2201/7/24/10:31 棗

空気がいつも以上にぴりぴりしている。肌で感じ取った。

間近にいなくても、直接話していなくても、分かる。

それは、歩き方。顔の表情。職員同士が普段より密にコンタクトをとる様子。自室の窓ガラス越しにわたしはそんな様子をじっと観察している。



暇を持て余していた。

部屋には誰もいない、ひとりだ。でも空き土地にいるときに感じることの出来るひとりとは違う。

管理されたひとり。

ひとりでいる、というのとひとりにされている、というのは全くの別物だ。四角いスクリーンと四角いベッドのこの部屋では、楽しいことを色色思い巡らすことも、空想に耽ることも難しい。

二日前から、わたしは軟禁されている。

あまりにも無断外出を繰り返すという理由で、しばらく部屋から出ることを禁止されてしまった。レクチャーにすら出席させてもらえない。とはいっても、一つ所に集まって学ぶ意義というのはレッスン内容がどうのというのは関係なくて、子どもたち同士の健全な交流のためというのが目的なのらしいから、わざわざスタディルームに行かなくたって、スクリーンさえ繋いでいれば問題なくレクチャーを受けることは出来る。トイレもバスルームも部屋にあるし、食事や掃除や洗濯はヘルパー職員がやってくれるから生活してゆくにはこのスペースでこと足りてしまう。そのことを改めて認識してしまうと本当に味気がなかった。



──二日前。

散歩から帰ってきたわたしを見つけた日菜子さんは予想通り冷ややかでうんざりとした目でわたしを捉えた。彼女はもう我慢の限界なのらしかった。

なにも言わずにわたしの腕を掴むと、早足で歩きだした。

ぐんぐん歩く。

連れて行かれたのは、スタッフエリアだった。だだっ広い間取りに沢山のデスクが配置されていて、機器やスクリーンが並んでいる。幾人かの職員がスクリーンでなにやら作業をしていた。

──仕事をするって大変だな。

自分の状況そっちのけでそんなことを思う。わたしは今何もかも誰かに世話をしてもらって生活しているけれど、将来はちゃんとした大人になれるのだろうか。しかも、センター出身の国有人材らしく何でもてきぱきとこなす、日本の社会を支えられるような大人に。実のところ、今のわたしがやっているのはそれとは真逆のこと──規則を守らずに職員の仕事を増やすこと──なのだけれど。

「付いて来なさい」

日菜子さんは振り向かずにそう言うと奥の方へ歩みを進める。一番奥でスクリーンに向かっている女性職員のところで彼女は止まった。

「マキさん」

マキさんと呼ばれたその人は作業の手を止めずに「何でしょうか」と目だけを上げてこちらを見た。

「先日お話しした未成年ですが」

彼女は手を止めて椅子ごと向き直った。

「ああ、例の」

「すみませんが私の手に負えないもので──。後はお任せしますので」

宜しくお願いします、と日菜子さんは一礼したかと思うとわたしに一瞥もくれずにそそくさとスタッフエリアを出て行ってしまった。付いて行くタイミングを逸して彼女を見失ってしまったわたしは途方に暮れておろおろと立ち尽くす。

「担当者が変わったの」

マキさん──という職員の声にわたしは振り向いた。

「よっぽど解放されたかったみたいだね」

「え? 」

「ああ気にしないで」

私は真希まきといいます、手渡した名刺の文字が見えるように差し出してその職員は改めて自己紹介をした。黒いショートヘアとすっきりした鼻に目がいく。はきはきとした話し方の、理知的な雰囲気の人だった。

「今日から新しくあなたの事を担当させて頂きます。ここにある通り、保護職員に加えて生活指導係もやってるの。早速だけどあなたのこと指導させてもらうね」

理解が追いつかず固まっているわたしに、彼女は事務的にそう言った。

「カードいい? 」

困惑していても、求められればオフィシャルカードを取り出す手はするりと滑らかに動く。真希さんは受け取ったカードをスクリーンに翳して読み取った。

「棗さんね。6Cー3G──ああ、無断外出すごいなあ、これじゃあ──」

真希さんの独り言を聞く段階に至ってわたしの理解はようやく追いついた。つまりわたしは『ケアチャイルド』扱いになったということか。言動に問題のある子は特にきめ細かいケアが必要ということで、生活指導係が受け持つことになっている。ケアなんて呼び方だけれど、言い方が異なるだけで要は問題児ということだ。だから真希さんの「これじゃあ」に続く言葉はたぶん、「日菜子さんが手に負えないのも無理はない」といったところなのだろう。

「棗さん」

真希さんはやっとデータではなくわたしの方を向いた。

「どうして無断外出が良くないのか、何回も説明を受けていると思うんだけど」

受けている。

「──はい」

「まず危険。この近くには工業用の道路もあるから大型車が沢山走ってる。基本歩行者は入れないようになってるけど、もし入ったら相当危ないからね、結構スピード出してるし。あとは、犯罪に巻き込まれる危険もある」

それから──彼女は続ける。

「それから健康被害ね。今は熱中症の心配もあるし、厚生省が推奨してる一日の外出時間知ってるでしょ。なるべく三十分以内に収める事って。地下の人たちなんかはそれが出来ないから寿命が短いわけだし。早死にしたくないでしょう」

「──はい」

「それに、これは基本だけど定められてる決まりを破るというのは良くないよね。分かってるでしょう」

「──はい」

分かっている。ちゃんと分かっている。真希さんの話は筋が通っているし、すごく分かりやすい。

──なのにどうして。

わたしは心の中で困ってしまう。分かっているし、迷惑をかけたくないと思っているのに。それ以外の決まりはちゃんと守れるのに。なぜどうしても外へ行きたくなってしまうのか、その理由が自分でもよく分からない。だから「もう外へは出ません」と自信を持って言うことが出来ない。

──根本原因についてじっくり話し合いましょうか。

そんな風に言って欲しいなあ、わたしは真希さんの首元のほくろを漫然と見つめながらぼんやりと思う。大人の人が急かさないで、わたしの話にじっくり耳を傾けてくれたなら、無断外出を繰り返す原因だってきっと判明するに違いない。だって大人は子どもよりずっといろんな事を知っていて、いろんなことが出来るから。そんなものは甘えで、一人の未成年だけに特別扱いは出来ないことも知っているけれど。

そう、甘え。

こんなに整った環境で、こんなに恵まれた教育を受けて、着る物も食べ物にも困ったことはないのに。ここを離れたらどう生きていくかも分からないのに。わたしはただ甘えているだけの子どもだ。

でも、とはっとする。ケアチャイルドになってしまったのは恥ずかしいけれど、今ならちょっと特別扱いしてもらえるのかも知れない。わたしの話を、もしかしたら聴いてもらえるのかも知れない。思わず真希さんの顔を見たら、気づいた彼女は口元で微笑んだ。あ、とわたしは言いかけて、けれどそれから先は少しの言葉も出てこなかった。

「それでね。ここからが本題なんだけど」

まごまごしているわたしに気づかず、真希さんは言葉を続ける。

「何回か注意を受けても行動を改めない未成年については、一時的に生活指導係が自由を制限して良いことになってるの。未成年保護法に基づいてね」

棗さんのカードはしばらく使用停止にします、そう彼女は言った。

「部屋にロックをかけるからね。当分のあいだ外出禁止」



そういうわけでわたしは窓にへばり付いている。

窓の外の変化が、わたしの世界の変化だった。ここからは隣接するB棟内の様子をつぶさに観察することが出来る。

──合同レクチャーの日だからなのかな。

職員の空気がぴりぴりしているのは。合同レクチャーとなると少し慌ただしいのかも知れない。

センターに住んでいない子──一般の家庭の子──は、週に三日ここに通って来る。そういう子たちもセンターの子も、みんな同じグループでレッスンを受ける。あまり話したことはない。と、いうよりも必要に駆られない限り誰ともあまり話したりしない。大概みんなそうだ。何を話したらいいか分からないし、興味も持てない。

ただ、センターの子と通って来る子の違いはカラー指定のユニフォームに頼らなくとも何となく分かる。

通って来る子は顔の表情が少しだけ豊かだ。そうじゃない子もいるけれど、大体そう。挨拶の時にちょっと微笑むとか、驚いた表情とか、泣くとか。あの子たちがどうしてそんな風にするのか、わたしにはよく分からない。そうすることに何の意味があるのだろう。それともそれは、自然に出てくる仕草なのだろうか。

二日前に、いつもの空き土地で出会った子──ケルスティンとかいう子──も、とても器用にくるくると顔の表情を変えた。

目を見開く。声を出して笑う。じっと見つめる。

きっと彼女も一般家庭の子なのだろう。

──センターの子でしょ。

そんな風にも言っていたから。

正直、わたしは少し怖かった。あの子が遠慮もしないでわたしの中にずかずか侵入はいってくるようで怖かった。気が強そうだった。

──でも。

たぶん、もう会わない。わたしは部屋に閉じ込められているし、この状態がいつ解かれるかも分からない。解かれた時にはわたしは無断外出を二度としない従順な子になっていなければならないわけだから。

そこまで考えて、ふと気づいた。

──週三日はセンターに来るのか、あの子。

なにも会うのはあの区画の端っこの空き土地だけとは限らない。この近くに住んでいるのだろうから、きっと通うのもここのセンターだ。グループメートの顔なんか覚えていないけれど、年齢も同じくらいに見えたから同カリキュラムなのかも知れない。十分あり得る。

別に嬉しくはない。と、いうか気まずい。会ってもどんな反応をして、何を話せばいいか分からない。自然な笑顔で他人に近づく能力はわたしには備わっていない。

窓に顔をぎゅうと押しつけて、わたしは出来るだけB棟の内部を覗こうとした。ケルスティンの姿を確認できるのならそうしたかったのだ。

──やっぱりいつもと違う。

棟内の、音もないのに騒騒した感じ。ぴりぴりした空気。合同レクチャーだから、というだけではどうやらなさそうだった。職員の表情は明らかに険しい。何かが起こっているらしいけれど子どもたちには悟られないようにしている感じ。離れた場所から客観的に観察できる立場のわたしに、それははっきりと分かった。

──何かあった。

なぜか胸騒ぎを覚える。心臓は活発に鼓動した。

そのとき──。


誰かが呼んだ気がした。


ひどくか細い、男なのか女なのか、子どもなのか大人なのかも分からないような朧さで──。

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