第24話

「随分うなされていたみたいね」

その声が闇から私の意識を掬い上げる、瞼を開けるとベッドの直ぐ横で、天使様がこちらを優し気な目で見下ろしていた。

「あの夜の夢を見ました」

 私は天使にありのままを告げる。

額の汗を拭おうと右手を上げようとして、天使が私の手を握ってくれていた事に気付いた。

その優しさに思わず、目尻に涙が浮かぶ。 あぁ主よ、ありがとうございます。

居てもたってもいられず、上半身をベッドから起こそうと体に力を込める。もたついていると、天使の手が私の上半身を支え起き上がらせてくれた。大きく深呼吸を繰り返す、悪夢にうなされて酸素が空になりかけていた肺から痛みが引いていく。

その様子が顔に出たのだろう、天使が安堵の笑みを溢すのが見えた。

あぁ、やはりここは天国なのだろう。

開け放たれた窓から風が吹き込み私の汗ばんだ頬を撫でた。病院の隣にある庭園から、草木の匂いを鼻に運び私の高ぶった神経を鎮めていく。あの男はどうなったのだろう、揺れるカーテンの隙間から見える夜空へと視線を向ける、昼間見たあの男も天使に救いを求めに来たのだろうか。。

「今日、庭園に入る私達のこと見ていたでしょう?」

 こちらの心を読んだかのような天使の言葉に、私の心臓が大きく跳ね上がった。

ほんの一瞬、何気なく窓の外を眺めたら、庭園へ入っていく天使と、身なりの良さそうな男が立っているのが目に入ったのだ。

男が振り向く素振りを見せたので、私は急いで伏せて身を隠すと、床を這うようにしてベッドへと戻り毛布を被っのであった。

もう二度と男とは関わりたくはない、お腹の子を殴られる訳にはいかないからである。

あの瞬間、天使様も男と同じく私の視線に気づいたのだろうか?

いや違う、天使様は階段を降りており、角度的に私の姿を見ることは不可能なのだから。

「はい、覗きしてしまいました」

 私は正直に答えた。

神の使いに対して嘘をついても、何の意味もないのだから。

「安心して、あなたを責めているわけではないのよ

彼は私を取材しに来た記者、あたなの男性恐怖症が悪化するといけないから黙っていたの」

天使が再び私の手を握る。

「ごめんなさい、隠してしたことは謝るわ

だからあの記者があなたの夫に頼まれて、貴女とお腹の子を探しに来たと思ってしまったのならそれは誤解だと、神に誓って断言いたします」

 天使様は溢れんばかりの優しさと気遣いの言葉を掛けてくれた。

男というだけで拒絶反応が出てしまった私は、そこまで考えてはいなかったので頷くしかできなかった。

それにしても夫とは何だろう?

天使様の言葉が引き金となって、自分は結婚していて少し前まで夫と2人で暮らしていたことを思い出した。

彼は職を転々としていて、酒におぼれ気に入らない事があると私によく手を上げていた。

思い出しては見た物の、あれほど逃げ出したいと思った日々が、何処か他人事のように思えてしまう自分に軽い驚きを憶える。

あの夜、イルタと名乗る女医ー天使様に助けられてこの病院で過ごした一ヶ月が、私を作り変えてしまったのだろう。あれ程長い時間過ごし憎み恐れた男の顔は、今ではおぼろげにしか思い出せない。

それでいいのだ、愛情も記憶も生まれて来る子供の為に使えば良い。

「怖い思いをさせてしまったようね

そうだ、今夜一緒に散歩に行きましょうか」

天使様が申し訳なさそうな顔で私を誘って来た。

天使様には医者として多くの仕事をこなさなければならないことを、私はその口から聞いて理解している。それに加えて、夜遅くまで何か薬の研究している事も薄々気付いてもいる。そんな天使様を、私の事でこれ以上手を患馳せはいけないのだ。

「お気持ちだけ受け取っておきます」

 考える間も無く断った私の唇に、天使様の柔らかい指が触れた。

「気分転換も必要よ

精神が乱れれば体も引きずられて、お腹の子にも良くない影響が出るかもしれません」

天使は子供を説得するような母親のような顔で微笑んだ。

あぁ、やはりここは天国だ。

私は静かに頷いた。

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