第15話
「だから俺はやってないって」
「黙ってろ!
話なら取り調べ室で聞いてやる」
「いいから、放せって!」
敵陣に斬り込む覚悟を持って足を踏み入れた警察署の待ち受けは、騒然とした光景に包まれていた。窓口に呼ばれるまで静かに待つ者、受付窓口で泣きながら自身の不幸を訴える者、そして警官と喧嘩腰で怒鳴りあう者。来るたびに似たような光景に出くわす、この街は問題が片付く端から別な問題が沸いてくるので、日が昇っている間この場所が静まることはないだろう。
「邪魔だ、椅子が空いてるから座ってろ」
夏南は背後から怒鳴られ、慌てて道を空ける。
すると、屈強な警官に腕を捩じられながら歩く男が横切り、2人は受付を素通りして受付奥へと消えていった。どう見てもやりすぎだろう、夏南は人知れず拳を強く握った。警官に拘束された男の顔は何度も殴られたような跡があった、無論凶悪犯の可能性もあるので下手に抗議できない。
人口600万人が暮らす大都市ロンディニウム。
法治国家とはいえそれだけの人が身を寄せ合って暮らせば、事件は大小を問わず日常的に起こり続ける。善悪は灯りを点灯させるスイッチのように、明確な線が見えない事件は確かに存在する。そんな時は、深く知り決断を下す必要がある。
「人を呼んで頂きたいのですが?」
夏南は手近な受け付けに近づくと、デスクの向こう側で書類にペンを走らせている警官に話かけた。返事はない、仕事に集中して周囲の声が耳に入っていないのだろうか。もう一度同じことを、今度は少し大きな声で言うとペンを持つ手がピタリと止まった。
「人よ呼びたいなら、その辺に居る暇な奴に頼め、東国人」
警官は顔を上げこちらを見や否や、露骨に嫌な顔で悪態をついた。夏南は見慣れた、いや見たくもない顔の持ち主に声をかけてしまった自分の運と無さを呪った。
彼の名はヴァギ、数ヵ月前に地方からこのロンディニウムに転属して来た警官である。
ロンディニウムはイングレーズ連合国の首都であり、かつて複数の国や民族が覇権争いを経て統一された歴史の中に存在している。
ヴァギはゲール系の血を引くロンディニウム生まれの人間で、移民やゲール系以外の人種全てを治安悪化の原因と思い込んでいる。その考えは言動に表れ、その悪評は警察署をの壁を越え、この街に住む司法とは縁の薄い人間の耳にも届いていた。夏南は以前、ある仕事でそうとは知らずに彼に関わって殴られた経験があった。
「取り込み中だったみたいですね
言う通り、他の警官に聞いて」
「おい待て、今日は随分とあっさり引き下がるな、何でも屋
さては、何かやましいことをやったんじゃないのか!」
別な窓口に行くために逃げようとした夏南だったが、ヴァギは机を両手で叩いた勢いで乗り越えその背中に詰め寄って来た。突然の警官の奇行に、待合室が水を打ったように静まり返ったが、周囲の人間がヴァギがやったと分かると、顔を背けてそれそれの行動を再開する。
触らぬ神に祟りなし、援軍は期待できないか。
「この前ハーゲット通りで起きた事件
お前が噛んでるんじゃないのか、何でも屋!」
振り返らず無視したと思ったのだろう、激高したヴァギの手が夏南の肩を乱暴に掴み無理やり正面を向かせた。
「何の事だ?
そんな事件は知らないぞ」
「白を切る気か!
なら、1週間目の朝、何処にいたか証言できる人間を連れてこい」
怒りに身を任せた警官の指が肩に食い込む、痛いので払いのけたいが、それをすれば暴力を振るったとして拘束されてしまう。龍の調査がある以上、その手に乗って時間を潰してしまう訳にはいかない。夏南は全身に力を込めと地面に打たれた杭のように微動だにしなくなる、一瞬ヴァギの顔から血の気き手が肩から離れた。
しかしヴァギは引き下がらず、ハーゲット通りで起きた事件を、さもお前が犯人だというかの如く捲し立てた。事件は1週間前の早朝、ハーゲット通りの空地場で切断された女性の手首を清掃員が発見したのだという。夜間大雨が振り現場を洗い流してしまい、争った跡は確認できなかった。
残された足を検死した結果、死後半日以上経過、切れ味の悪い刃物で切断された手首を、野良犬が何処から空地まで運んで来たとのではないかと鑑識は結論付けた。殺人事件として捜査しようとした矢先、上部機関である内務省が事件を横取りしてしまったという。内務省は調査を行ったが、殺人事件では無く近くにあるハーゲット墓地から持ち出されたもので、事件性は無いと調査を終了してしまったのだという。
そこまで言うとヴァギは肩で息をして、今にも泣きそうな顔で、
「切断された手には指輪がった
持ち主は少し前に行方不明になってたって分かっていたのに、あいつらは無視しやがった」
と、悲鳴にも似た声を上げた。
その事件に何か思い入れがあるのだろう。しかし、納得できない捜査の不満をぶつけられるもは御門違いである。それでは被害者の無念を晴らすどころか、遺族は勿論自分自身すら救えはしない。
夏南は胸に滾った怒りを抑えると、目の前の男を見据える。
「いい加減にしろ
自ら調査もせず、たまたま目に留まった人間を容疑者に仕立て上げて、叩くのがあんたの仕事なのか」
凄みを効かせた夏南の眼光と声に圧倒され、ヴァギが半歩後ろへ下がる。
「その位、東洋の胡散臭い術で何とか出来るんだろう!」
「それで?
その術ってのは一体どんなものなんだい」
「……そ、そんなのアレに決まっているだろう
そ、そう風水ってやつだ」
夏南はヴァギが顔を真っ赤にして呟いた言葉に呆れかえった。風水とは羅針盤を用いて土地の「気」の流れを読み運気を操るものである。人の栄枯に関わる術で、人に直接危害を加えるものではない。
華国では政治家が決断する際に頼ることが多く、その話をヴァギは歪んだまま耳に入れてしまったようである。
遠くの国などさして気にも止めないのが人と分かっていても、いざ故郷の間違った認識を曝け出されると、かなりショックは受ける。
間違った認識を正してやりたいところだが、ヴァギは極度の興奮状態から一転、自信を無くしたように小声で呟くという不可解な態度を見えた。この状態の人間に人の話を聞く余裕はないだろう。彼の身に何かあったのだろうか?
下手に手出しを出来ず黙り込む夏南、その様子に図星を指したと勘違いしたヴァギの手が、夏南の右手を捩じり上げようと動いた。
「抵抗もしない市民を憶測だけで拘束しようってのかい」
突然、落雷が落ちたかと思うような重さを持った男の声が、周囲の喧騒を押しのけ二人の鼓膜を叩いた。
二人は声のした方を向くと、よれよれのスーツに身を包んだ一人の中年男性が、人が行き交うロビーの真ん中で悠然と立ってこちらを睨んでいた。男の近寄りがたい雰囲気に、歩く人間は自然と距離を取り離れる。本人は避けられることなど気にすることなく、警察署内だというのに、幾つもの死線を潜り抜けた夏南でさえ息を呑む程の殺気を込めた視線を、ヴァギに向け放ち続けている。
「チッ!」
ヴァギはわざと大きな舌打ちをすると、掴んでいた夏南の腕を解放すると、そのまま受付に戻って行った。これでヴァギの憂さ晴らしの的にならずにすむ。だがほっと一息つく暇も無く新たな問題に巻き込まれてしまったようだ。
目の前に立っている男の名はクルト・カルスリー。殺人課の刑事、その名は良くも悪くも広く知られている男である。事件解決の為なら司法の枠からはみ出す事すら裏でやってのける為、脛に傷のある市民は勿論一部の警察上層部からも疎まれている。
実績とそれに伴う人脈を警察内部に持ち、悪評を跳ね除けているが、以前下手に手を出した上層部の人間を追いつめ、汚職で懲戒免職まで追い込んだ過去が一番の魔除けになっている。
夏南とは仕事上の付き合いがあり、今日警察に来たのも彼からそれとなく、龍が絡んでいるであろう連続失踪事件が起こったことを聞く為である。
クルトは用が無い限り自分から夏南に声を掛けることは無い。ヴァギが去った後も動かないことから、何か仕事絡みの用事が夏南にあるのだろう。正直、龍を追う事以外に仕事を抱えたくはないが、今クルト以上に頼れる人間がいないので逃げ出す訳にはいかない。
「助かったよ
お礼に飯でも奢るよ、もうそろそろ昼だろう」
横目でロビーの壁に立っている大型柱時計を見ると、11時を回ったところであった
「お前と飯を食うなどごめんだ
それよりもある一件でお前に話がある、今回は先生の力も借りたい
これから彼岸堂に行こうと思っていた所だが、お前が来てくれてたお蔭で時間が省ける」
夏南の想像通り何か事件の様だ、しかも先生―シィの名が出て来たという事は相当手を焼いている様子である。
彼女はその持前の知識で何度も警察に協力している。だがそれは表立て協力し表彰状を貰えるようなものではない。以前にも説明した通り、シィ女史は過去に関わった人狼事件を機に、不本意ながら警察と教会とパイプを持ってしまった。
以降、両組織から化け物の関与が疑われる事件が発生すると、極秘裏にその知見を借りたいと協力を申し込まれることが度々ある。
しかし、クルトがいう力を借りたいとは、警察や教会のそれとは違う、夏南が所属しているある集まりでの仕事である。。
警察は化け物が犯人である証拠を掴むと、それを内務省経由で正導教会や軍に伝え、事件担当を譲渡されると事件に干渉はできない。両組織は事件解決と証拠隠滅を最優先課題とし、時に市民に犠牲を強いる。夏南の言う集まりとは、事件解決の過程で財産や身内を消された人間が、両組織よりも先に事件を解決する為に結成された、言わば第三の組織である。
クルト他数名の話を繋げると、組織規模はそれほど大きくなく、構成員は100名程度でその殆どは情報収集要員、戦える人間は夏南を含めて10名しかいない。構成員は夏南のような市井の人間から警察に政治家、何と軍や教会の人間も所属している。活動資金については、政治家や実業家から出ていて、解決した事件を報告すれば調査後に報酬を受け取れる。
構成員が持ち込む案件の他に、組織のトップから指令が下るが彼、もしくは彼らは決して顔を見せようとはしない。
構成員の中に貴族や王族の人間が無く、指令の内容も国内の治安に絡む事が多い。上層部はどちらか片方もしくは両方だと夏南は予想している。身の安全の為に確かめたいところだが、以前それをして消えた人間がいたという。
美冬の体から結晶を取り出す方法を探すという使命が夏南にはある。例え、実権を失いつつある貴族や王族に利用されようが関係ない。組織が市民を守る為に働く以上、美冬から呪いを取り除くまで互い利用しあうと、夏南は覚悟を決めている。
「誰かが新種の麻薬でも売り出したのかい」
「そんな所だ
今度のは腹に来る、腕の確かな薬剤師の協力が欲しい
だがその前に、この街の裏事情に詳しいお前の話が聞きたい」
いつもの様に要点をぼかした会話を交わし、クルトが夏南を協力者として警察署内に招き入れる芝居を打つ。これまで幾度どなく繰り返して来た茶番。だが、これをこの場でやらないと、他の警官にロビーから先に進むことを止められる危険がある。
免罪符を握っている振りをしたクルトは、「着いて来い」と言って受付の奥、警察署内へと続く廊下に向かって歩きだす。途中でカウンターの横を通る時に、横目でヴァギを盗み見る。そこには鬼のような形相でこちらを睨むヴァギの姿があった、受付がその様子では誰も話しかけて来ないだろうに。
夏南はクルトの後に続いて警察署内に足を踏み入れる。
「俺は受付をやる為に、ロンディニウムに来たんじゃいぞ!」
突然悲鳴にも似たヴァギの怒号が、夏南の耳朶を背後から振らした、予想通りの行動に夏南は構わず歩き続ける。彼が栄転と信じてこの街に着任したのを人づてに聞いている。期待外れの受付業務に回され溜まったストレスが、先ほどクルトにやり込められた怒りと化学反応を起こしたのだろう。
夏南の胸に僅かな同情の念が芽生えたが、振り返ってそれを口にしようとは思わなかった。欲しいものは自力で掴むしかない。人の脚は地面や人を蹴る為では無く、前に進むためにあるのだから。
「ヴァギの様子がおかしい、一体何があった」
夏南は少し前を歩くクルトの背中に疑問をぶつけてみた、いつも以上に攻撃性を見せるヴァギ、同僚なら何か知っているかもしれない。しかし、クルトは足を止めるどころか振り向きもしない。何か隠しているな、夏南の直感がそう告げる。
クルトが抱えている事件と何か関係があっての沈黙なら、この先でその答えを知ることができるだろう。夏南はクルトに倣って沈黙すると、目の前の刑事の後に張り付いて廊下を進み続けた。
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