第5話 逃げるは恥だが役に立つ

 休み時間にこっそりと福山くんを見ると、ちょうど彼も私を見たので目が合った。彼が先に微笑み、つられて私も微笑んだ。


 いつもより早く登校すると、教室には福山くんだけがいた。彼の友達が来てしまうまで、二人きりで話をした。彼は本に詳しく、私は音楽に詳しかった。おすすめの本やアルバムを教え合った。彼と会うのが毎朝の楽しみだった。話せるのは数分にも満たない短い時間だったけれど、私にとっては砂漠のオアシスのようだった。


 福山くんはクラスでは中の下か下の上といったポジションで、いつも男子3人のグループで行動していた。福山くんはそのどちらともと仲が良かった。でも彼が席を外してしまうと、残った二人は気まずく沈黙した。飼い主を見つめる寂しがりやの犬のような目で、二人は彼の後ろ姿を見送っていた。なあ文、行かないでくれよ、とでも言うみたいに。福山くんはそのグループにおいて中心の人物だった。



 放課後に二人で電車に乗り、近くの喫茶店に向かった。誘われるのは嬉しかった。自分の存在を認めてもらえたようで。


 店内のスピーカーからは古いJ-POPが流れていた。スピッツの『桃』が終わり、the brilliant greenの『Maybe We Could Go Back To Then』が始まった。

 これはあの人のあの曲、と私が得意気に語ると、彼は目を丸くして口を押さえた。

 「普通知らないだろ」と彼は笑った。

 「普通の生き方してないから」と私は笑った。


 「さてここで問題です」と彼は冗談っぽく言った。「喫茶店のメニューはどうして値段が高いのでしょうか」

 「人件費」アルバイターの背中を見つけて私は言った。

 「現実的」と彼は笑った。

 「正解は?」

 「……たぶん、飲み物だけの値段じゃないんだ。落ち着ける場所とか、誰かとの時間のためにお金を払ってる。一人で来るときも、ここで過ごす時間にはこれだけのお金が掛かってるんだと思うと、なんとなく充実する」

 「なるほど」

 「本当に人件費かもしれないけどな」

 彼はそう言って頬をかいた。それが照れ隠しだったらいいのにな、と私は思った。


 「なあ宮野。初めて話した日のこと覚えてる?」

 「橋のこと?」

 彼は険しい顔でうなずいた。「宮野に声をかけたのは、俺のためなんだ。一人で勝手に死んだとか、すごく冷たいこと言ったと思う。俺は自分の言われたいことを他人に言ってるだけなんだ。誰にも慰めてもらえないから代わりに誰かを慰めるみたいな、そういうことをやってるんだと思う」

 「でも私は嬉しかったよ」

 「偽善だと思わない?」

 「偽善に救われる人もいるんじゃない?」

 「そうかな」

 「そうだよ」


 きっと私も言われたいことを言っているだけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る