第3話 鱗
体育の授業で伸脚をしていたときに女子が男子に耳打ちし、耳打ちされた男子が私の股の辺りを見ていた。私のジャージは誰かに切られていたらしく下着が見えていた。見られた、と私は思った。恥ずかしさのあまり死にたくなった。どのように身に付けるのかは知らないけれど、クラスメイトは心の柔らかい部分を攻撃することに長けていた。
次の日には「宮野美結は男と寝て小遣いを稼いでいる」という噂が流れていたのだが、それは私を効果的に傷付けることに成功した。ありもしない噂に悲しんだというよりは、自分が惨めで仕方なかったのだ。私はエッチどころか男の子と手を繋いだことさえなかったから。異性の記憶を探っても、小学生時代の集団下校で隣の男子と手を繋いだことしか思い浮かばないぐらいだった。
業間休みが終わって席に戻ると私のシャープペンシルがなくなっていた。近くの席の女の子が「ごめん勝手に借りちゃった」と言って私の机に投げて返した。ペンは机を転がって床に落ちた。その子は気付かなかったので、私は自分で拾った。芯は折れていた。筆箱の中を探した。芯の替えはなくなっていた。
次の時間は中間テストでプリントを扱ったのだが、列の一人が「余りです」と言って私の分を教師の元へ持っていってしまった。単なる勘違いではないことは席に戻ってくる際の目配せからわかった。席のあいだを歩いて取りに行くと、足を引っ掛けられて転んだ。転ばせた女子はみんなに聞こえる声で「大丈夫?」と言い、それから私にだけ聞こえる声で「死ね」と言った。
季節は秋に移っていた。
通学の途中で電車はひなびた駅に停まり、窓から向日葵畑を見ることができた。しかしどの向日葵も下を向いて干からびていた。褪せた茎の色は塗装の剥げたシーソーを私に思わせた。その駅で降りる人は一人もいなかった。
榎本さんの死は確かな打撃を教室に与えたので、夏の終わりこそ穏やかな日々が続いていたけれど、それも束の間、私の立ち位置は怪しくなっていた。いわゆる「いじめ」は持ち回りであり、その順番が私に回ってきた。
ある意味では榎本さんは私を守ってくれていた。そしてある意味では私は榎本さんを身代わりにして生きていた。
「死ね」と言われたときに私は黙っていたけれど、それは澄ましているからではなかったし、出した声が震えて笑われるのが怖いからでもなかった。ただ単に同感だったからだ。
共通の敵を決めて自分達の居場所を作る人のことを見て、私にはできないなあ、すごいなあ、強いなあ、と眩しい思いだった。言われたら言い返すとか、殴られたら殴り返すとか、誰もが成長の過程で身に付ける鱗のようなものが、私には備わっていなかったのだ。
それまで私は「いじめられる側に原因がある」というのはいじめる側が自分を守るための詭弁だと思っていた。「本当は自分達が悪いのはわかっているけど、認めたら立場がなくなるし、なんとか言いくるめてやろう。どうせこいつは反抗してこないんだから」というように。
……しかし実際に事が始まってみると、「いじめられる側に原因がある」というのは正しい考えだと思った。私がいじめられるのは私が悪いから以外の理由はない。物がなくなるのは私が抵抗しないからだし、無視されるのは私の話がつまらないからだ。
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