第14話 身代わり身売り

 お父様。

 人の心とは残酷なものです。

 自分のため、家族のため、己の幸せのため。

 そのためならば、他人が涙を流しても致し方ないと考えるのです。

 あの頃の私は、その恐ろしさにただ震えるしかありませんでした。

 

 でも、お父様。

 私はまだ知りませんでした。


 本当の恐怖は、この先にあることを。


 ***


 玉は、やっと、あの貧しい家族の有り様の謎に合点がいった。


 何故、見ず知らずの玉を助けたのか。

 それはきっと、孫娘の身代わりを探していたからに違いない。


 何故、あんなに豪華な食事が出せたのか。

 それはきっと、売られゆく孫娘に、最後の御馳走を食べさせたかったからに違いない。


 何故、あんなに上等な衣を用意出来たのか。

 それはきっと、このヤクザ者が売りに出す娘の見栄えを良くするために与えたからに違いない。


 ああ、彼らは親切な菩薩の化身などでは無かったのだ。玉は仏の皮を被ったあの家族に、無残に売り飛ばされてしまった。しかし、後悔しても、もう遅い。


『殺さなきゃ殺されるんだ、甘えんじゃねぇ』

 

 そう言った花園の言葉が、玉の脳内を幾度も幾度も、巡り廻った。


『甘かった、私が甘かった』


 あれ程、花園が忠告してくれていたのに。世間知らずの自分は、相手の魂胆を見抜こうともせず、まんまと罠にはまってしまった。悔恨の渦に飲まれながら、玉は江戸の寒空の下を何処へともなく運ばれていった。


 

 ――どれくらい経っただろうか。

 あるところで、玉を担いでいたヤクザ者が歩みを止めた。そこはいくつもの宿屋が並ぶ宿場であった。しかし普通の宿場とは違って、どうも様子がおかしい。


 宿の外には沢山の男達がたむろし、その男を惑わすように女達が手を引いている。その女というのが、なんとも気味が悪い。目鼻立ちも解らないほど顔を白粉おしろいで塗りつぶして、今にも脱げそうなはだけた着物を着て張り付いた笑みを浮かべている。どこもかしこも酒の匂いがプンプンして、息がし辛い。


『ここは……何?』


 目の前に広がる異様な光景に、玉は吐き気を催す。しかし玉を担ぐ男はそんなことは気にも留めず、一つの宿にズカズカと上がりこんだ。


「女将はいるか!?」

「はいはい。こちらでござんすよ」


 入るなり男が大声でどなり散らすと、店の奥から中年の女がいそいそと姿を現す。見るからに不健康そうな女だ。お歯黒で真っ黒の歯はところどころ抜け落ち、少ない髪を無理やり結っているがために地肌が見えている。

 担がれた玉の姿を見るなり、中年女はにやりと笑った。


「遅かったじゃありやせんか、旦那。今日はこのですかい?」

「ああ、上物だぜ」


 男は玉を肩から下ろし、猿ぐつわを外して女将の前に押しやった。乱れた尼削ぎ髪を整える間もなく、玉は女将の前に突き出される。すると女将は玉を見るなり、金切り声を上げた。


「何ですかいこの子は!? こんなモン買えませんよ!」

「なんだとクソ婆! 殺されてぇのか」


「ウチは陰間屋じゃありやせんからね。男なんて置いてないんだ」

「はぁ? コイツが男だってのか」

「見たら解りますよ。こんな髪の娘は居ませんからね」


 女将は玉の短い髪をしかめ面で指差す。すると男がゲラゲラと笑いだした。


「岡場所の女将風情がボケてんじゃねぇよ! ちゃんと見ろ、こいつは女だ。髪は売られるのが嫌で自分で切ったんだとよ」


 男に馬鹿にされたのが気に障ったのか、やにわに女将が玉の顎を乱暴に掴み、蝋燭を寄せて舐めるように彼女を観察した。女将の口から吐かれる吐息といやらしい目線が、玉の顔に降り注ぐ。だが玉にはどうすることも出来ず、ただ目を閉じ息を止めて、耐えるしかなかった。


 暫くたって、女将が嬉しそうな声を上げた。


「ほほう、確かにこりゃ女だ」

「言っただろうが。どうだ、こんなシケた宿の飯盛り女にはもったいないくらいのタマだろうが」


「シケたは随分な言い方でござんすね。ま、買ってやりますかね」

「なら、最低でもこれくらいは出せよ」


 男と女将が値段交渉に入る。しかし男が提示した額が法外だったのか、女将が金を出し渋った。


「旦那、いくらなんでも高すぎでさぁ! こんなちんちくりんの髪の娘を買ってやるんだ、むしろそっちが負けてくださらんといけませんよ」

「むしろ若衆風でソソるじゃねえか。今時、陰間の方が女郎より儲かってんだぜ」


「でもまだ上品じょうぼん下品げぼんかもわかりゃしませんのに……」

「面倒な婆だな。どうせココにも小僧好きの変態がいんだろ。ついでだ、そいつに検分させろや。奴ら涙流していくらでも払うぜ?」


「相変わらず旦那は趣味が悪い。いきなりそんな客を水揚げ前の娘にあてがうので?」

「どうせ女郎なんてボロボロになるまで使い回すんだろ、一緒じゃねえか」

「鬼ですなぁ」


 そう言いつつ、女将の顔には満面の笑みが浮かんでいた。真っ黒に染まった歯を剥き出しにしながら、ケタケタと笑う。


「丁度、いいお客が来てるんでさぁ。早速相談しましょう。何、その方の金払いさえ良ければ受けないこともありませんな」


 女将はそう言って、宿の奥の闇に消えて行った。

 そして間もなく、玉は宿の二階にあるカビ臭い一室に放り込まれることになる。そこには、涎を垂らさんばかりの好色な爺が玉を待ちかまえていた。




語句

尼削ぎ(あまそぎ):尼や子どもの髪型。肩のあたりで髪を切り揃える。

岡場所(おかばしょ):幕府非公認の遊郭。

飯盛り女(めしもりおんな):この場合は、宿屋に置かれた私娼を指す。

上品、下品(じょうぼん、げぼん):遊里などで使われた言葉。女性器の質を表す。

検分(けんぶん):遊女となる娘の女性器の質を確認すること。

水揚げ(みずあげ):遊女が初めて客と接すること。

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