

 ドラジェを白い布袋にぶち込むと、天野は、サンタに扮した営繕係の田代に、飯田サンタが渡す予定だった婚約指輪が入った小箱を託した。時間は、8時20分になっていた。そろそろ、友人の登場を待ちかねた伊佐美くんとやらが焦れている頃だろう。 配膳室の入口からレストランフロアを覗きこみ、サンタが目指すべきテーブルを確認する。

「伊佐美さまは、窓際の8番のテーブルです。田代さん。急に変なことを頼んで、すみません」

「かまいませんよ。以前にも、やったことがありますしね」

 営繕部田代サンタは、白い付け眉毛ですっかり隠れてしまった右目でウィンクすると、「ホッホッホゥ!」と、いかにもサンタらしい楽しげな笑い声を上げながら、フロアに飛び出していった。彼の登場に合わせて、ピアノの生演奏が、《誰かが誰かを愛している》といういかにもオールデイズっぽい気だるげな調子の曲から、ベートーベンの《歓喜の歌》をアップテンポのゴスペル調にアレンジした《ジョイフルジョイフル》に変わった。


 リズムに合わせて身体を大きく揺らしたり、ステップを踏みながらターンをしたり、遠くのテーブルの客に投げキスをしたりと、サンタは、急に役割をふられたとは思えないほどノリノリだった。どの客も、サンタの登場を喜んでいるように見えた。サンタが差し出す菓子も、嬉しそうに受け取ってくれている。これなら問題ないだろう。むしろ、こんなにウケるなら、来年は企画として始めからクリスマスディナーに組み込んでみてもいいかもしれない。


 ホッとした天野は、サンタからウェーターに化け直した飯田青年を従えて、フロアに出た。サンタが無事に役目を果たすところを、彼に見届けさせてやろうと思ったのだ。なるべく目立たないように壁際を進み、グランドピアノの陰に隠れるようにして、目指すテーブルに近づく。 

「あの女性?」

「そうです」

 ピアノから見て右斜め前方にある窓際のテーブルに座る女性を目で示す天野に、飯田がうなずいた。


 お子さま菓子が好きだと聞いていたので、天野は甘ったるい感じのする可愛らしい女性を想像していたのだが、こちらに背を向けている伊佐美の前に座っている女性は、涼やかな知性を漂わせるスーツの良く似合う女性だった。「伊佐美さまの女性を見る目は、なかなかのようですね」と天野が誉めたら、飯田が、自分が誉められたかのように照れ笑いを浮かべた。飯田の彼女への評価も、かなり高いようだ。調子に乗った天野が「伊佐美さまには、勿体ないような女性だという気がしないでもありませんが」と評すと、飯田は、友人を庇いもせずに、「そうかもしれませんね」と真顔で同意した。

「彼女は、とても優秀ですよ。性格もね。ちょっとオッチョコチョイなところがあるし、一生懸命すぎるところもあるけど、そこが可愛い。……と、言う人もいます」

「『高嶺の花』ってやつですか。まあ、なんにせよ、サンタが彼女に首尾よく指輪を渡せば、われわれの任務は完了ですね」

 天野が飯田に笑いかける。すると、どこからか「指輪ですって!?」という小さな声がした。 


 天野が声のしたほうに顔を向けると、彼のすぐ横で演奏を続けているピアニストの加奈子が、自分の出した声に恐縮したように顔をしかめていた。

「ええ。 あのサンタの袋の中には、彼女への婚約指輪が入っているんです」

「そう……ですか」

 軽快な曲を弾いているにも関わらず、加奈子は、ひどく憂鬱そうな顔をした。

「どうかしましたか?」

「実は、私、天野さんに、ご相談したほうがよいと思われることがありまして」  少しだけためらう素振りをみせた後、加奈子が、か細い声で言った。

「今、ですか? 後でも?」

「今、じゃないとダメだと思います」

 仕事中はピアノと同化しているのではないかというぐらい人としての存在感の薄い加奈子が、キッパリと言い切った。 


「私、先ほど、あのテーブルの男の人からリクエストを受けたんです。『僕が合図したら、弾いてくれ』って言われました。メンデルスゾーンの結婚行進曲なんですけど」

「……って、タン・タタ・ターンってやつですか?」

「タタタ・ターンのほうです」

 さすがプロというべきか、全然違うリズムの曲を弾きながら、加奈子が小さな声で歌う。

「でもね。『今日はクリスマスディナーであって結婚式ではないですから、他のお客さまは、クリスマスの雰囲気に浸りたいと思うんです。だから、申し訳ありませんけど他の曲にしてくれませんか』って、言ったんです。それで、ヘンデルの《ハレルヤ》で妥協していただいたのです。でも……」

「でも?」

「でも…… それも弾かないほうがいいような気が、さっきからしていた……のですが……」

「どうしてでしょう?」

 天野はたずねた。伊佐美は、恋人が指輪が入った小箱を開けると同時に、加奈子に《ハレルヤ》を演奏させようと企んでいるに違いない。そういう演出は、おとなしい加奈子の好みではないのかもしれないし、天野も、正直にいえばクサい演出だと思う。だけども、そういうクサさを好む女性も、世の中にはいるだろう。 


「いったんリクエストを受けてしまった以上、こちらで勝手にやめにするということは、しないほうがいいと思いますが」

「そうですよね。そうなんですけど…… サンタまで投入して場を盛り上げてしまった後で、《ハレルヤ》っていうのはですね……」

 何を心配しているのか、加奈子が、踊るような足取りで近づきつつあるサンタに怯えるような表情を見せた。 

「加奈子さん?」

「私、あのカップル、絶対に、うまくいかないように思えるんです」

 鍵盤を叩く指を止めることなく、切実な表を浮かべた加奈子が天野に訴えた。 


「私、ここからずっとあのカップルを見ていたんですけど、彼女さんが彼氏さんに向ける表情とか視線とかが、ものすごく冷たいんです。プロポーズっていってますけれども、彼女さんには結婚の意志がなくて、男の人だけが勝手に熱を上げているだけなんじゃないでしょうか? そんな状態の時に、プロポ―ズが成功することを大前提にして、賑やかに登場したサンタが指輪を運んできたり、ハレルヤで盛り上げちゃったりしても、大丈夫なのでしょうか?」

 心配を口にしながら、加奈子が切れのよい和音で、力強く《ジョイフル・ジョイフル》を締めくくった。


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