第13話 人の親切は仏のご加護か

 玉が運び込まれた長屋には、老人の家族が居た。

老人の子であろう夫婦と、子ども達が多く暮らす大所帯だ。


 子ども達が玉を甲斐甲斐しく世話し始める。子ども達は皆幼く、ヨチヨチと拙くはあるものの、玉の手足を温めたりさすったりしてくれた。その手当てのおかげで、玉はやっと命を吹き返す。


「じいちゃん、お姉さん生き返ったよ!」

「そうかそうか。ならば、何か食べ物が必要じゃな」


 早速老人は長屋についている粗末な台所へ行き、玉のために膳に食事を用意した。目を覚ましたばかりで周りの状況が見えていない玉に、老人は優しく膳を進める。


「お嬢さん、よく生き返ってくれたねぇ」

「あ、貴方が助けてくださったんですか」

「助けたなんて、大げさな。私は凍えかけたお嬢さんを拾って、ここへ連れてきただけだよ。お嬢さんを温めて生き返らせたのは、この子達だ」


 玉は自分を取り囲んでいる、幼い子ども達を見た。皆痩せてボロの服を着ているが、優しそうな瞳をした子ども達だった。元々信心深い玉はかろうじて持っていた数珠を擦り合わせ、御仏の御加護に感謝した。


「ありがとうございます、仏さま。このように素晴らしく親切な方々に、私を巡り合わせてくださいました。ああ、皆さま。私は貴方達に、なんと感謝したらよいのか」

「水臭いことを言いなさるな。さ、芯まで冷え切っているでしょう。どうぞ、用意した食べ物を召し上がってください。お嬢さんは尼さんのようだから、本来は精進料理をお出しするべきなんだが……、こんな料理しかウチにはなくてね」

「何をおっしゃいますか。お心遣い、感謝いたします」


 玉は用意された膳を覗きこんだ。古ぼけてはいるが良く手入れされた木の食器には、炊き立ての白飯がこんもりと入っている。椀には温かそうな澄まし汁、汁の実には旬のシジミとほうれん草。それに驚くことに、大きな餅まで具として入っていた。おかずには、小さくはあるが鯛の尾頭付きの焼き物がついている。

 

 元から花園に従って還俗する気であった玉にとって、精進料理以外のものを食べることに、もはや罪悪感は無かった。空腹でたまらなかった玉は、夢中で料理を貪り食べた。どれもこれも、光るように美味しく、胃の底から身体が暖まった。


 しかし……。

 ここではたと、玉は箸を止めた。


 餅入りの雑煮に、白ご飯、鯛の尾頭付き。これらの料理は、貧しそうな彼らが食べるには、豪華過ぎるように思えた。しかも彼らはそれを、他人である自分に分け与えている。玉は急に申し訳なくなり、食べるのを止めた。


「どうしたんです、お嬢さん。口に合いませんでしたか?」

「まさか。本当に美味しいお食事です。ただ、皆さんに申し訳なくて。これ程立派なお料理を、家族でもない私がいただいていいのかと……」

「何をおっしゃる、そんな心配をしなくていいのですよ。貴女はもう家族も同然だ。遠慮せず食べていいのです」


 老人は鷹揚に笑うと、部屋の奥へ入っていった。玉は老人のこの言葉に、思わず涙が出てきた。道端で死にかけていた自分を助け、大切な食料を与えるだけでなく、「家族だ」とまで言ってくれるとは……。


「貴方達は、菩薩さまの化身です。ありがたや、ありがたや……」

 

 そう言って家族全員を拝みながら、感謝を込めて食事を余すところなくいただいた。お腹も満たされて眠くなったころ、老人が一人の若い娘を部屋の奥から連れてきた。娘はきっと、この老人の孫なのだろう。手に上等な衣を捧げ持っている。


「ささ、お嬢さん。来ている物が汚れて、さぞ気持ち悪いでしょう。新しいお着物にお着替えください。尼装束ではないが、着心地はいいはずです」

「ありがとう、ではそうします」


 玉は感謝しながら尼頭巾を取り、与えられた着物に着替えた。紅色の絹で作られた着物は柔らかく、着ると温かかった。髪がまだ伸びきっていない故、女物の着物を着るとまるで若い陰間のようだったが、寺育ちの玉にそんなことがわかるはずもない。

 

 ボロボロの尼姿からすっかり美しい美少年のように変身した玉を、家族全員が息を飲んで見つめる。


「お爺さん、本当にありがとうございます。こんなに良いお着物をいただけて、嬉しいです」

「そんな、遠慮は要らないと言ったでしょう。それにしても、想像以上に美しい方じゃのう」

「あの、実は私、会いたい人が居るんです。でもそれには、私の実家の助けが必要なのです。でも実家は遠い京都にあって……。お願いです、お爺さん。京に手紙を出していただけませんか。手紙の代金は、故郷の者がお支払いいたします。だから……」


 そこまで言いかけた時、急に老人の顔が、どす黒く歪んだ。


「すみませんねぇ、お嬢さん。そのお願いは聞いてあげられません」


 その時だった。

 突然、玉と家族のいる長屋の扉が、乱暴に叩かれた。


「おい、古着屋のジジイ! いるんだろ、出てこい!」


 品の無い男の、荒くれた声だ。幼い子どもたちはギャッと飛び上がり、一目散に物陰に隠れてしまった。


「な、何事ですか!」


 そう叫ぶ玉の口を、老人が両手で抑え込んだ。玉を抑え込みながら、逃げ遅れた若い孫娘をかすれ声で叱りつける。


「お蘭、何をしている。早く隠れるんじゃ!」


 老人は孫達を隠す一方で、子ども夫婦に指図し、玉の手足を縛りあげた。最後に玉の口に猿ぐつわ噛ませる前に、老人が玉の耳元で囁いた。


「どうか、恨まないでくだせぇ」


 そう言い終わるや否や、戸を蹴破って男が長屋の中に入って来た。見るからにカタギではない、ヤクザ者だ。柄の悪い男は老人の姿を見とめると、大きな声で恫喝した。


「おいジジイ! 何ですぐ出て来らがねぇんだ!」

「申し訳ありません。孫娘が嫌がるので、こうして折檻しておりました」


 老人は投げてよこすように、玉を乱暴にヤクザ者の前に放りだした。


「フン、こいつがお前の孫娘か。なんだ、まるで陰間みたいな女じゃねぇか」

「自分で髪を切りましたんです。でも大丈夫、身体は綺麗なままです」


「なら問題ねぇ。だがお前も悪いよなぁ、借金のカタに大事な孫を売り飛ばすんだから」

「仕方がありません。背に腹は代えられませんから」

「ま、それが世の常ってことだな。しかし、お前の孫はこんな顔だったか? もっと庶民的な顔だったような……」


 いぶかしむヤクザ者を前に、老人と夫婦は怯えながら弁明した。


「夜闇でよく顔が見えないだけでございますよ、間違いなくこの娘はお蘭です」

「そうか。じゃ、コイツはいただいてくぜ。孫を売った金で、せいぜい長生きすんだな!」


 ヤクザ者は笑いながら縛られた玉を担ぎあげると、小判を老人に投げつけた。散らばった金を目がけて、老人と夫婦は無我夢中で飛び付いて行く。身動きの取れない玉はその姿を後目に、男に担がれて江戸の闇の中へ飲まれていった。


語句

陰間(かげま):男色を売る人(特に少年)、男娼。


 

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