第8話

文政十三年庚寅四月三十日、夕七つ頃、豊嶋郡戸塚村の名主である中村甚衛門の屋敷に、代官よりの使いという身なりが立派な武士が訪れ、名主の手代に、

「急であるが、このようなお触れが出たので、組頭、年寄と話し合い、村中で違背なきようにせよ」

といい、書状を渡して帰って行った。

慌てた手代が持ってきた書状を甚衛門が見ると、代官松村忠四郎の名で、

「豊嶋郡戸塚村々へ、本夕さる貴人罷り越し候につき、村内の者すべてこれ戸締めし、外に出ることを禁ず。男は家内土間に、女は見世にまかりあり、随分不作法にならぬように」

と記されていた。

これまで無かった内容であったため、中村甚衛門は怪しんだが、急でもあるし、なにか仔細があることかも知れぬと思い、すぐに組頭と年寄を呼び、人をやって村の人々に夜になったら外に出るなというお触れが出たことを伝えた。

その上で、村人全員に申し付けたことを、代官に知らせるため、三役(名主・組頭・年寄)の連判を手代を持たせて使いに出した。

その夜、戸塚村のものは一人も外に出なかったが、特に変わったこともなかった。

しかし、朝になって諏訪谷の田んぼで、代官へ使いで出たはずの手代が、泥だらけに倒れているのが見つかった。

手代はすぐに手当てを受け、意識を取り戻し、

「連判をお届けしたところ、代官様は怪訝なお顔をなされて、『かようなものは知らぬ。不届き者が私の名を偽ったのであろう』と申されました」

と言った。

手代は、このことを伝えようと夜道を急いでいたが、諏訪谷あたりの畦道を進んでくると、何やら大きなものが道を塞ぐように進んでくる。

持っていた提灯で照らすと、それは立派な鞍や鐙を付けた黒い馬が、手綱を取るものもなく、一頭だけで歩いていた。

ここらの武家の抱え屋敷から逃げ出してきたのかと思って、手代は手綱を取ろうとしたのだが、ハミから何やら五色の紐が後ろに伸びているのに気付いた。

手代は何だろうと思って灯りを向けると、馬の後ろに伸びた紐先には、真っ白い髑髏が結われてあるではないか。

五色の紐でしっかりと結わえられた髑髏が、畦道をずるずると馬に引き摺られているのだ。

手代は急に怖くなって、馬から離れようとして畦道から落ちてしまったが、馬はそれに見向きもせず、髑髏を引き摺りながら、南の方に歩いていってしまった。

手代はそこで急に気が遠くなり、田んぼに倒れ込んでしまったらしい。

このことは偽りのお触書ということで、代官所からいろいろと詮議されたが、結局誰がそれを書いたのかも、届けに来たという武士の行方も分からなかった。

馬に引き摺られていたという髑髏の正体も分からず、村人は下落合御留山の狸の仕業ではないかと噂した。

手代は、その後も中村甚衛門の元で働いたが、ある日突然姿を消した。

神隠しにあったという人もいるが、人が見てはいかぬものを見たのでどこぞに連れていかれたのではないかという者もいた。

           

              <江戸在所奇聞より>


嘘江戸随筆風怪談の八作目です。

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