第10話
寛文元年九月、奥州守屋藩郡奉行浮田主膳の元に、十村肝煎の大庄屋三谷常衛門より、
「敷根郡濡玉村の者、ただひとり小児残されしも、名主、五人組頭、小百姓、入作に至るまで出奔す」
という知らせが届いた。
濡玉村は先々代の藩主の時に、「ほっつけ」と呼ばれる沼地を干拓してできた村で、村高も百ニ十石ほどで内情は豊かであった。
先に割賦高を申し付けたときも神妙で、大きな水損や虫損があったということもなく、村年貢の算用が立たぬという訴えもない。
主膳には、村人すべてが逃散するとは考えられなかった。
そこで大庄屋常衛門の案内で、自ら濡玉村に入って村内を調べたことにした。
村を調べて、驚いたことに名主の屋敷には納めるべき年貢米等が用意されており、村の家々にも家財などはほとんど残っている。
ただ一つ奇異なことは、その村の家すべての戸に、「水」という文字が乱暴に彫られていることであった。
主膳はただ一人残った小児を詮議したが、まだ5つにもならぬゆえ、言っていることが良くわからない。
彼は、
「夜にかぐものが来て、みんな沼に行った」
と何度も言う。
「かぐものとは何ぞ?」
と問えば、
「黒くて人語を話し、這って歩く」
とだけ答える。
「お前はなぜ一緒に行かぬ?」
と聞くと、その小児は大泣きし、
「旱魃の気があり、お前は去ねと、かぐものが言うた」
と。
いろいろ調べたが村人がどうなったかは分からず、結局濡玉村は村払いとなり、家・田畠を召し上げて、入れ札の上で城下の山谷屋作兵衛なるものに下げ渡した。
山谷屋作兵衛は新たに人を集めて住まわせたが、数年に一、二度理由なく人が消えてしまい、恐れた村人の逃散が相次ぎ、田畠が荒れ果てたという。
唯一生き残った小児は近隣の寺に引き取られたが、八つの時に姿を消した。
消える数日前には、
「水気が出たので、かぐものが迎えに来る」
とひどく恐れていたらしい。
<守屋郡代覚えより>
興が乗ったので、偽江戸怪談の十作目も書いてみました。
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