2201/7/25/08:40 棗
地下の居住エリアを抜けて一般の住宅区画に入ると、外の様子は普段とはまるで違っていた。
家にいた一般住民がみんな外に出て徒歩で避難しようとしている。室内用のラフな服装のまま直射日光を浴びるのも構わず、出来るだけ迅速にここから離れようと必死だ。
小さい子が泣く声。
誰かが誰かを呼ぶ声。
地下から来て立ち尽くすわたしたちの事なんか誰も構いやしない。目もくれない。周辺の住宅に破壊された様子は見られなかったけれど、やがてここが攻撃されるのも時間の問題だと判断したのかも知れない。
「またさっきみたいのが来ると思う? 」
ケルスティンは息を整えている。
「大丈夫だと思う。多分あの派手な爆発は威嚇も兼ねてるんだ。もっと静かで効果的な殺戮兵器は幾らでもあるから。ロシアは宣戦布告のつもりなんだろ」
見ると、遠くに白い煙が立ち上っていた。
「──やっぱり。あそこ、センターだと思う」
わたしもあの方向はセンターのある場所だとすぐに分かった。
私たちはまた走り始めた。住民が逃げるのと逆の方向──爆撃地のセンターに向かって。
空き土地を越えればその先はいつもの散歩ルートだ。網目のように細かく張り巡らされているその道を、どう進めばどこに突き当たるか、わたしはもうすっかり把握している。わたしたちは走る。猫のようになって。できるだけ素早く。
*
センターは濁った煙に覆われていた。
周りには誰もいない。ただもくもくと視界を阻む煙だけがわたしの視界にある。何だか嫌な匂いがする。明らかに、センターを意図的に狙って攻撃したのだと思わせる破壊のされ方だった。
本当にここに、破壊兵器が落とされた。
──本当に戦争になったんだ。
事故対応のレスキューチームはまだ到着していないようだった。
ロイを先頭に瓦礫の山を不安定に歩く。色色が信じられない。
ここは本当に間違いなくセンターなのだろうか。昨日、この同じ場所にはいくつものどっしりとした建造物があったはずだ。わたしはそのE棟の四十階の角部屋でずっと寝起きしていて、昨日窓を確かに伝って屋上へ出たはずだ。
嫌な匂い。
煙。
しゅうしゅうという音や、崩れた瓦礫が更に崩れる音。
「駄目だ」
ロイが振り返る。
「入らない方がいい。また崩れるかも知れない。生存者も──」
「でも」
心臓がざわつく。
「でも、行かなきゃ」
わたしは堪らず走り出した。
「馬鹿危ないよっ」
ケルスティンの叫び声が聞こえたけれど、構わず走り続ける。
行き着いた棟の一階部分は、崩れないで少しだけ残っていた。たぶんこの辺りは
──ここなら。
もしかしたら誰かが中で助けを待っているかも知れない──そう思った。わたしはいつからこんなに大胆になったのだろう。
「誰か、いますか」
声が掠れた。返事はない。更に内部へそろりそろりと入っていく。怖いほど静かだ。崩れかけた廊下は薄暗く、わずかに光が差している程度で様子がよく分からない。
「危ないって言ったじゃん! 」
ケルスティンとロイが追いかけて来た。
「何このエリア。ちょっと怪しくない? センターってこんななの」
「わたしもここ、あんまり来た事ない」
ロイは建物内をぐるりと見回している。
「ここだけ特に頑丈に造られてるのかな。この辺だけそんなに崩れてない」
三人で廊下を少しずつ進んで行った。角を曲がる。
突然だった。
そこに、それはあった。
──何?
最初、何かが置いてあるのかと思った。
たくさん何かが積み重なって置いてあるのかと思った。
たくさん。たくさん。
ロイは急に立ち止まった。ケルスティンは息を呑む。
それは先端が手のような形をしていた。
ではなくて、
──本物の手だった。
うつ伏せになって、腕を伸ばした変な格好で。
「──死んでる」
ロイが淡白に事実を述べる。
これは。
これが。
死──なのか。
嘘。嘘。嘘。
「だってこんなにたくさん──」
「ナツメ」
ケルスティンはわたしのユニフォームを引っ張って後ろに退かせた。
「見ちゃ駄目。お前の知ってる人もいるかも知んない」
「知ってる人──? 」
わたしは動けなかった。意味が分からない。震えが止まらない。
──あれが、死。
死んだ人を見るのは初めてだった。
死んだ人は、モノみたいだ。
──この匂いは死人の匂い。
人の死は、画像で見るのとは全然違う。あれはわたしにとってフィクションと同じだから。だから平気で見ていられたんだ。実際はこんなに異常で、こんなに呆気なくて、こんなに──。
耐え切れない。
耐え切れなくなって、蹲み込んだ。
「帰ろう」
ロイが促す。
「立てる? 」
ケルスティンがわたしの顔を覗き込む。
立てそうもなかった。ふるふると首を振る。
「ほら」
ケルスティンが差し出した手をわたしは縋るように掴む。そうして、なんとか立ち上がることが出来た。
ロイは引き返すルートに慎重になっているようだった。再び屍体に出くわさないように配慮してくれているのだろう。俺が良いと言うまで来るな、という彼の指示をわたしは夢の中のようにぼうっと立ちながら聞いていた。
──わたしはどうしてここでこんな事をしているんだっけ。
わたしはどうして生きているんだっけ。だってわたしは本来ここに住んでいた子なのに。センターの子なのに。さっき見た人みたいになっていてもおかしくなかったのに。
──わたしが、家出なんかしたから。わたしが。
悪い子だから。
だからこんな風になった。だから戦争になったんだ。
「ぼうっとしちゃ駄目だって」
耳元でケルスティンがそう言ってわたしの背中を叩く。
「いい。今ぼうっとしたらろくでもないこと考えるから。それ全部間違いだから、何考えてるか知んないけど。とにかく脱出することだけ考えな」
わたしは瞬きを繰り返して馬鹿みたいに頷くことしか出来なかった。どうしてケルスティンはそんなことを知っているんだろう。もう経験したことみたいに。
ロイの指示に従って慎重に引き返し始めたとき、わたしは違和感を感じて足を止めた。
「何」
──まただ。
誰かが呼んだ気がしたのだ。正体の知れない、酷くか細いテレパシーめいた呼び掛け。
誰かを呼んで、誰かを待っているような。
──ここにいる?
「誰か──生きてる」
ケルスティンは首を振った。
「みんな死んでたじゃん」
でも、どこかで生きてる、多分。
「あのドア──」
わたしは真っ直ぐ右前方を指差す。来たときは気づかなかったけれど、ドアがぽつんとはめ込まれていた。
「やめときな」
「お願い」
おねがい、と繰り返す。
「平気だから」
わたしは必死になる。なぜかあの気配を無視できない。
「ドア、開けるだけでいいから」
そこに気配の正体はないのかも知れないけれど。
「そんなに言うんなら」
そう言ったのは、ロイだった。初めてわたしに向かって喋った。
「じゃあ、開けたらいい。でもそしたらすぐ帰るから早く済ませな」
「うん」
わたしはドアに走り寄った。カードは持っていないけれど、壊れているから、
──きっと開く。
ドアに触れた。左側へ寄せるように力を入れる。ガッという鈍い音と共にドアは開いた。
「何も、ないね」
それは、がらんとした小さな部屋だった。右半分が天井から崩れて傾いている。
四角いベッドと四角いスクリーンの殺風景な部屋。
それから、棚。
衝撃で飛び出したのだろう、何冊かの本が一箇所に重なり合って落ちている。
「うわ、古。紙の本だよ」
今はたいていの文書がペーパーレスで、わたしも紙の書籍などアーカイブエリアでしか目にしたことがないので不思議で物珍しい。
そっと中に入る。部屋の中を見回す。わたしの期待とは裏腹に、室内には誰もいないようだった。
間取りは本棚がある以外、わたしの使っていた部屋とほぼ同じ。この造りは職員用でも来客用でもない。センターの子どもが使っていたのだろうか。
でも妙だ。
国有未成年の居住エリアはD、E棟の二階からときちんと区画が決まっていたはずだ。こんなところにひとつだけぽつんとあるこの部屋は一体何なのだろう。
「ナツメ」
わたしの後ろから部屋を覗いていたケルスティンが背中越しにそっと呼んだ。
「そこ」
「え? 」
わたしは示される方向へ向き直った。ベッドと、壁の隙間に。
「あ──」
いた。
──長い髪の毛。
それは動いた。
「生きてる──。生きてる」
俄かにわたしの体内の血流が激しくなった気がした。
それは、少女だった。
長い黒髪を背中に散らして、少女がそこに倒れていたのだ。
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