第5話
享和六年辛丑閏七月、飛騨郡代である長谷川忠国の元に、能美郡石子村の庄屋三左衛門より書状が届いた。
美濃国山川邉村から水無神社参詣にまかり出た老女二人が道中で病気にかかり、同村で動けなくなったため、医師に治療させ、百姓家で養生させているという。
老女だけの旅というのは珍しいが、旦那寺の往来手形をちゃんと持っており、身なりも綺麗げで、物言いもしっかりしている。
身元を尋ねると、年嵩の老女は山川邉村庄屋善吉の女房と名乗り、もう一人はその妹であるという。
何やら仔細があると思った村方は、この老女たちより口上書を取ったが、この内容が非常に奇怪なものであった。
山川邉村は村高六百石ほどの内福な村で、庄屋の善吉は篤実な人物であった。
昨年の二百十日(現在の9月1日)、この善吉が毎年恒例の「風切り鎌」(大風が来る方向に、青竹の先に鎌を付けて立てる風よけの儀式)を屋根の上に立てることを家人に命じた。
その日の夜、いつになく激しい風が辰巳の方角から吹き、善吉も家人も家に閉じこもった。
しかし、寅の刻、屋根の上で何かが吠えるような声が響いて、驚いた善吉が目を覚ますと、屋根の上に大きなものがドスンと落ちる音が聞いた
朝になって見てみると、「風切り鎌」には血がべったりとつき、屋根に何か大きな獣の臓物らしいものが落ちていた。
村人は、
「辰巳の風に乗った竜神が、風切り鎌にひっかかって腹を切ったのではないか」
と噂しあった。
さすがに怖くなった善吉は竜神を祀る社を作り、血の付いた「風切り鎌」と臓物を納めた。
しかし、その三日後に善吉は当然口から吐血し、あっという間に死んだ。その弔いの最中、今度は善吉の息子も同じように口から血を吐いて死んだ。
「これは竜神の祟りだ」という噂が広がり、村人たちは恐怖したが、その時丁度村を通りかかった御嶽山の行者が、
「竜神の怒りを鎮めるには、亡くなった無くなった善吉の身内の女二人を村から出し、飛騨一宮の水無神社に参らすべし」
と告げ、村人の多くがこれを信じた。
そのため、家の年若き者に苦労をさせるのは忍びないとし、老女二人は名乗り出て村を出たという。
石子村の村方が老女二人に「村送り」(村に帰る処置)を勧めたが、老女たちは、
「手形は捨往来(旅先で死んでも問い合わせ無用と記載されている手形)なので、お手数ではありますが、病気が快復しなければ、骸を葬ってください」
と言い張り、懐から自分の弔い金を出す始末。
これに困った石子村庄屋三左衛門は、飛騨郡代にどうすべきかの問い合わせを書状で送ってきたのである。
長谷川は郡代として老女二人の世話を命じ、山川邉村に引き取りの人を要請したが、「捨往来であるから、病死してもこちらに問い合わせ無用」という答えが返ってきたのみであった。
老女たちは一カ月ほど石子村で養生していたが、辰巳の方角から激しい風が吹く晩に、血を吐いて死んだ。
庄屋三左衛門や村役人が立ち合って、医師の検視が行われたが、死んだ原因はよく分からなかったとのこと。
<飛騨奇譚集より>
偽江戸随筆の五作目。細かい部分は史実は、あとは嘘です。
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