第31話

ガタン、ガタン!

車輪で石を踏んだのだろう、走行する車が数回跳ね上がると座席を揺らし、座っている夏南の尻を叩いた。

「きゃ!」

 後部座席の隣に座る美冬が態勢を崩し、寄りかかって来たので慌てて抱き抑えた。ハンドルを握るシィ女史は後ろを気にする事無く、鼻歌交じりに運転を続けている。共犯者だから協力するだの、助手が心配だの言ってはいるが、本当は荒い運転から普段敬遠されているドライブに同居人二人を連れ出せる格好の機会、そう思って無理やり着いて来たのではないだろうか。

「もっと静かに運転できないのか

俺と美冬は試験管の中の薬じゃないぞ!」

「この振動こそ運転の醍醐味じゃないか

遊園地に来たと思って楽しんでくれ!」

興奮に上ずった声が運転席から返って来る。

もう一度車が跳ね美冬がまた悲鳴を上げる、顔を覗くと普段から白磁のように白い顔から血の気が引いているのがはっきりと分かった。シィ女史の運転を始めて体験したのだ、殆ど外出しない彼女が吐かないで耐えているのは奇跡としか思えない。

本当にこの後、俺たちは戦えるのか?

まだ戦場に立ってすら居ない夏南の胸に、窓の外に広がる闇夜よりも暗い暗雲が立ち込めたのであった。

時刻は午前1時、夏南達3人を乗せた自家用車はヘッドライトの明かりで闇夜を切り開きながら、一路イルタ医院へと向かっている真っ最中であった。

ダール社製の4人乗り自家用車ディムルダークは彼岸堂所有の公用車だが、高級車に分類される物で本来であればシィが手に入れられる代物ではない。薬代を滞納した客から巻き上げた、以前入手方法をシィに聞くと悪びれる様子も無く即答された。その際、ドライブに誘われて自動車に多少なりとも興味のあった夏南は快く答えて、十数分後には今の美冬のように真っ青になった記憶は、まだ脳裏にこびり付いている。

「疲れたろう、運転変わるぞ」

「お前たちの目でこの暗闇を運転させる訳にはいかない

それにほら、イルタ医院というのが見えて来たぞ」

シィがそう言ってヘッドライトを消して数分が経過すると、フロントガラスの向こうの闇に、高い塀に囲まれた屋敷のシルエットが月明かりに照らされ浮かび上がって来た。

車は屋敷は側面から大きく迂回をすると、正面入り口から少し離れた茂みの陰で止まる。

「美冬立てるか?」

先に車から降りた夏南が、座席に両手を着いて項垂れている美冬に手を差し出すと、彼女は水に飢えた旅人が水筒を差し出されたかのようにその手に食いつくと、それに従って車内から外に出た。

「平気です、初めて乗った車に驚いているだけです

帰りに乗れば馴れて大丈夫になるはずです、多分」

彼女は夏南にもたれ掛かりながら、強って笑ったが頬が引きつっている。

ここに一人、車嫌いが誕生したような気がするが生憎フォローしている時間などない。。

一仕事終えたと言わんばかりに、背伸びをして解放感に浸っているシィを一睨みすると、夏南は後部座席奥から装備品が入った鞄と長細い包を引っ張り出しすと地面に置いた。

鞄の中身を開いて地面に並べると、対人戦に主眼を置いた現代兵士のそれよりは遥かに少ない必要最低限の物しかなかった。複数のポーチが付いた軍用ベルト、工作用のナイフに解錠用のピッキングツールに丸められた手提げ袋、そしてロープに鍵爪。最後に鞄の重量の半分を占める黒い箱を置く、隣で見ていた美冬が何と聞いてきたので、箱を開けて中身を取り出し月明かりにかざす。

「カメラですね、初めて見ました」

美冬が玩具を前にした子供のような感嘆の声を上げた。

「これで証拠写真を撮る

使う時が来たら、術識で明かりを用意してほしい」

カメラに通された紐を美冬の首に通して、予備のロールフィルムも手提げに袋に包んで、彼女の手に持たせる。使い方が分からないと彼女は言ったが、持っているだけでいいと伝えると苦い顔で頷いて答えた。俺と肩を並べて戦うことを期待していたようだが、実戦経験の浅い美冬にはなるべく後ろにいて貰いたいので、ここは我慢してくれとしか言えない。

何故なら彼女の相棒を務める俺も、二人一組で戦う経験が少ないからだ。

軍用ベルトを巻きホルスターにナイフを通す、最後にポーチの中の装備を確認してピッキングツールをそこに仕舞う。落ち着け夏南、最低限美冬を守れればそれで良い。ベルトを巻く際に金具を通すところで躓いてしまった自分を胸の中で宥めて準備を終える。

「龍と戦う事になったら、兎に角距離を取って術識を連発するんだ

それと、俺が前に出て龍を引き付けるが、ターゲットが移ったら必ず逃げるように」

身支度を終えるとカメラを弄っていた美冬に向って、改めて戦闘の心得を言う。これは初めて戦場に出る後方支援術識使いが、耳にタコが出来る程言われ続けるものだ。龍に接近して戦う前衛の戦士よりも身体能力に劣る人間のには、この二つを守ることが生存率を上げる唯一の方法である、守らなかった者の多くは初陣から戻ることは殆どなかった。

「はい!」

 夏南の厳しい口調に、美冬は真剣な表情で頷いて答えた。そして表情は引き締まり、カメラを弄って喜んでいた雰囲気が消える。良い表情だ、だがそれは戦士としての物差しで測ったもので、まだ十代半ばの少女が見せるものではない。良心が痛む、だがそれを隠して夏南は頷いて返した。

まずは、生き残ることそれが重要だ。

「準備は終わったかい御両人」

何時の間にか側に来ていたシィ女史が、長細い包を拾ってこちらに差し出した。

美冬は張りのある返事を返したが、夏南は包を受け取ると中身を中身の一つを彼女につき返した。

「雷火を渡しておく

こに残ると言うのなら、もしイルタが来たらこれで身を守ってほしい」

シィ女史には事態が考えうる最悪の状況になった場合と、最悪を回避できそうな場合に備えて、この場所で待機して貰うよう家を出る間に話は付けてある。並みの夜盗程度であれば、今の彼女でもここで待たせて大丈夫だろう。しかし、彼女は今強力な攻撃術識を使う事が出来ない、大丈夫だと言っていたが相手が相手だけに、楽観して危険を見過ごすわけにはいかない。

「必要ない、お前が持って行け

第一、包丁も満足に使えない私が使ったら、自分の指を切り落としかねない」

「恍けるな、これはあんたが生み出した理論で出来た物だ

なら誰よりも使い方を熟知しているはずだ」

雷火の柄をシィ女史の胸に押し付ける。

雷火と水風の二振りの刀は、薬利家に伝わる最上級対龍兵器の一つである。その刀身は、術識製倶利伽羅複合合金で造られ、硬度に秀でた土龍の鱗さえ容易く切り裂く龍の天敵である。しかし、その真価は茎の内部に彫り込まれた術識の演算と増幅を兼ね備えた機構にある、夏南程度の術識力でも水風なら刃先に真空を生み出して、金属を腐食させる毒液を無傷で切り裂くことも容易く可能にする。

「借りても良いが、辺り一帯火の海にするかもしれないぞ」

「危なくなったらそうしてくれ」

物騒な冗談を言ってシィは雷火を受け取った。

実際にやりかねないので、イルタ医院から誰かが外に出ようとしたら、いつでも騒ぎを起こして注意を引くことも考えねばなるまい。

夏南は水風をベルトに通して佩くと、美冬に向き直った。

「美冬、お前の命俺に預けてほしい」

ここが境界線だ、これより一歩進めば美冬の身は否応なく危険に晒される。

もし逡巡するようなら、今回はここでシィ女史の護衛を任せた方が良いだろう。

「死ぬも生きるも一緒です」

夏南の懸念を跳ねのけるかのように、美冬のこれまで聞いた事の無い真剣な声が帰って来た。

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