第4話 東北の“お・も・て・な・し”作戦
田畑祐輔(ゆうすけ)は、桜田武士の高校時代の同級生だ。正確に言うと小学校も同級生だった。祐輔の父親が転勤で引っ越したため、中学の3年間は離れ離れになった。今では地元の農協の課長だ。きょうは東京からの出張帰り、職場には寄らず“直帰”で武士の家を訪ねた。
「まだやってるのか? 野球」
「そろそろ引退だよ。一応、松坂世代だし」
「松坂の方が1個下だろ」
「それ、マスコミのせいだよ。世代って普通10年区切りだろ。松坂の同級生や大谷の同学年しか“松坂世代”“大谷世代”って呼ばないのは変だって。まともな記者や新聞社やテレビ局がいないんだ」
「確かに。みんな“裸の王様”で正しいと思ったことが言えない風潮だ。だから、ちょっと活躍しただけの選手にも敬語で話しかける。丁寧語で十分なのに、自分に確固たる自信がないから卑下するんだな、自らを」
「将棋の藤井七段にも敬語使ってた女子アナがいたな」
「アクセントとかイントネーションとか気にする前に、そこだって」
「やるか?」
武士は話題を変えて、ビールを飲む仕草で祐輔を誘った。
「いや、きょうは帆夏ちゃんの相談に乗るために来たんだ。酒飲みながらじゃ失礼だろ。お前もだぞ」
祐輔は武士にも釘を指した。
「帆夏は、学校で飼っている鶏の飼育当番らしい。間もなく帰って来る」
「ああ。これお土産。アップルパイとコーヒー豆」
「ごめんなさいね、気を遣わせちゃって」
祐輔から受け取った袋をのぞき込んだ千秋が思わず声を上げた。
「えっ、ゲイシャ種? 高いのよ、この豆」
「ちょっと郊外の喫茶店なんだけど、人づてに紹介されて寄ったんですよ」
「『じゃまあいいか』だって。適当なネーミングね」
「コーヒー豆の産地のジャマイカに掛けているんだろう」
ダジャレ好きの武士には、気持ちの分かる店名だった。
「分かるわよぉ、そのくらい」
「ただいま~」
帆夏が帰宅したらしい。
「玄関の革靴で、祐輔の訪問に気づいたのだろう。
「おじさん、ごめんなさい。遅くなっちゃった」
リビングを覗いた帆夏に
「ほら、手洗って着替えて来なさい。祐輔さん、夕ご飯、お素麺なんだけど?」
「おいおい、夕食時にお客呼んでおいて、素麺かよ」
「いやいや全然、OK牧場です。暑かったんで丁度いいですよ」
食卓に涼し気なガラスのボウルに氷の張った素麺と、錦糸卵や焼き豚、キュウリの千切りなど、冷やし中華にも合いそうな具が並び、生姜やミョウガ、小ネギの薬味も添えられた。
「田んぼアートやりたいんだって?」
部屋着に着替えた帆夏にさりげなく切り出した祐輔。
「オリンピックで外国からも大勢人が来るでしょ、インバウンド。で、期間中ずっとオリンピックばっかり見ないでしょ、普通。チケットもいい値段するし。多くは京都とか富士山方面に行くんだろうけど、東北にも呼べないかなって、岩手の友達が相談されて」
「なるほど。オリンピックは7月下旬からだから、草丈が延びて図柄が浮かび上がる田んぼアートはピッタリかもしれないな」
「でも、東北の田んぼアートって青森の田舎館村とか山形の米沢市は有名だけど、福島から宮城、岩手の被災3県はどうなのかなって」
会話をしながらの夕食には、喉越しのよい素麺がピッタリだった。
「理想のイメージは東北新幹線の車窓からも鑑賞できるアートらしいんだけど…」
「帆夏、遠慮しないで、ちゃんと伝えないと」
千秋が発破をかける。
「後、新幹線の沿線だけじゃなく、せっかく夏祭りの時期だから青森のねぶたと組み合わせたり、宮城の七夕や日本三景の松島観光とセットにしたりできたらアピールできるかなって思うのよね」
「セットで売り込む作戦だな」
「秋田の竿灯や大曲の花火も有名でしょ。私は、花火だったら上越新幹線で長岡の大花火も行けるんじゃないかと思うの」
「栃木だって、宇都宮近郊でアートが作れれば、日光は元々、外国人にも人気があるしな」
「なるほど、点になっている観光名所や大きなイベントを線でつなげるって発想は面白いね。オレも知り合いの農家に声を掛けてみよう」
祐輔も乗り気のようだ。
「どうせ予算はないんだろうから、人海戦術だな。草の根作戦。五輪で関東近郊だけ盛り上がるのは悔しいからな。東北ならではの“お・も・て・な・し”作戦だ」
「じゃあ、景気づけに一杯か?」
「いいわよ。私の前で我慢してたんでしょ」
話を聞いてもらった安心感と岩手の駈にもいい報告ができそうな予感に、帆夏もリラックスできた。
「帆夏、祐輔さんからアップルパイいただいたから、私達はコーヒータイムよ」
ビール瓶とグラスを用意しながら千秋。
「おじさん、ありがとう。遠慮なくいただきます」
帆夏は祐輔に両手で軽く手を合わせると、チョコンとお辞儀をした。
「祐輔、お前あづま球場の人工芝化はどう思う」
帆夏の相談が一段落して、武士が話題を変えた。
「ああ。去年、IOCのバッハ会長と安倍総理が視察したんだよな、球場」
「あれはただのポーズだろ。復興五輪をアピールするだけの。人工芝は時代遅れだし、オリンピックの後もあそこを利用する球児たちの身体や将来のことを考えたら絶対、天然芝だと思うんだ」
ビールと酎ハイが回ってきた勢いで、武士も饒舌になる。
「オレも賛成だ。ただ、それは農協じゃなく県に相談するしかないな。でも、工事は間もなく始まるんじゃないのか」
「なあに。一旦、工事を停めて内野とファール・グラウンドだけ天然芝にするんだから、時間はまだ十二分にあるさ」
「まあな。IOCとか日本の組織委会は大丈夫かな」
「バッハもコーツも野球やソフトボールなんて、そもそも興味ないんだよ。2024年のパリ大会では正式競技に採用しないだろうし」
祐輔もIOCには批判的だ。
「球場前に座り込みでもするか」
「なんか辺野古の米軍基地移転反対みたいだな」
「それと比べるのは失礼だろ」
「悪かった」
「素直か! 誰に謝ってるんだよ、武士」
祐輔に賛成してもらって、武士はご機嫌だった。
「ハイ、ハイ。あなたは帆夏たちと“お・も・て・な・し”に専念するのよ」
千秋が酔った武士のグラスを取り上げた。久しぶりの幼馴染みとの酒盛りで桜田家の夜は更けていった。
オムニバス小説 ラブオールⅢ 40-0 鷹香 一歩 @takaga_ippu
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