第42話 ソラ君 走るなメロス
ソラ君がタイムトラベルをした。
「美月、ここで見ていく?それとも……」
「せっかくだから見ていこう。ケーキもあるし、20分くらいで戻るでしょ。ラキ、紅茶お願い」
美月はさっきの事なんて忘れてる。ソファにどっと腰かけてリモコンを押している。
私はチーズタルトふたつとレモンティーを持って美月の隣に座った。ソラ君は<こはいかに>のトップらしく、度肝を抜く質問で視聴者を喜ばせる。
「今度は何処に行ったんだろうね?楽しみ」
私と美月は大画面に映るソラ君の周りの風景に目を凝らした。
▣ ▣ ▣
そこは砂漠のような場所だった。
けれど、大きな岩が数十メートルごとにあり、所々に花が咲いている。けれど殺風景な場所だ。
突然、画面の右端から男の人が走ってきた。
髭がボサボサに生えているその男は今にも倒れそうだ。画面の左端からソラ君が来た。
「もうダメです!無駄です。走るのは止めて下さい。セリヌンティウスを助ける事は出来ない」
ソラ君が男に大声で言う。
「いや、まだ陽は沈まぬ」男が答える。
「ちょうど今、あのセリヌンティウスが死刑になるところです」ソラ君がまた大声で言う。
「いや、まだ陽は沈まぬ」同じ台詞を言う男。
「ぶはっ、ラキあれ誰?知ってる?」
美月は笑いをこらえているのか持っているカップが震えている。
セリヌンティウス?どこかで聞いた事がある。
「やめろ!走るのはやめろ、メロス」
ソラ君が男の名前を叫んだ。
「あー、アッハッハ、分かった!あれってもしかして走れメロスのメロスじゃない?」
美月が画面に映る男を指差して言う。上半身裸で、腰に布を巻き付けている男は確かにメロスだ。
「えっ?てことは、ソラ君は物語の中にタイムスリップしたんだ。面白い」
「でも走れメロスだよ、あれって信頼してくれる友達の為に走る話だよね。――あんまりよく覚えてないけど。ゴールでソラも感動するのかな?」
ならば、何でこのシーンに登場するのだろう。感動ありきなら処刑場所だ。ソラ君は今、この時にメロスに言いたい事があるのだろう。
「しっー、ちょっとソラ君が何て言うか聞いてみようよ」私は唇に人差し指を当てて、美月に静かにするように促した。
「うん、分かった」美月も同じ仕草をした。
「メロス、俺は、メロスに激怒した!」
ソラ君は敬語ではない「メロスは激怒した」んじゃなかった?
「よく聞け、メロス。あなたは勝手な男だ。勝手過ぎる男だ。邪智暴虐な王ディオニスに刃を向けた。政治も分からないのに、感情で行動を起こした!」
「全ては平和のためだ。若者、分かるか?」
「よく考えろ、あなたは竹馬の友、セリヌンティウスに死の恐怖を与え、妹に結婚をするように命じた!人を信じる?ふんっ、笑えるわ!己の自己満足の為に英雄気取って、真の勇者だと称えられる事を想像して走って来たんだろ?」
「そうだ、愛と誠の力を王に知らせるためだ!その為に、悪魔の囁きを退け、川を越えて山賊どもを倒し、ここまで来たんだ!どけっ」
ソラ君はもう一度鼻で笑い、深くため息をついてメロスの後ろを指差した。
「確かにあなたはここまで必死に走ってきた。正義とか、誠、友情をぶら下げてな。しかし、後ろを見ろ?何が見える?」
画面がソラ君のアップから一人の老人に切り替わる。息も絶え絶えのその老人。すぐにそばで泣いている若い娘が画面にアップになった。
「あなたは、野原で宴席をしていた人の真っ只中を駆け抜けて来たんだろ?何かにぶつからなかったか?」
「……いや、イスを蹴飛ばした。まさか、そこで倒れている老人を傷つけたとでも言うのか?」
「この老人は宴席の場所にはいなかった。隣で泣いている若い娘の結婚式に向かう途中、路傍で撥ね飛ばされたんだ。おまけにあなたは犬を蹴飛ばしただろ。それは野良犬じゃない。この老人の犬だ」
「おじいちゃんは、目が悪くて、犬を頼りに町に出掛けたんです。子供のように可愛がっていた犬は蹴飛ばされるし……脇腹を痛めて死にました。おじいちゃんは、あなたに押しのけられて、腰を打ちました。困っていると、そこの人が、これをくれたんです!」
若い娘の手には白い布が、いや、よく見ると湿布を持っている。藤の籠にはコルセットも見える。ソラ君が渡したの?
「メロス、あなたは友の為に、走ってきた。それは信頼だの、友情、自分の誇りのためだ!しかし、他人を傷つけてまで成し遂げるのは野望だ!まずは、犬を殺したことと、その老人に謝るべきだ。娘さんにも詫びて、人としての正義を見せるべきだ」
「走れメロス」の舞台裏にこんな事あったの?
私と美月は驚いて顔を見合わせた。
「それでも私は行く、謝ったらすぐに行く」
メロスは震えながら言った。
「走るなメロス、セリヌンティウスの死刑が始まる!いや、すでに終わった。陽が沈んだ」
メロスはその場にへなへなとくずおれていく。
ソラ君はメロスのその様子を見て笑った。
今まで見た事のない不気味な笑みに、私と美月は震えた。
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