第2話 吉原遊郭、悪の華
拝啓 お父様。
お久しゅうございます。愛するお父様に、こうしてお手紙をお書き申し上げています。しかしこの手紙はきっと、貴方様には届くことはないでしょう。
なぜなら私は今、江戸城大奥にて将軍ご側室の「お万の方」にお仕えしているからでございます。大奥でのことは他言無用。この掟を破れば、私もお父様も、命はございません。
それどころか私はもう、大奥より出ることすら出来ません。京にいらっしゃるお父様にお会いすることは、死後の世界でしか、叶わぬでしょう。
それでも、私はこうして筆を取っています。私が大奥で経験したこと、感じたことを、書き留めて置きたかったのです。
私のお仕えするお万様は、とても恐ろしい方です。それでいて面白くて、素敵で、何よりお優しい方なのです。そんなあの方のお姿を、紙の上だけにでも留めておきたかったのです。
親愛なるお父様。これから語る物語は、きっと信じられないものばかりだと思います。でも、どうか信じてください。そして、どうか忘れないでください。
これはきっと、私の遺書です。
***
江戸時代初期の吉原は、参勤交代の大名や武士を相手にする高級遊郭であった。そこにいた遊女の中でも格の高い者は「花魁」と呼ばれた。最高の教養と美貌を兼ね備えた粒ぞろいの精鋭達である。
そんな彼女らがしのぎを削る吉原で、妖しい人気を誇る花魁がいた。その名は「花園」。剃刀の如くキレる頭脳と教養、牡丹が咲いた様な美貌を併せ持った彼女は、吉原で圧倒的人気を誇る……はずだった。
しかし、花園は所謂「性格に難アリ」だ。
気に入らない客が来ようものなら、酒を客の頭からぶちまける。
野暮なセリフが聞こえたら、知性たっぷりの皮肉を浴びせる。
つまらない遊女がいたら、思いっきり飛び蹴りを喰らわせる。
悪行を数え上げたらキリが無いが、不思議なことに、これを有難がる男もいるのである。花園の後ろには、マニアックな男達が列を成し、いたぶられるのを今か今かと待ちうけていた。
しかしある時、花園は贔屓の大名を、ある理由で激怒させてしまう。いくら我が世を誇る花魁でも、大名を怒らせたら命は無い。
花園は身一つで吉原を脱走。所謂「足抜け」をした。だが足抜けとて、花魁にとっては「死」と隣り合わせの所業だ。捕まれば拷問の末、殺されるだろう。冬の寒空の下、薄い着物だけを身に纏って彼女は逃げた。とにかく走り、走り、走り、やっとのことである寺の中に忍びこむことが出来たのだった。
中は何かの行事でもあるのか、夜中だというのに煌々と明かりがどの部屋にも灯っている。
「チッ、ついてねーな」
花園は悪態をつきながら、一つだけ灯が消えている部屋を見つけ出した。
「シメシメ。ここで朝までいれば、追手をまけるだろ」
花園は障子を開け、中に滑り込む。だがその瞬間、花園の頬に何かが当たった。よく見ると……白い足袋のようだ。少しずつ、目線を上にやった。女物の着物の裾、帯、
「院主様、院主様ぁ!」
別の障子から、この足袋の持ち主の侍女らしき少女が飛び込んできた。この少女の叫び声で、花園はこの首つり死体が何故頭巾を被っていたのか理解できた。
「ああ、尼さんの死体だからか」
花園は納得しながら、護身用の剃刀で首つりに使った絹の紐を切ってやった。
え、どうして花園は死体に驚かないのかって?
『女の首つりなんて、吉原じゃ溢れかえってるゼ』
きっと彼女は、こう答えただろう。
語句
院主(いんじゅ):寺院の主。
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