第16話 美月 けい兄ちゃん
「……ラキ、私の従兄のけい兄ちゃん覚えてる?夏休みになると家に遊びに来てた子なんだけど」 美月が突然神妙な顔で聞いてくる。
「……うん。覚えてるよ。どうして?」
「……そのけい兄ちゃんがね、今年の春から就職したの」
私は自分から話を聞くのをためらった。ソラ君がいなければ、どこに就職したのか、何でも聞けた。
「……ちょっと待ってね、私もケーキ持ってくるね」 美月の話が深刻になりそうなのを感じて、少し空気を変える。
「……そうなんだ。それは大変だね。そのけい兄ちゃんのお母さんも悔しい思いをしてると思うよ」
ソラ君の声だ。美月の話を聞いたのかな?励ましている。
「ソラ君、ありがとう。聞いてくれて。……あっラキ、遅かったね。今度はどのケーキ?」
「チョコレートケーキだよ。エスプレッソにしたから時間かかっちゃった」
「美味しそう。俺も持ってこよう」
ソラ君が席を立ち、カウンターに向かった。
「あのね、ラキ。けい兄ちゃん、自閉症だったの知ってるでしょ?特別支援学校の高等部卒業して、施設の紹介でパン屋さんに就職したんだ。……でもね、でも」
美月がまた目に涙を浮かべている。私はけい兄ちゃんの病名までは覚えてないけど、お話が通じなかったのは記憶している。いつも美月の家に遊びに行くと、一番に挨拶してくれた。
「さっき聞こえちゃったんだけど、けい兄ちゃんのお母さんが悔しい思いをしてるの?」
けい兄ちゃんのお母さんは、美月のお母さんの妹だ。詳しい事はわからないけど、シングルマザーとして、けい兄ちゃんを育てていた。
「就職が決まるまで、何回もパン屋さんに研修に行ったんだよ。もちろん、工場勤務なんだけど、けい兄ちゃんは手先が器用だから、叔母さんも勤まるって思ってたの」
「そうなんだ。……そういえば、けい兄ちゃんって絵も上手だったね。けい兄ちゃんの施設の文化祭に連れて行ってもらった時に、みんなの絵が飾ってあって、感動したの覚えてるよ」
けい兄ちゃんが通っていた特別支援学校の文化祭は、毎年秋にあった。美月と美月の叔母さんと一緒にバスに乗って行ったことがある。
「ラキ、覚えてたんだ。私とラキは小学生だっだったね。私はけい兄ちゃんで慣れてたけど、ラキはびっくりしてたね」
美月のいう通り、私は初めて障害を持った子達に出会って、戸惑った。同じ年の子もいれば、けい兄ちゃんと同じ中学生もいた。
「……みんなフレンドリーだったから、びっくりしたの。抱きつかれたし、何回も挨拶してくれたから……、けど楽しかったよ」
楽しかったのは本心だ。バザー会場に行くと、施設の子達が一生懸命に作った小物類があった。自分のお小遣いで、鍋つかみと、鍋敷を買った。ミシンの縫い目はまっすぐで私より上手だとお母さんがほめていた。
「けい兄ちゃん、工場でよく働くんだって。出来たパンを袋に詰める仕事らしいんだけど、健常者の倍の早さなんだって。叔母さんが嬉しそうに話してくれたの。でもお給料は健常者の10分の1なんだよ」
「誰よりも早く仕事してるのに?それはひどいね。それで叔母さんが悔しい思いをしてるの?」
美月は首を横に振った。叔母さんは一言も悔しいって言わないらしい。むしろ自閉症の息子を雇ってくれてありがたいと思っているらしい。1ヶ月の給料は手取りで一万五千円。何か問題起こしたらすぐに解雇という条件で雇用契約にサインしたという。
「叔母さんが、お母さんに話してたの聞いたの。それ聞いて私が悔しいの。ラキ、世の中不公平だと思わない?」
私はすぐに何も答えられずにいた。美月の悔し涙の理由は理解できたけど、何もしてあげられない。
「だからね、私は<こはいかに>でバイトしてお金貯めるんだ。貯めて貯めて貯めまくって、けい兄ちゃんの絵の個展を開くの」
てっきり、ブランドの財布やバッグ欲しさにバイトしてると思っていた私。美月に心の中で謝った。
「……けい兄ちゃんの絵はよくコンクールで入賞したの。それを見た画家の先生が、けい兄ちゃんに絵を教えて才能を伸ばしたいって言って
くれたこともあるんだよ」
美月は本気でけい兄ちゃんの絵の個展を開くつもりだろうか?世の中そんなに甘くないって私は言えない。
「美月の夢、素敵だね。<こはいかに>で叶えられるよ。俺が保証する」
ソラ君だ。笑顔なのに目が真剣。初めて見るソラ君の表情。私はソラ君の次の言葉を待った。
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