第30話

夏南は美冬と連れ立って二階へと降りると、ダイニングへと向かった。目的は彼岸堂で使っている自家用車、そのキーを入手する為である。戦闘用装備を身に着けていても、強化された夏南の身体ならば走ってイルタ医院へ向かってもその後の活動に支障はないが、美冬を連れて行くのであれば移動手段が必要だ。

仕事で運転免許を夏南は既に取得していたが、運転にはあまり自身がなかった。ロンディニウムの審査は緩いと聞いていたが、かなり手こずってしまった。教習所での日々をシィや美冬にすら語ったことはないが、一度車を走らせれば美冬に突っ込まれるだろう、正直気が滅入る。

「美冬、ダイニングの灯り付けっぱなしだぞ」

「あれ!

私、確かに消しました」

 階段を降りて廊下に立つと、左手に見えるダイニングの扉が少し開いていて、隙間から橙色の明かりが漏れていた。

生き物の気配を感じる、それに僅かな殺気も。イルタが先手を打って、刺客を送り込んできたのだろうか。それはないだろう、彼女は単独犯だ、もしも刺客なら自分が居る事を簡単にバラすような三流以下を彼女は雇わないだろう。

美冬が慌てて前に出ようとするが、夏南は包帯が巻かれた左手で静止する。だが僅かに美冬の体は動き、両手に抱えた荷物がカチャリと音を立てた。左手の傷は美冬の術識で完治してあるが、彼女の治療術識はまだ未熟で皮膚は薄く何かの拍子で裂けてしまうかもしれないと、左手に包帯を巻くと装備品を両手に抱えて荷物持ちを申し出た、それが今仇となった。

美冬がしまった、と顔を後悔で歪ませたが、右手人差し指を口元に当て声を出さないように伝えると、足音を立てずにダイニングの戸口に身を寄せた。

扉の間から中を覗くが人の姿は見えない。

しかし、何者かの気配を感じる、部屋を物色して何かに気を取られているのだろうか、じっとしているようだ。

 夏南は扉を勢いよく開けると、音もなくダイニングへと滑り込んだ。

!!!

突然、顔めがけて何かが勢いよく飛んで来た。目くらましにしては遅い、夏南は難なく飛翔体を片手で掴んだ。リンゴだ、一口かじられた跡があるリンゴを何者かが投げてよこしたのだ。

「私の薬屋はいつから、男女の仲直り劇を夜中にやるようになったんだ」

 部屋の真ん中に置かれたテーブルの向こうで、シィがまるで寝起きのような不機嫌な顔で座っていた。

「起こして悪かった

腹が減ってるから眠りが浅いんだ、夜食の続きをどうぞ」

リンゴを投げ返すと、薬屋とは思えぬ速さでシィの手が動き受け止めた。

ご立腹のようだ。

先ほどの美冬との遣り取りで、起こされたのを根に持っているのだろう。

車を貸してくれと言える雰囲気ではない。

「も、申し訳ありません!」

 シィの声を聞いて駆け付けた美冬が、部屋に入るなり振り子のように何度も頭を下げた。

「これから二人でイルタ医院へ出かける、この店の車を借りるぞ」

美冬を尻目に夏南はぶしつけに、備品の貸与を申し出た。

謝らない夏南に美冬が驚いて顔を上げる。

シィは顔を更に歪ませると、手に持っていた車のキーに通されたリングに指を通すと、プロペラのように回した。投げて寄越すのだろうか。リンゴの件もあって身構えた夏南だったが、シィはそのまま手の中に納めた。

「行き帰りは私が運転しよう、早く支度するんだ

夜が明けるまで、6時間しかないぞ」

「どういう風の吹き回しだ

いつものあんたなら、ご勝手にと鍵を投げてさっさと部屋に戻るはずだが」

彼女は高登域術識使いだが、ある理由で強力な術識を使う事ができない。今回の件は全てシィ女史と情報共有してある。術識初心者程度の攻撃術識しか使えない身で、龍が居る戦場に出て行くのは自殺行為だ、それを分からぬ筈はないのだが。

「準備は既に出来ております」

夏南の疑問など知る由もなく、傍らに立っていた美冬は持っていた装備品をテーブルの上に置くと、ドレスに身を包んでいるかのようにその場でくるりと回って見せた。彼女の着物は故郷から持ってきた物で、人体の急所付近に防刃素材が使用されている。彼女には戦闘の際術識による遠距攻撃を中心に戦って貰おうと思って軽装のままにしておいたが、これから戦場に行こうというのに何処か浮かれているように見える、配置を考え直そう。

「準備とは紅茶の事だ

戦場に行くので神経が高ぶっている、美冬君一杯淹れて欲しい、君にも必要だろう」

シィ女史は鬼のような形相を一変させ笑顔を作ると、今お茶を飲むことが重要だと助手に説いた。狐に抓まれたような顔をした美冬だが、直ぐにキッチンへと向かった。

「騒いだこと、ちゃんと先生に謝っておいてください」

一度閉まった扉がもう一度開くと、厳しい顔をした美冬に注意を受けた、彼女はこちらの返事を待たずにキッチンに引っ込んでしまった。

「これからピクニックに行くんじゃないんだぞ」

初めての戦場へ向かう高揚感、仲間に必要とされる満足感、かつての自分の姿が美冬に重なる。

心の底から恐怖に震えあがれば一発で収まる類の錯覚だが、彼女にそんな真似は絶対にさせる訳にはいかない。

「隠し事が無くなって、お互い話しやすくなっただろう」

「気が利く同居人のお陰でね」

振り返ると鬼に戻ったシィ女史が居た。

「起こして悪かったな

後、俺のことを黙って居てくれたことについては礼を言う」

「軽過ぎる!

言えぬ秘密を抱えて助手に接しなければならなかった日々を、一夜の睡眠の邪魔をしたことと同列に扱うな」

夏南はもう一度、今度は頭を下げながら謝った。シィはふんと鼻を鳴らした。しかし、その顔からは幾分険が取れている、1割程度は許してくれたのだろう。

夏南もシィに倣って席に座り紅茶を待つ。

イルタ医院に夜間は、院長であるイルタ本人しかいないことは調べがついている。彼女は研究や自己研鑽に余念がないタイプなのか、夜遅くまで部屋の明かりをともしていることも確認済みだ。時計の針は現在深夜12時、車で飛ばせば医院まで30分とかからない。 病院へ泥棒紛いの侵入を試みるなら、時間は早いに越したことはないが、夏南にはどうしてもこの場で言っておかねばならないことがあった。

「どうして美冬に話した?」

「時期が来たら話すという条件を付けたのはお前だ

その怪我の原因を私に求めるのは、筋違いというものだ」

テーブルに置いた包帯を巻いた左手をシィが指を指した。

どうやら部屋での出来事を彼女はある程度把握しているようだ、大声を上げていたのだから聞かれて当然だろう。

「4,5日位待てなかったのか」

「あの様子でこれ以上我慢をさせたらどうなったか、今なら想像できるだろう」

夏南は押し黙った、目の届かない所で自決されていたかもしれないとシィは指摘したのだ、責める言われどころか感謝してもしたりない程のことを彼女はしてくれたのだ。

「改めて礼を言う

危うく美冬まで失うところだった」

「気にするな、死なれては困る程優秀な助手にはこれ位当然だ

それに、お前以外の手駒も正直欲しい」

 シィの目が一瞬、深紅の輝くと内に秘めた残虐性を垣間見せた。

前言撤回、恩人対応はここまで終了だ。

「あんたと約束をしたのは俺一人だ

俺が必ずあんたの悲願を果たす、だから美冬を巻き込むな」

目の前の恩人ーいや共犯者を睨み太めの釘を刺す。

「おお怖い、美冬君の事は冗談だよ

さすがは、薬利家ー九頭龍家が生み出した生体兵器

約束に関しては、富くじで一等を当てる確率程度には期待しているよ」

幾つもの死線を潜り抜けて来た戦士の睨みを受けたシィだが、それをものともせずにお道化たようすで茶化して煙に巻いた。

「あんたの準備が終わったら直ぐにやってやる

冗談でも二度と薬利家の本苗は口にするな」

もう一本釘を刺して、不毛な会話を強引に終わらせる。

九頭龍とは、薬利家が遠い昔に名乗っていた苗字だ。赤き龍との闘いの折、傭兵集団でしかなかった先祖がある龍から贈られたものである。長い歴史の中、龍との関係を表向きに断つ為に発音の似た言葉を当て、今では忌語となりその経緯も極一部の者しか知ることは許されていない。

「それよりも、以前話したあの術識は本当に直ぐ使えるのか?」

話題を目の前の事件へと変える。

連続失踪殺人事件において、最悪の結末を回避するべくシィに打診していた案があった。可能と言われたが、条件としてシィ自身を危険に晒す必要があると言われ一度断った。しかし、美冬の参戦で状況が変わりリスクの低い案を採用できそうなで改めて聞いてみた。

「無論可能だ、だからこうしてお前を待っていた

幾ら危ないと言っても、断ることは家主として許可はしないぞ、居候!」

 まるで叱るような口調でイルタが言った。

この様子では車のキーを手放さないだろう。

「同族がどうなるか気になるのか?」

踏み込むようで避けていた疑問をぶつける。

シィ女史は強い女性だが、意識してそう振舞っている節がある。使命感で戦場に赴いたとしても、結末は必ず彼女の心に爪痕を残す。龍を倒すのは自分の仕事だ、優しいお医者さんを必要とする人間に恨まれるのも、一族最後の生き残りを手にかけ滅ぼす罪も背負うのは俺一人で十分である。

「お前と美冬君が運命共同体なら、私たちは共犯者だ

貸しを作って逃げられないようにしたいだけだ、気にするな」

ぶっきらぼうにそう言うと、シィは車のキーをポケットに仕舞うと、大きく溜息をついた。その瞬間、彼女の頬が一瞬緩んだのを夏南は見逃さなかった。彼女なりに事件を解決しようとしている夏南の身を案じてくれていたのだ、それで同行を断られなかったことが分かり喜んだのだろう。

最後の溜息は、察しの悪い自分に呆れて出たもののようだ。

「お待たせ、って夏南

シィ先生にまだ謝ってなかったの!」

 そうとは知らない美冬は、キッチンからトレイを片手に戻ってくるとシィを一目見て呆れた声を上げた。

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