第6話
天保二年七月、暮れ六つの鐘が鳴った頃、両国橋の橋番所に一人の僧侶が現れた。
その僧侶は四尺ほどの小柄な痩せぎすで、ぼろぼろの鼠衣に檜笠を被り、首からは薄汚い頭陀袋を下げていた。
橋番のおやじは布施でも強請られるのかと思って、うさんくさい顔で僧侶を見た。
しかし、僧侶は頭陀袋に手を突っ込み、中から一分金を取り出し、
「この盥に入った放し鰻を、すべて売ってくれ」
と言う。
※江戸時代、捉えた鳥獣などを放して善行を積む「放生」を行うため、橋番などが副業で鰻や亀を売っていることがあった。
すべての鰻を売っても一分はもらいすぎであったが、橋番のおやじは知らん顔で売ることにした。
僧侶は細い目と低い鼻の異相で笑い、橋の真ん中まで鰻を盥ごと運んで、川の中にすべて放った。
僧侶は、次の日もその次の日も、暮れ六つの鐘が鳴った頃に橋番所に現れて、鰻すべてを一分で買い、毎回橋の真ん中で放すのであった。
橋番のおやじもだんだん気味が悪くなって、三日目にはそっと僧侶の立ち振る舞いを見張ったが、特におかしいところはなかった。
四日目に、今度は僧侶が鰻を放った時、川の中を覗いてみた。すると、鰻が水に落ちるを見計らうように、四尺ほどもある魚の口らしいものが浮かび上がり、鰻をすべて飲み込んでいったのを見た
五日目も僧侶が鰻を放つと、同じように水中から大きな魚らしい口がぬっと出てきて、鰻をすべて飲み込みんでいく。
橋番のおやじはさすがに恐ろしくなって、六日目には「鰻は全部売れてしまった」と嘘言って帰ってもらった。
しかし、七日目も八日目も僧侶は現れ、橋番のおやじはそのたびに「鰻は無い」と繰り返した。
八日目にも僧侶が現れたが、焦れた橋番のおやじは、
「いい加減にしやがれ。なんで放し鰻を魚の化け物に食わせやがる!」
と怒鳴った。
すると僧侶は、
「腹を空かせているからだ。それに功徳の鰻はうまい。しかし、売ってくれぬのであれば仕方がない」
と言うや否や駆け出し、橋の真ん中の欄干を飛び越えて大川に飛び込んでしまった。
後を追ってきた橋番のおやじが川の中を覗くと、十尺はあろうかという大きな魚が二匹、下流のほうに泳いでいくのが見えたという。
その後、その僧侶は二度と現れなかった。
<世事聞著集より>
嘘江戸随筆怪談の六作目です。
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