第11話

文化八年夏、奥州守屋藩郡奉行岸田左兵衛の元に、枝川郡木佐村名主から、

「昨今山より猪が多く出、猪番屋や猪垣で備えるも防ぐこと能わず、田畠をあらし候の節、猪を打つ鉄砲を百姓に預け、四季ごとに打つべし申し候、その為の証文を差し出すべし申し候」

という願いが来た。

佐兵衛は「四季鉄砲」(鳥獣駆除として使用期間を決めた許可した鉄砲)ならば許可しようかとも思ったが、ここ数年不作続きで年貢高について村々の一部で不満が高まっているため、万が一を考えれば、在所鉄砲を今は増やしたくないと思った。

しかし、食損が多くなれば、年貢に影響するので、郡奉行としても困る。

そこで城下に問い合わせると、不満を溜めている周囲の村々を威圧することを含めて、藩の鉄砲組を出すので、木佐村で猪狩りをさせるということになった。

その主命を受けた稲川玄馬を組頭とする御城鉄砲組は、馬上与力四騎、鉄炮足軽四十という陣容で、枝川郡の村々を威圧して周り、大矢霞山を越えた山合いの木佐村に入った。

木佐村の庄屋は一行を出迎え、

「深山の山里なれば、居村の周り以外は田はなく、焼畑や雑穀の取毛(収穫)が多ければ、広くて猪垣で囲うこと難し。なれば、猪いずこからか入らん。番小屋で終夜見張り、猪笛を吹き、板を鳴らし、驚かして去らせるも、次の夜にはまた現れん。村のもの皆疲労し、夜に熟睡すればそれを狙いて、猪来て食い荒らさん」

と、せつせつと訴えた。

そこで玄馬はすぐに組の者を分けて、夜に猪が出るというあちこちに鉄砲を配置したが、なぜか猪は一向に姿を現さなかった。

ところが、次の朝、庄屋から誰も配置していない畑に猪が現れて荒らしていったと聞かされた。

次の夜にはその荒らされた畑の周りに鉄砲を配置したが、やはり猪は姿を現さず、また見張りが手薄になった別の畑に現れるのである。

そうしたことが数夜続くと、玄馬たちは焦れてしまい、

「かくなる上は、巻き狩りで猪を追うべし」

と庄屋に命じた。

近隣の村々から人に集まってもらい、鳴音谷から大矢霞山の山地を勢子で四方から囲み、一斉に追い立てたが、鹿数頭は打ち取ったが、肝心の猪はまったく見つからなかった。

稲川玄馬と御城鉄砲組はすっかり面目を潰して、数日して城下に帰っていった。

郡奉行岸田左兵衛もしかたなく鉄砲を木佐村の百姓十人に持つことを許すことにした。

その秋、志田村の百姓頭が城代に強訴を行ったことがきっかけで、村々の百姓が連判して年貢軽減を求める一揆の企てが露見し、多くの百姓が藩側に捕縛された。

かの木佐村の庄屋もこの企ての一味で、捕らえられて厳しい詮議を受けると、一揆の際には許可された鉄砲を前にして郡奉行所を襲うつもりだったと白状した。

さらに庄屋は、

「大矢霞山に山人あり。この者、しばしば里に下り、米を呉れれば、猪に話し田畠をあらすことを止めさせんと云う」

と言い出した。

庄屋が言うには、この山人は猪に言うことを聞かせる術を知っていたため、なんとか銃を手に入れたい庄屋は、山人に米をやって畑を猪が荒らすふりをさせ、「四季鉄砲」の許可を貰おうとした。

城下から鉄砲組が来たときも、山人に話をして、鉄砲が配置された場所からは猪を遠ざけさせたというのだ。

計略があたり、なんとか鉄砲を手に入れたが、それを使う前に捕縛されて無念であると。

庄屋を含む十五人が死罪となり、多くの百姓がお咎めを受け、村々はなんとか治まったが、藩はその猪と操るらしい山人を大矢霞山の山中で探した。

しかし、それはまったく見つからなかった。

その数日前、鳴音谷の炭焼きがたくさんの猪が群れを成して南に行くのを見たらしい。

その後、このあたりから猪は姿を消し、二度と戻ってこなかった。


                <守屋郡代覚えより>


偽江戸怪談の十一作目。

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