第2話

御筒持組だった旗本長坂左衛門尉は家禄を総領に譲ると、千駄ヶ谷に隠居所を構え、在所から来た下女一人だけを連れてそこで暮らしを始めた。

彼は俳号を桃酔といい、温和で洒脱な人柄から俳諧仲間からたいへんに慕われ、隠居所には多くの俳人が出入りした。

ある夜、彼が寝ていると、下女が大声を出し寝所に駆け込んできた。

「庭で物音がしたので、灯りをもって行ってみると、大きな毛むくじゃらの何かがいた」

と言う。

腹が太い彼は、寝間のまま灯りだけをもって、庭に出てみたと、確かに四尺もありそうな毛だらけのものが、石燈籠の脇に佇み、逃げる様子もない。

彼が灯りでそれをよく照らしてみると、四尺のほどもある大きな白鼠であった。

さすがの彼も呆気にとられたが、大白鼠は動かず、こちらをずっと見ている。

気を取り直して、

「お前は何だ。どうしてここにいる」

と問うと、

「子(ね)は北にして水、白は西にして金。水よく金を生ず。白鼠は福慶なり」

と答えた。

「私は隠居でいまさら金も必要ない。庭が狭くなるので、立ち退いてほしい」

と頼んだが、

「子の神の使いたる我を如何に立ち退かせん?」

という。

彼はしばし考えて、一度屋内から矢立てを取って戻り、大白鼠の頭に筆で何かをさらさら書くと、たちどころに消えてしまったという。

その話を後で聞いた俳諧仲間が、

「その大白鼠の頭に何を書いたのか?」

と聞くと、彼は笑って

「 猫の字を

  手で払えぬや

  子のあたま

急に発句が浮かび、それを書きました」

と。

彼は洒落を知る人物だったので、のちに自らの隠居所を“白鼠庵”と称し、石燈籠の脇に大黒様を祭った。

また、句は大してうまい出来ではなかったが、鼠除けに効くと言って、その句を短冊に書いて張っておく者がいたと言う。


           <世事聞著集より>

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