第35話

夏南はイルタの尾が直撃する瞬間横に跳び、術識で身体能力を人間に押し止めている拘束を解除すると破砕された地面の破片に紛れて病院の壁へと跳ぶと、龍の頭上へ向かってもう一度跳んだのであった。

 手首を返して刀の切っ先を下へと向ける。狙うは龍の額、その奥にある脳。強力な龍とて生き物であり限り弱点は存在する、神経を通じ四肢を駆動させ更に術識を産み出し、術識界から現実世界へと顕現させる回路と計算機の集合体、即死以外なら破壊された心臓すら再生してする龍と戦うならそこを優先して狙うのが定石だ。

 だが龍側もそれを本能レベルで察しており、狙うには死の危険を背負わねばならない。

 術識の使えない夏南、重力任せの自由落下中に方向転換などできはしない。覚悟を乗せた切っ先が届くよりも先に龍に察知されてしまった。龍の鼻先で術識が発動、その頭部半分程の大きさの水の玉が生成されると夏南へ向かって頂点が高速で発射、全体が一本の柱になると瞬時に凍結、まるで漁師が使う銛のようになり空から来る敵へ向かう。

 刀の切っ先付近の腹に左手を当てた夏南は、氷の銛と接触した瞬間に刀身を押し当てた。刀身を逸らすと円錐形の頂点を滑り、夏南の落下の軌道が変化し衝突を回避。体を回転させ脚を下に向ける、そして氷の銛と入れ替わるように龍へと落ちると構え直した刀を振り下ろした。

 刀ー水風の切っ先が龍の腹を切り裂く、龍は咄嗟に体を引いて頭を守ったのだ。

 両足に衝撃、夏南は膝を折り曲げて衝撃を緩和、龍の前で隙を生んでしまう。

 顔を上げると、龍が前に出ると同時に右手を抜き手の要領で突き出して来ているのが見えた。鋼以上の硬度を有する龍の爪、軍用の戦車ですら切り裂く凶器が迫る。隙は生んだ、夏南は地面を転がり爪を回避、立ち上がると破壊された診察室から伸びる一本の水の線が龍の右手を一直線に走るのが見えた。

 美冬の放った術識だ、座学だけとはいえ行きなりの対竜戦で前衛戦士の動きに合わせたのだ、流石我が妹!

 負けじと夏南も刀を構えると、こちらの動きを察した龍の目がこちらを捉えた。美冬の術識は腕の鱗を削りながら登りもうすぐ鱗の薄い首へと到達する。術識と物理攻撃、どちらかを防いだ瞬間、もう一方の攻撃を受けることになる。

 龍は躊躇などしなかった、身体を捻り夏南へ向き直ると水の刃に身を斬られながら突進。夏南は後方へと跳ぶが、前髪を追い縋ろうとする龍の鋭い爪が掠める。美冬の術識よりも対龍刀を持った人間が脅威と判断したのだ、目論見通りだ。

龍の前進は止まらず、空を斬った手と入れ替わりに反対の爪が水平に振られる。夏南は後ろへ逃げながら刀を上段に構え防御を捨てる。龍は今、術識を浮力と推進力に回しているので、こちらに迫る爪を動かすのは筋力のみ、つまりは小細工なしの一直線の横薙ぎ。

夏南はタイミングを合わせて地面を強く蹴ると、爪の攻撃範囲から紙一重で逃れる。夜の大気を切り裂き爪が高速で眼前を横切る。息を飲み刀を振り下ろした、刃が龍の右手四指の内人間で言う親指と人差し指の鱗と肉を切り裂いた。

浅い、体重の乗っていない刃は軽く指の骨を断つことはできなかった。夏南は横に跳んで龍の軌道から逃れる。龍は病院の外壁に当たる直前で術識を使い減速、更に慣性を殺すと緩やかな蜷局を巻いてこちらに向き直った。

「幾ら龍でも斬られれば痛いのよ」

イルタが斬られ血を流す右手を責めるように夏南へ差し出す。

「知ってるよ、直ぐに治る事もな」

吐き捨てるように夏南が言うと、龍が詰まらなさそうな目で右手を見つめた。傷口から除く肉が蠢き増殖、一瞬で骨を覆い鱗となり斬られた跡が消失する。人間なら苦悶の声を上げる傷でも、龍は触媒も補助具も無しに治してみせる、斬るならやはり首しかない。

背後で術識が発動、夏南の頭上を飛び越え氷の槍が四本龍へと殺到、しかし一瞬で発動した不可視の壁に阻まれ砕け氷片へと変わる。

「嘘!」

肩越しに振り返ると、破壊された診察室から飛び出して走っている美冬が驚きの声をあげた。

砕けた氷片は地面に落ちる事無く白い火の粉の如く、宙を舞い水に戻る事無く消えていく。

美冬の実力を以てしても、龍相手では術識の構成も出力も圧倒的に下回る。人と言う枷を捨てたイルタの防御術識は強力で、防がれた挙句その余波に干渉され、氷の槍は生み出した術識ごと無効化されてしまったのだ。

この結果など既に見通していた龍は重力操作の術識を発動、白い火の粉を一瞬で切り裂きこちらに迫る。

速い、龍の体が銃弾の如き初速で迫る、至近距離、大きく回避は出来ない。夏南の視界が一瞬で龍に占拠される、脳が恐怖で瞬間沸騰し本能から全身の筋肉を収縮して防御しようと命令を出そうとする、しかし夏南の意思が上書き、身体を瞬時に横へ移動し大質量の軌道から逃れる。

龍が地面に激突、接触の瞬間僅かに上げた顎によって中庭の土に突き刺さる愚行を回避、バウンドするとまるで列車のように夏南の視界の端へと流れて行く。

夏南は片足を軸に全身を右へと捻る、刃を龍の進行方向と水平にさせ高速で動く鱗、龍の左側面に切っ先を突き入れた。

ガリガリガリ!

大気に触れ乾き本来の硬度を取り戻した鱗を、術識で強度を増した牙龍鋼の刃が切裂き続けると、まるで金属が互いを削り合うような甲高い悲鳴を上げた。

夏南は刀身を更に押し込もうとしたが、視界の端に煌めく何かを確認すると、慌てて後方へと跳んだ。

「痛!」

右腕の中程に熱、見るとシャツの袖が切られ、その下の皮膚と肉が親指程の幅で削がれ出血していた。

龍は夏南のカンター攻撃を逆に利用して、尾に近い身体の左側面に瞬時に腕を生成、慣性を乗せた爪の一撃でこちらを切裂こうとしたのだ。

術識による体細胞変化を利用し四肢を増やすことは人間でも可能だが、馴れないと操作が凡雑となり、それを克服しても制御する脳に必要以上の負荷をかけるので実戦的な使用方法は殆ど存在しない。しかし、人を凌ぐ身体能力を有する龍は状況に応じて使ってくるのだ。先ほどの攻撃も推進力に使った術識がもっと低出力であったなら、腕はもっと長くなり回避の仕方によっては死んでいた可能性が高い。

 これだから龍は厄介だ、対応できるのは俺みたいな龍殺しくらいだろう。

恐怖を使命感で塗りつぶして強制的に身体を動かすと、夏南は中庭の反対側へと飛び去った龍の背を追って地面を蹴った。

 手応えが無かったことは既に承知の龍は術識で重力を操り急旋回、蜷局を巻くがそこに美冬が放った氷の槍が迫り弾け弾け雹へと変わり降り注いだ。

自己の術識が龍に通じない場合は足止めに徹せよ。教本通りの戦術を美冬は取ってくれている。夏南は更に加速し龍の胴へと横薙ぎの一閃を入れようとする。

氷片が術識の隣火となって龍の姿を一瞬覆い隠した。その白い幕の端で何かが動くと、建物が崩れる音が耳に届いた。構わず斬りつけようとした夏南だが、次の瞬間、燐火の幕を破り高速で何かが飛び出してきた、硝子に木片に布、龍が背後の建物の外壁を剥ぎ取り砕いた物を投げつけてきたのだ。

美冬の攻撃を、今度は高速で向かってくる夏南の迎撃に利用したのだ。

夏南は攻撃を止め左に飛んで回避、木片の幾つかは刀で叩き落せたが、細かいガラス片が右腕と右足を掠めていった。

術識の燐火が晴れる、龍の体に新たな術識の気配。もう一度、飛翔しようとしているようだ。突進攻撃をするのか、龍の顔がこちらを向くと笑い視線を別な方法へと向ける、その先は……。

「美冬逃げろ!」

龍の意図を察し夏南は叫んだ。

横目で美冬の姿を探す、彼女は病院の中庭から庭園へと続く道の前に陣取っていた。

大声で発した警告は、戦闘慣れしていない美冬の体を強張らせてしまう結果をもたらした。龍は既に飛翔、空を斬る一本槍となって彼女へと迫る。夏南は地面を蹴りつけると一気に加速、だがこの速度では美冬を抱え攻撃をかわすことなど不可能である。

「イルター!」

龍の名を叫びながら、その顔へと夏南は体当たりを加える、龍の軌道が美冬から逸れた。夏南は口に刀の刃を咥えると、両手と両足で龍の首へと絡みつくと全身の力を込めて締め上げた。幾ら強靭な鱗や筋肉の鎧を纏っている龍とて、体内の臓器はそれらに比べれば脆弱である、気道を潰される、その事実を前に龍は軌道修正を忘れそのまま診察室に飛び込むことになった。

床に鼻先から激突し、自らが使っていたデスクの残骸に止めの一撃を加え破砕する。その後、一度大きくバウンドすると廊下と診察室を仕切る壁に激突して停止する。

 夏南はというと龍の首から手を離さなしてはいなかった。ピンチから掴んだ好機、このまま喉を潰すつもりである。しかし、人間である夏南の身体は龍と建物に挟まれ重傷を負ってしまった。背中と頭部には打撲、見えないが右腕と左脚には熱、経験上、皮膚や肉が削げ骨が露出して非戦闘員なら気絶しかねない激痛を脳へと流し込んで来る、このままでは龍を絞め落とすことなど不可能である。

 刀は床に落としてしまった、拾おうと手を離せば一気に喰われる、好機がまた危機に変わる。

顔を上げると龍と目が合った、人の身で建物に突っ込んだらどうなるのか、医者としての知見を持つ龍は夏南の状態を分かっているのだろう、急所を押えられているのにこちらを見下す余裕が浮かんでいた。

「俺たちがなぜ、龍討伐御三家と呼ばれているのか教えてやるよ」

夏南は使うことが出来る術識から『開放』を選び発動させる。これは自身の体に遺伝子レベルで組み込まれた龍の機能を活性化させる為の術識である。抑制から解放された龍の細胞が軌道、自身の傷を感知すると幹細胞を使い失った皮膚や肉、神経や血管に破損した骨を再生させる。

 龍の目が驚愕に染まる、他者、しかも種族の違う生き物の組織を無理やり人間の体に移植する。自身が行い成功しなかった実験結果が目の前に現れたのだ、当然の反応だろう。

「お前たちはそこまでして我らの力を欲するのか!!

意地汚い龍殺しめ!」

「そうまでしないと守れない人が俺には居いただけだ!」

脳裏に浮かんだ美冬を消すと、夏南は龍の器官を砕く為に四肢に力を込めた。龍は頭を振り夏南を引き剥がそうとする。隙を突いて頭蓋骨と背骨の付け根に夏南は移動、ここなら龍の手も届かず、天井に頭部を叩きつけたとしても頭部の凸部分が先に当たりある程度身を守れる。

龍の口から苦悶の声が漏れると、今度はその全身がピンと張られたワイヤーを切った瞬間のように、診察室内で暴れ狂った。

先の戦闘で被害を免れた壁の棚や医療器具が置かれたテーブルが一瞬にして破砕、夏南は身を捩り致命傷を避け続けたが、運悪く龍が壊したランプの中身の燃料を左手に浴びてしまった。

「く!」

中身をまき散らしたランプの火は消えていた、しかし龍の鼻がまだ火が着いていたランプを壊すと火の粉が夏南の左腕に降り注いだ。

エタノールとメタノールの混合液に引火、1400度の以上の高熱が肌を焼く。

アルコールを使う診察室で幾つもランプを灯していたのは、気化爆発させ夏南と美冬一瞬にしてつもりで用意していたのだろうが、使わなかった罠が今獲物の一人へ牙を剥いたのだ。

焼かれる傍から夏南の左腕は再生していき、絶え間ない痛みを訴え続ける。奥歯を噛み締め激痛に耐えていた夏南であったが、左腕が壁と龍の鱗の間に運悪く挟みこまれてしまう。龍はそのまま前進、首を締める夏南を壁に擦りつけると、一瞬拘束が緩んだ隙を突いて回頭、術識を使い加速し一気に狭い診察室から飛び出してしまった。

「兄さん!」

龍の首に組み付いたまま共に外へ出た夏南は、手を出しあぐね外で見ていた美冬の側を通り再び中庭へと戻って来てしまった。

ここで龍の首を再び絞めれば、今度は高度を取られ地面に叩きつける攻撃をしてくるに違いない。

夏南は龍の首から手を放すと、地面に向かって龍の体を蹴った。

上下逆さまになったまま下を見ると、龍が術識を発動、自身の周囲に瞬時にして無数の氷の槍が生成されると、こちらへ向かって一斉に発射された。

夏南は体を回転させ地面に足を向けた状態で氷の槍を迎撃する。迎撃と言っても刀は手元を離れている、術識も使えない以上素手でするしかない。一早く発射された氷の槍が胸目掛けて飛んでくる、夏南は距離を速度と距離を測ると、槍の側面に右手の甲を当て軌道を変えかわしたのであった。

無論槍は一本ではない、物量で押す攻撃で荒い狙いは夏南に当たらぬ軌道を多くの槍に取らせたが、かなりの数が宙を落ちる人間をひき肉に変えようと高速で迫る。

夏南は左右に身を逸らし、時に脚や胴を折りかわしながら、直撃しそうな槍だけを四肢を使ってかわしていく。

かわし切れない氷の槍に幾度も切り刻まれながら、夏南は中庭へと着地、詰み一歩手前の状況を体一つで乗り切った、かに見えた。

幾らその身に龍の身体機能を宿しているとは言えこの世界に存在する以上、物理法則からは逃れられない。着地の衝撃を吸収する為に膝を畳むと、一瞬身動きが取れない時間が生まれた。そらを見上げたままの夏南の目が、一斉に襲い掛かる氷の槍の一団を捉えた。

第二波ではない、龍から新たな術識反応は無かった。生み出した氷の槍を二つに分けて、時間をおいて撃ち出したのだろう。夏南は地面を転がり回避行動を取るが、氷の槍の攻撃範囲からは出られない。

上空から飛来する氷の槍たちは一斉に中庭へと降り注ぎ、地面を抉り観賞用の花や薬草が植えられた花壇を次々と破壊していく。土とレンガ、そして氷片が舞い上がりると、中庭を一瞬にして覆い夏南の姿を龍の視界から消した。次の瞬間、中庭を覆う幕の中から一筋の光が上空にいる龍目掛けて放たれた、龍はそれを予期していたかのように頭を横にずらしてかわす。

「やっぱり駄目か」

視界が晴れると、氷の槍が降り注いだ場所から少し離れた花壇の側に、空へと手を伸ばし肩で息をする夏南の姿があった。

「兄さん!

御無事でしたか!」

破壊を免れた大木の陰で一部始終を見ていた美冬が、安堵の声をあげる。

「ありがとうな、美冬!

でもあれは攻撃術識じゃないのか?」

夏南が自分が寝転がっていた場所を指さすと、そこには地面から氷の柱が幾つも伸びていた。全て根元から一定の所で破砕されている。防御術識では防ぎきれないとみた美冬が、咄嗟に夏南の体をしたから氷の柱で押し出して、無理やり移動させたのであった。

「回避ですよ、回避術識です」

自身の行動が部の悪い賭けであったことを暗に指摘され、美冬は引きつった笑いを浮かべた。夏南も本気で怒った訳ではないので、見なかったことにする。この短時間で隠された一面を見せすぎだろう、この女たちは。

夏南は上空を見上げると、龍は微動だにせずこちらを見ていた。

「今の隙、見逃していいのかい?」

「奥の手を使おうとした相手を、安易に責めるのは愚行よ」

 氷の槍にやられる寸前、美冬の術識発動を感知して止めたある行動を龍は察したようだ。

夏南は診察室へと右手を伸ばし意識を集中させると、瓦礫の一部が内側から爆発し、中から刀が文字通り飛び出してきた。夏南の右手が高速で飛来する刀の柄を正確に掴んだ。刀ー水風に蓄積された術識で圧縮した空気を全方位に放ち瓦礫をどけると、もう一度圧縮空気を刃先から解放、持ち主の所まで移動させたのであった。

水風に備えられた機能で夏南が使った術識ではない。もし次、瓦礫に刀が埋もれてしまえば、自力で掘り出すしかない。

「買い被り過ぎだ」

「相手の実力を高く見て勝機を逃したことはあっても、殺されたことはないからこれでいいのよ」

安易な隙には乗って来ない、自尊心は高いが有利な状況を作って正体を現す程には警戒心を持っている。正直やりずらい相手だ。今の一件でこちらの手の内は大体見られた、次は弱点を突いてくるはずだ。

夏南の予想通り、龍が新たに術識を発動、先ほどよりも多くの氷の槍を周囲に展開させる。

夏南は地面を蹴り移動、龍には向かわず反対方向へと地面を駆け抜けると、気の陰から半身を晒していた美冬の体を刀を鞘に納め空いた両手で強引に抱き上げた。

「え、あ、え!」

「いいから口を閉じろ!」

背後で再度術識が発動する気配、夏南は脇目も振らず左手に見えた病院の一室に、窓を蹴破り飛び込んだ。資料室だろうか、診察室に置かれたカルテが入っていたのと同じようなキャビネットが、部屋を囲うように置かれている。その間に小さな扉の影を見つけると夏南は一直線に駆け出した、するとそれに合わせるように、背後から夕立が降り出したような音と硝子と壁が砕ける轟音が響いた。

 読み通り、龍は美冬を狙い攻撃を始めた。

未だ訳が分からぬといった表情の美冬を抱え、夏南は扉を蹴破ると廊下へと躍り出た。

病院の見取り図から現在地を割り出す、どうやらロビーから診察室を横切り更に奥へと行った先にあるエリアのようだ。

右手を見ると、薄手のカーテン越しに差し込明かりに照らされた壁が奥に視認できた。背後の破壊音は段々と近づいてくる、時間はない。夏南は左手、診察室の方向へ向かって全力で走り始めた。

バラバラバラ、走り始めて間もなく建物が一瞬大きく揺れる。それに伴って離れた筈の破砕音が、廊下中の至る所から聞こえ始めた。二人を見失った龍が、病院諸共潰そうと術識攻撃の範囲を広げたのだろう。

「怖いか?」

騒音の中、腕の中で震え始めた美冬に声をかける。状況から察したのだろう、こちらの声など聞こえていない筈の美冬が首を横に振るう。こちらの腕を掴む彼女の手が強がりだと語っているが、夏南は頷て返すと更に更に加速する。

轟音と振動が鼓膜はおろか肺腑を揺らす中、夏南達は診察室を通り抜けると、ロビーへは向かわず二階へと続く階段入り口に飛び込んだ。ロビーや勝手口から出ることも考えたが、隠れるその周囲に隠れる場所など記憶に無。龍もそれを承知で必殺の一撃を用意しているだろう、相手の裏をかける場所から出るしかない。

夏南は氷の槍の攻撃に晒され続けている階段を、一気に跳んだ。入り口から見て右手の壁へと跳び、手すりを越えて反対上部の壁に到達、同じ事をもう一度繰り返すし強引に3階へと登る。

「美冬、術識を頼むっておい、しっかりしろ」

腕の中の美冬を見ると、彼女は目を閉じてぐったりしていた。だが、頬を軽く叩くと直ぐに目を覚ましてくれた、よかった。最初呆けたような顔をしていた美冬だが、直ぐに怒りの形相へと変わる。

「あんな事するなら、前もって言って下さい」

「あれが一番早い登り方だ、美冬が断っても結果は変わらないぞ」

「覚悟の問題です、気を張っていればあんな顔見せずに済みました」

 この状況で顔を気にするのか美冬、夏南は呆気に取られたが龍の術識で階段外壁が破られると、直ぐに三階廊下へ移動した。

龍は獲物を巣穴から追い出すために必要最小限の出力で、氷槍の雨を広範囲に行っている。今すぐ建物が崩壊することはないが、残り時間は後5分もないだろう。建物反対側の庭園へと出る案もあるが、そのには美冬が隠れるような頑丈な遮蔽物は存在しない。何より、仕込みが既に終了しているこの中庭で龍を仕留めたい。

 夏南は拗ねる美冬に次に一手を耳打ちする。彼女は一瞬ぎょっとしたが、それしか手がないと伝えると渋々首を縦に振ってくれた。夏南は美冬から符を5枚程預かると、廊下の隅に避難させた彼女を残して、三階の廊下に等間隔で並べた、これで外に出る準備は整った。

再び美冬の体を抱えた夏南は、氷槍で扉が壊れていた一室から外を覗く。壊れた窓に未だ垂れ下がるカーテンの隙間から、悠然と宙に浮かぶ龍の姿が見えた。今だこちらの所在を掴めずに術識を発動し続けている、安心しろ直ぐに出て行ってやるよ。

ギロリと龍の殺気が籠った瞳がこちらに向けられた。バレたか、夏南は直ぐに身を部屋の中から引こうとした。だがしかし、一瞬早く龍の術識が発動、目と目の間、眉間の所から縦方向の光の発射され、部屋の内部と戸口から身を晒していた夏南の左肩を高速で通り過ぎていった。

光学探知術識だ、暗闇をある波長の光で照らし、反射した光の波を網膜で受け取り脳で解析、闇に潜む獲物を探り当てる術識である。

龍の巣穴や夜間の戦闘で用いられる術識だが、それを使うのは殆どが人間で龍が用いるところなど、夏南の記憶にはない。

龍を殺すには強大な術識や大口径の砲弾に生化学兵器が必要だ。そのどれもが大がかりな準備が必要で、龍は基本自身のテリトリーで戦い罠を警戒する必要を避ける傾向にある。故に夏南は龍が巣穴とも言えるこの病院で、探知術識を使うなど考えもしなかった。

どこまで、人間臭い龍だ。

胸中で呟く、何故だか悲しくなった。

「美冬、頼む!」

胸に浮かんだ感情を一層、夏南は腕の中の相棒に向かって叫んだ。

夏南が部屋から離れると、目の前の壁を砕き大量の氷槍が反対の窓を突き破り世闇へと消えていく。

そして美冬の術識が発動、次の瞬間天井が爆発し視界が白く染まる。

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