第17話

「今日は漢薬の商人に会う日なのをすっかり忘れていた

遅くなるので、お昼は適当に取ってくれたまえ」

 夏南が家を出てから暫くすると、シィが突然約束を思い出したようで、美冬を一人残すと風のように家を飛び出して行った。

今回も予定を書いたスケジュール張を、見るのを忘れてしまったのだろう。ここ3ヶ月で美冬は予定を書くことをシィに習慣付けさせた。見返すようになるまで次は何か月かかるのだろう。

薬局のカウンターに取り残された美冬は、一人溜息をついた。

そして数時間が経ち時刻は12時を当に過ぎたが、この彼岸堂に客が足を踏み入れることはなかった。

美冬は昼食後の眠い目を擦る、一人ぐらいお客さんが来てくれてもいいのに。チラリと店の入り口に目を向けるがドアが開く気配は一向にない。それもそのはず、シィ先生が出かける時に表にある表札を掛けていったのだ。

『一時休店中』

普段ならこの掛札を掲げていても1、2人は扉を叩くはずだが、今日はまだだれも来てはいない。一人でも留守番位くらい出来ると、先生に見せるチャンスなのに。美冬はため息をつくと読みつかれた小説をカウンターに伏せた。

いっそ、掛札を外そうかとも思ったが、依然聞かされた話を思い出して止まった。

大都会であっても女一人と見れば強盗に早変わりする客も居る。そう兄や先生に聞かされ、新聞でも似た事件を読んだ事があるので怖さは知っている。術識を使えば強盗など他愛もないだろうが、その場合相手を殺しかねない。

これ以上考えるのは辞めよう、美冬は静かに目を閉じた。

この街に来てから一年、最初は人前に出る事が怖かったが、兄と先生が傍に居てくれたお蔭で今では薬屋の助手として、このカウンターに座ることが出来るまでになった。

それを見届けると兄は外で働くようになり、二人の時間は必然的に減ってしまった。その頃だろうか兄ー夏南を男として意識しているとはっきり気付いたのは。美冬の知らない外の世界でした苦労を微塵も感じさせず、私が寂しく無いようにと色々気を使ってくれる夏南、その姿を瞼の裏に思い描くだけで鼓動が早くなるのを感じる。

昨夜も普段人目が気になって外に出れないという私に気を使って、夏南は先生のお使いを名目に連れ出してくれたのだ。

夏南はどんどん逞しくなっていく。

それに引き換え私は立ち止まったまま、一歩も動いてはいないのではないだろうか。

いけない、美冬は首を振って今考えていた事を追い出した。

あまり自分と他人を比べるな、比べても他人に劣る自分しか見えてこないよ。以前夏南に注意された事がある。気を付けるようにはしてるが、なかなか上手くいかない。

寝不足のせいだろうか、不安を煽るような考えが次々に浮かんでは消えていく。昨日は朝方まで眠れなかった。不可解な赤子の龍に襲われたこともあるが、戦う夏南を久しぶりに目の当たりにしてしまい、怖くて眠れなかった。

目を離すと仕留め損ねた龍を追ってしまう、そう思うと居ても経っても居られず、夜中魔除けの札を夏南の部屋中に貼ると、眠る彼の腕の中に潜り込んだ。

陽が昇り目を覚ますと彼は居なかった、焦ったが彼はいつもどおりシィ先生と部屋で話していた、正直泣きそうな程嬉しかった。

 そして龍は追わないと、夏南はそう約束してくれた。

これで私の不安は無くなった筈である、だが胸の中が騒めき落ち着かない。

本当は龍はまだ生きているのではないだろうか、夏南は今もそれを追っているのではないだろうか。手は出さない、それの言葉も嘘ではないのか。何より、自分と言う呪いを背負った人間の為に、自分の人生を犠牲にしているのではないか。

もう出会うはずの無いと思っていた龍の姿を引き金に、胸の中に広がった不安の染みは広がり続けて、まるであの牢獄に戻ってしまったかのような錯覚さえする。

駄目だ私、これでは夏南にまた心配をかけてしまう。

気分転換にカウンター横の窓から空に目をやる、陽は空高く昇っている。もうすぐ春が来るのだろう。カウンターに差し込んだ光の中に手を入れる、暖かい。

少し喉が渇いた、そういえば先週シィ先生が貰って来たお茶がまだある。

美冬はキッチンへと向かう、扉を潜り戸棚を見ると、金属製の小さな如雨露が申し訳なさそうにポツンと置かれていた。

「シィ先生、使ったなら仕舞ってほしいな」

 美冬は如雨露を手に取り中をのぞき込むと、濡れてない事に気が付いた。

店の外側にはシィが栽培している植物の鉢が並んでいる。早朝、それに水をやるのがシィの数少ない店主としての日課である。今朝はリリムが来ていたので忘れてしまったのであろう。

乾いたまま。空から降り注ぐ陽の光を浴び続ければ、表の植物は枯れてしまうかもしれない。そうなれば只でさえ所々外装が痛み、殺風景なこの店に人が入り辛くなってしまう。今すぐ水をあげなければいけない。

でも、その為には外に出なければいけない。昼間、それも一人で。美冬は如雨露を手に取ったまま、2,3回深呼吸をした。

「大丈夫、ここでは誰も九頭龍の娘だと知っている人間はいないよ」

 夏南は湧き上がる不安を、そう自分に言い聞かせて抑え込もうとした。

この街に自分を知るものは居ないことなど分かっている。だが、自分の目だけは誤魔化せない。実の兄恋しさに一族を見捨て共に暮らす事を選んだ、そんな自分がこの街の住人に混じって幸せを謳歌して良いのだろうか、その罪悪感が外に出ることを躊躇わせる。

美冬は目を閉じ、昨夜龍に出会う前に並んで歩いた夏南、その手の感触を思い出す。

胸がじんわり熱くなる、あの温もりはまだ心の中に残っている。

美冬は何かに急き立てられるように、台所脇のポンプを動かして汲み上げた井戸水を如雨露に詰め込むと、小走りで店の入り口の前に立った。

「大丈夫、誰も美冬を責めはしないよ」

 夏南の言葉をもう一度口にすると、美冬は意を決して目の前の扉を開けた。

扉を開けて直ぐに目に飛び込んで来た日光に目を瞑ってしまったが、ゆっくりと瞼を開ける。眩しいからと言って目を背けてはいけない、それが大切なものなら尚更である。

美冬は一歩踏み出すと、店の外には2階にある自室からいつも見ている石の世界が広がっていた。表通りから少し離れた場所にこの薬屋は建っているが、それなりに通行人も居る。

自室で見た通りの光景だが、今それらは手を伸ばせば全てが届く距離にある。その事実に美冬の体は目的を忘れ、一瞬動きを忘れてしまう。

「あ・・・・・・えぇと・・・・・・」

 暫くそのままでいたが、道行く人々の視線が自分に向けられ始めると美冬は我に返った。無理もない、勢いよく店の扉を開け放ち如雨露を持った女が立っている光景など、誰が見ても気になるだろう。

美冬は耳が熱くなるのを感じると、顔を伏せて後ろ手に扉を閉めた。早く終わらせて店の中に戻ろう。壁に沿って並ぶ鉢植えの前に移動、通りに背を向け如雨露で色とりどりの花や草に小さな雨を降らせていく。

最後に残った一番端の鉢植えを、濡らしたところで如雨露は空となった。遅れて御免なさい。美冬は下を向いたまま小走りに店の中に戻ろうとした。

「キャ!」

 突然黒い靴が視界に飛び込んで来た次の瞬間、美冬の体は人にぶつかり、反動で地面にお尻から倒れ込んだ。

痛い。

咄嗟に如雨露を抱えてしまいお尻を庇うことを忘れてしまい、舗装された道路に骨の角をぶつけて目じりに涙が浮かぶ。

直ぐに立ち上がろうとするが、痛みで足が思うように動かない。

「あら、ごめんなさい」

 澄んだ女性声、黒い二足の靴が数歩近づき倒れた美冬を影で包んだ、美冬は恐る恐る顔を上げる。一人の女性が身をかがめて、こちらを心配そうに顔で覗き込んでいた。涙で滲んだ視界に女性の顔ははっきりと映らなかったが、緩やかにウェーブを描く長い金髪が風に靡くのはっきりと分かった。

天使、教会の聖書の挿絵で見た神の使いと、目の前の女性の姿が重なり、不意に声に出しそうになり慌てて口を押える。

「ごめんなさい、脇見しながら歩いてしまって気が付かなかったわ」

 細くしなやかな手が目の前に差し出される。掴まれと言っているのだろう。ぶつかったのは私の方なのにそれを責めるどころか、気を使って手まで差し出させてしまった。

 胸に沸き上がった罪悪感とちょっとばかりの敗北感に、断ろうと思った美冬だったが、こちらを見下ろす金髪の女性の瞳にシィ先生と似たような意思の強さに気づき、恐る恐るその手をとった。

恩に着せようとしているのではない、自らの信念で手を差し伸べているのだ。

 女性の手に引かれ、美冬の体はまるで羽になったかのような軽さで立ち上がった。引っ張られる右肩の痛みがなければ、今あなたは鳥になったと言われれば疑ことなく信じていただろう。

「すみません、ぶつかったのは私の方なのに、手間で貸して貰って」

「考え事をしていた私も同じよ

それに倒れた患者に手を貸すのは、職場でたまにあるのよ、気にしないで」

 女性は嫌味のない笑みを浮かべた。

 その時、彼女の体からだろう消毒液の匂いがすることに気付いた。看護士さんだろうか。彼女が口にした患者という言葉、そしてクリーム色の薄手のコートから美冬はそう直感した。

「何処か病院に勤めていらっしゃるのですか?」

 思考はそのまま声となる、慌てて口を閉じるがもう相手の耳に届いた後。

「あら、私に興味がお有り?」

 彼女は口紅が引かれた唇の端を微かに釣り上げ、柔らかな笑みを浮かべた。それは見る者の目を釘付けにする程に蠱惑的である。シィとは違う大人の女性の魅力に、思わず美冬の心臓がドクンと跳ね上がった。

「この街の外れでね、ちょっとした病院を経営してるの

医者と経営者の兼業だから、毎日あちこち走り回って大変よ」

「凄い!

女性なのにお医者様をやられているなんて・・・・・・

あ!ごめんなさい」

 美冬は、興奮して思わず口にした『女性なのに』という言葉の非礼に気付き頭を下げた。この国で女性の医者は、男性に比べて少ないとシィを通して知っている。女性というだけでその腕を疑う者も多く、美冬は腕と性別はと自分は差別に加わるまいと思っていたが、思わず口から出てしまった。

「気にすることないは、色々言われることには慣れてるわ

それよりも、直ぐに謝ることができるのは美徳だけれど、自信が無いのは考え物よ

この街で初対面の人間を気遣える優しさ、勿体ないわよ」

「え、あの、その・・・」

 褒められているのか貶されているのか分からない言葉を掛けられ、美冬はどうしていいか分からす、酸欠気味の魚のように口をパクパクさせて立ち尽くしてしまう。

普段話す相手は夏南、シィ、そしてリリムしか美冬にはいない。店に来る客は、皆何かの病か病人の家族を抱えていて、世間話を楽しむことは殆どない。目の前の女性は知っているどの人とも違う、どう返していいのか美冬には分からなかった。

「あら、良い匂い

花の匂いかしら?」

 不意に首元に掛けられた息に驚いて振り替えると、女医が背後に回って体を密着させていた、何時の間に。動揺していたとはいえ、相手が動く気配を待ったく感じなかった。女性の体温を感じているはずの背中が、僅かに泡立つ。

「こ、故郷から持ってきた花で作った香水です

この国のものは匂いが強すぎて、あまり好きになれなかったので」

 肺の中から空気を絞り出すように出した声は、自分でも驚くほど震えていた。女性の意外な行動に体が強張ってしまっている。自分の知らないスキンシップの一つなのだろうが、蛇に睨まれた蛙のように体は言う事を聞いてはくれない。

「素朴で儚げで良いわね

夜みたいな色の髪に白磁のような白い肌、貴方きっと白衣が似合うわ

うちの助手にならない?」

「え?

急に言われても、それにシィ先生の手伝いがあるし…きゃ!」

 美冬の腰に女性の腕が絡みついて来て、思わず悲鳴が漏を漏らしてしまう。跳ね除けようと身を捩るが、強引に体を引き寄せられてしまった。術識使いとしての訓練を欠かしたことは無い、だが女性はその細い身体からは想像も出来ない程力強く、抵抗を物ともしない。

これは既に冗談の範疇を超えている、身の危険を感じた美冬は、一瞬腰に回された手の力が弱まった所を見計らって、体を回転させた。

女性も顔を叩かれればやり過ぎと気付いてくれるはず。

腕を上げようとしたその瞬間、女性と目が合ってしまい美冬は思わず息を呑み再び固まってしまった。青い二つの瞳、笑顔とは裏腹に氷のように冷たい。殺気にも似た圧力を確かに感じるが何かがおかしい、何処か縋るような目だ、昨日の龍の子と少し似ている。

相反する感情が渦巻く瞳、美冬は身の危険も自身が置かれた異常な状況も忘れ、ゆっくりと女性の頬に手を伸ばそうとした

「おい!

そこのブロンドのあんた、美冬さんに何か用か?」

 不意に名前を呼ばれ美冬は我に返った。

野太い男の声、聞き覚えは無い、彼岸堂のお客さんだろうか。

肩越しに振り替えると、少し離れた所に中年の男性が立っていた。離れていても分かる程殺気立っている、抜身の刃物が人の形を取ったらあのようになるのだろう。遠目に見ても分かるくらいよれよれのスーツとコート、その上に短めの髪を乗せた頭に、鋭い目を二つ張り付けた岩のような中年男性、一度会ったら忘れられない風貌だが記憶にはない。

「只の看護婦のスカウトよ

病院の経営者として、街で見かけた優秀な人材に声をかていたところよ」

「そうだったのか

でも、俺には取って食おうとしているように見えたが

抱き付かなきゃ分からんものでもあるのか?」

「そうよ、看護婦は重い物を運ぶ事があるから、身体をチェックしていたのよ、もうすんだわ」

 女性は美冬の耳に甘い吐息を吹きかけると、離れていった。

助かった、美冬は何時の間にか止めてしまっていた息を吐いた。新しい空気を肺一杯に吸い込むと、上せかけていた頭の熱がゆっくりと下がっていく。冷静さが戻ってくると、道行く人が何事かとこちらに奇異の目を向けている事に気付いた。

美しい女性と獣のような男性、その間でどうしていいか分からず成すがままにされる少女、それが道路で剣呑な雰囲気の中立っていれば、誰だって気になるだろう。

恥ずかしい、思わず彼岸堂に駆け込みたいと美冬は考えてしまう。しかし、今逃げる訳には行かない。女医とスーツの男、二人の間に一触即発の空気を生み出してしまった原因は自分にあるのだから。

「私の従業員探しを邪魔した貴方は、一体何処のどなた

この薬屋のお客? それとも貴方がシィ先生なのかしら?」

 女性は何もやましい事の無い勧誘という態度を崩さず、突如現れた正体不明の男に撥ねつけるような言葉を投げた。

美冬も自分の名前を知る男の正体が気になったので、怖いのを我慢して男の顔に目を向けた。男の手がゆっくりと上がる、スーツの内ポケットから名刺でも取り出すのだろうか。美冬の期待を裏切り男の手は胸の前を通過、後頭部へと向かいそのまま頭を指で掻いた、面倒くさそうに。

「逃げるわけにもいかないか

ロンディニウム中央警察署殺人課の刑事だ、昼間から若い娘に抱きついている不審者に声をかけたところだ」

 刑事と名乗った男は、上着の内ポケットから警察手帳を取り出して、二人に見せるように掲げると直ぐに仕舞った。美冬は刑事の持ち物など見たことは無かったが、信用することにした。困っていた自分に声をかけてくれたのだ、少なくとも悪い人ではないのだろう。

「殺人課ね」

 美冬が振り返ると、女性は一人難しい顔をしていた。

何かあるのだろうか?

「勘違いさせるような真似をしてごめんなさい

これから入院患者の診察があるの、私はこれで失礼するわ」

 女医は先ほどまでの人を食ったような態度が嘘のように、あっさりと引き下がった。警察の権力を恐れたのだろうか、美冬にはそうは見えない。女医は笑みを浮かべて刑事に会釈をすると、何事も無くこの場を離れていった。

「良い匂いだから貴女に香水は必要ないわ

また会いましょう、美冬」

 再会の一方的な約束を美冬の耳にそっと残して。

 終わったの?

緊張で強張った美冬の全身から一気に力が抜けると、今度は思わずその場に座り込みたくなるほど疲労に襲われた。よく分からない、からかわれたのかな私。外の世界は危険が多いと聞いてはいるが、悪意とも善意とも取れる事態に巻き込まれるとは思いもしなかった。

遊ばれたと思う、それなら忘れた方が良いだろう。だが、あの極寒の雪のように冷たい瞳に感じた恐怖は、今も胸に残っている。何があそこまで人の目を凍らせてしまったのだろう、あの人には兄さんが居なかったのかな?

「大丈夫か、美冬さん

この街は物騒な輩が多いから、もっと気を付けるんだ」

 刑事と名乗った男が近づいて来る。

美冬は思わず後ずさりしてしまった、助けてくれた恩人ということを忘れて。しまった、。恐る恐る刑事の顔を見ると、彼は苦笑い見せると足を止めた。

「それで良い、あからさまに妖しい人間とは距離を取る

この街で生きるには必要な技術だ」

 男は一人頷くと背を向け立ち去ろうとした。

この人は今来た道を戻ろうとしている。この道の先に用があったのではないのだろうか。表通りを歩いていて絡まれている私が目に入り助けた、距離的にそれは無理がある。

もう目的が果たされたからではないだろうか。

「待って下さい!」

「何か用か?」

 刑事が振り返った、女医が去ったというのにその目にはまだ殺気の残滓が残り、美冬は気圧され頭の中が真っ白になってしまった。

ええと、そうだ名前だ!

「あの、どうして私の名前を知っているのですか?」

 彼岸堂から殆ど外に出ない自分が、警察に目を付けられるようなことをしたとは思えない。あると言えば昨夜の龍と戦った件だが、この短期間で小さな薬屋の娘まで辿り着いたとは考えにくい。やはり、あの事なのだろうか、美冬は胸に仕舞ったある不安を思い出してしまった。

「寂れた薬局店に、異国生まれの綺麗な看板娘がいれば、刑事じゃなくても耳に入ってくるさ」

 刑事はぎこちない笑みを浮かべて答えた。

「夏南から聞いたのですか?」

 美冬は自分でも驚くほど、強い口調で刑事と兄の関係を問いただした。外で働く夏南が何かの犯罪に巻き込まれた、それで自分の名前を刑事が知っているなら辻褄は合う。刑事の顔から笑みが消える、美冬は何時の間にか相手を睨んでいる自分に気が付いたが押し通す。

「鋭い所は夏南そっくりだな、東国人ってのは皆そうなのか? いや、すまない

俺は夏南の知り合いだ、クルトと呼んでくれ」

 クルトは右手を差し出した、握手のつもりだろうが美冬は無視した。助けて貰った恩はあるが、夏南と友好的な関係とは言っていないからだ。歓迎されていないと分かったクルトは手を引っ込めた。

「夏南を捕まえに来たのですか?」

 胸に当てた手に力が籠る、きっと今見た事も無いほど怖い顔をしているのだろう。

だが刑事は気圧されるどころか、困ったような顔をすると頭を指で掻いた。

「何か誤解しているようだが、俺と夏南は友人だ、時々捜査に協力して貰っている

そのささやかなお返しに一つとして、時間が空いたら薬屋を見に来ている」

 さっきの女医みたいな訳の分からん輩がいるからな、と刑事はため息交じりに付け加えた。

 本当だろうか?

友人と見せかけて、夏南のことを何か聞き出そうという魂胆なのではないだろうか、このクルトという刑事は。

クルトという刑事……あれこの名前、あ!

美冬は思い出した、シィ先生はよく面倒事を頼まれたと愚痴を零すことが多い、その中の幾つかに出て来た名前だ。

面倒くさがりのシィ先生は、国事に関する仕事に関わる人を役人と一括りにするので、クルトという人物を美冬は国立病院の関係者だと思い込んでいた。

「もしかすると、シィ先生の話に時々出て来るあのクルトさんですか?」

 シィの名前を出すと、クルトの目が僅かに険しさを取り戻した。

「多分そうだろうな

それで彼女は俺の事をなんと言っていた?」

「あ、ええと、その、ロンディニウムの厄介事横流し業者だと」

思わず正直に答えてしい、慌てて口を押えたが遅かった。

「気にするな、職業柄大抵の言葉にはもう慣れた」

クルトは笑い飛ばしてくれた、何というか申し訳ない。

「夏南から遠い親戚の娘と暮らしていると聞いていたが、変な人間に囲まれ随分苦労しているようだな」

 夏南とシィを変人呼ばわりされて良い気分にはなれなかったが、苦労しているのは確かだ、美冬は笑って誤魔化した。

しかし、事情があるとはいえ、自分が夏南にとって遠い存在で事を他人の口から聞くのは辛かった。

妹、それよりも近い存在になりたいのに。

「これ以上店を空けると先生が心配する、そろそろ戻った方が良い

またあの女に絡まれたら、ロンディニウム中央警察署殺人課の俺の所に来てくれ」

 刑事に言われ美冬は、店を鍵を閉めずに飛び出して来たことに気が付いた。泥棒でも入ったらどうしとう。薬を盗まれる事は心配だが、シィ先生は秘蔵の品に術識で罠を仕掛けている、知らずに触ったら大怪我をしかねない。

「ありがとうございます」

 美冬は深々とお辞儀をすると、駆け足でその場を後にした。店に戻ると幸い誰も入った気配はなかった。カンターに座わりほっと一息つくと美冬はそのまま力尽きて突っ伏した。

外の世界は大変だ。

店を出て手から30分しか経っていないのに、気付くと一日中神経を擦り減らす術識の練習をした後のように体が重い。

気力を使い果たした美冬は起き上がると、窓から外に目を向けた。

兄さん、早く帰って来ないかな。

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