第14話

時刻は朝9時を過ぎた頃だろう。

夜の空気によって冷やされ、まだ陽の光で暖まりきっていないロンディニウムの空気は肌寒いが、これから職場へ向かう者達やそれを目当てに商売をしようとする人間達の多くが路上で動き回り、静かに熱を発していた。

道行く人間の顔には仕事疲れや笑顔、裏路地からこちらを覗く人々は嫉妬や憎悪といった感情が垣間見える。

夏南の故郷では村に住む者全員が家族、何処か安心感とそれ故の閉塞感、そしていつ龍に殺されるか分からない拭い去れない怯えがあった。この街は人が流動的に出はいりし、集合住宅で隣に住む人の名前も知らない、龍に怯える替わりに病と貧困と犯罪が日常を脅かす脅威となっている。暮らし始めて1年、何かと後ろ指を指される東国人という立場もあるが、未だに馴染み切れてはいない。

だが、この国は10年前にこの北欧を舞台とした戦争を経て、その名残が一見には見えぬ程復興したことについては、素直にその凄さを夏南は認めている。

龍を倒す、その国から託されたたった一つの勅名を一族の存在理由とし、その為なら龍の力を借てまで固執する浅ましさの中で夏南は育った。

国に自らの存在を示すために、愛する者を生贄に捧げる事すら平然とやってのける一族の出の目には、この国に住む人々が放つ輝きが、実体よりも大きく輝いて見えるだけなのかもしれない。

益体も無い考えを巡らせていると、夏南は彼岸堂のあるクスター通りの終わりに差し掛かり、目の前に大勢の人間が行き来する大通りが現れる。ロディス大通り、この街を東西に横切る大通りの一つだ。目的地である警察署はその道を東に進めば辿り着ける。夏南は躊躇する事無く、水の様に流れる人波に潜り込んだ。

歩きなが街の雑踏に耳を澄ます、一定の感覚を空けて、目立たぬように周囲の人間達に視線を走らせる。故郷を捨てたとはいえ、宗主である父は逃げる者を許さず必ず追っ手を差し向けていた。遠いこの北欧の地であっても、油断は禁物である。

 背広姿の紳士、油汚れの残る作業着の労働者、学校へ向かう途中の子供、夏南は何食わぬ顔で混じるも流石に東洋人は目立つ。だが、この街の住人の大半は道行く異人など既に見慣れている。その証拠にこちらに目を向けて来る人間の殆どが、東洋人と分かるやいなや、興味を失い他所に視線を移してしまう。

夏南は自身のこの扱いにはもう既に慣れてしまい、今では溜息すら漏らすことは無い。しかし、これから向かう場所では東国人というだけで拳が飛んで来る危険な場所だ。これまで幾度となく足を運んだが、未だにある種の覚悟がいる。出来ることなら行きたくはないが、今龍から美冬を守る為には「彼等」の協力が必要不可欠である。

追っ手や尾行の気配はない、それが分かると夏南はまるで息継ぎをするかのように、周囲の景観に目を向け一時の散歩を楽しもうと心に決めた。何時までも張り詰めていては折れてしまう。

ロディス大通りは目抜き通りらしく整備が行き届いている。道路は表面が一つ一つ平らに加工された石が敷き詰められていて、故郷の剥き出しの土の上を歩くのとは感触がまるっきり違う。長時間歩くと足に違和感をおぼえてしまい、時々澄ました顔で馬車を引きながら歩く馬を見る度に、少し羨ましく思ってしまう。

視線を少し上に向けると、大通りをを取り囲む建物は、レンガやコンクリートの外壁を交互に並べ、その隙間に時折小さな木造建築の家屋が肩身が狭そうに軒を連ねている。何れも、歩道との間に引かれた境界線の上に規則正しく並んでいる。乱雑だが何処か強力な規範が確かに存在する、この国の一端を夏南はそこに見出していた。

もしかするとこの東国には無い雰囲気が、美冬に疎外感を与え外に出ようという気を萎えさせ、罪の意識が膨らむ隙間を作っているのかもしれない。

そんな事を考えながら暫く歩いていると、突然殺気にも似た粘っこい視線を向けられていることに気付いた。視線の主は歩く夏南の後ろから、一定の間隔を空けて尾行している。夏南は人の気配がしない小さな通りを見つけると踏み込んだ。

暫く進み、右に曲がる素振りを見せた瞬間、獲物の気配を察知した猛獣の如く振り返った。

「あ!あぁぁぁ」

 目の前に、ボロ布で幾つも補修された服を来た男が一人、驚きと怯えに染まった顔で立っていた。

男の左手はこちらの方を掴もうとしたのか付きだされているが、右手は肩から下げられた鞄の中に入っている。鞄の大きさから見て、中でナイフでも握っているのだろう。目に留まった通行人の衣服を切り財布を盗もうとしたが、決心が付かずここまで着いてきてしまった、というところか。

「ビーオ通りで日雇い労働者の募集をよくやっている

ノミが使える職人なら稼げはずだ」

夏南は蛇に睨まれた蛙のように動かない男の左手に、ポケットの奥から5シリング貨幣を取り出し握らせた。建物の陰でよく見えなかったが、予想通り触れた男の手には幾つもの切り傷の跡と、道具を長時間握るっていた証拠である皮膚の厚い部分があった。失業者だろう、何かしてやりたいが今の夏南には助言と僅かな施ししかできない。

夏南は逃げるように、来た道を戻り再び大通りの人の流れに乗った。

「おー怖い、怖い

怪しげな東国人が同じく不審人物と一緒に裏路地に入っていったぞ

きっと、あくどい取引をしていたに違いない」

 1分も歩かないうちに、ワザとらしい声が耳に飛び込んできた。聞き覚えのある声、無視して歩き続けたが、声は遠ざからず背中から着いてくる。投げかけられる誹謗中傷は止まらず、殺人や放火まで及び周囲の通行人が怪訝な目でこちらを見始める、夏南は堪らず振り返った。

「はい、一部30シリング」

 一睨みしてやろうと思ったが、目の前に突き出された新聞で視界を塞がれてしまう。夏南はそれを鬱陶しそうに手でどけた。

「10シリングじゃなかったのか」

「お友達にはそれなりの価格で提供」

「友達から毟り取るのかお前は」

 ニヒヒと夏南の腰程の身長しかない新聞売りの少年は、屈託の無い顔で笑った。笑った拍子に、唇と唇の合間から白い歯が顔を覗かせる。歯は上下合わせて3本程欠けている、それはピアノの鍵盤を連想させ無邪気な笑顔を引き立たせてはいるが、失踪した父に殴られたのが原因と知る夏南には、何処か痛ましく見えた。

ん?新聞?

夏南は一度突き返した新聞を半ば強引に奪い取った。

「おい!このペパ様から金も払わず物を取ろうというのか」

慌てて掴みかかって来ようとする少年ーペパが突き出した手に、15シリングを握らせた。

「・・・・・・毎度」

 不承不承と言った様子で、ペパは手を引っ込めた。

夏南はペパが黙ったのを横目で確認すると、新聞を急いで読み始めた。ペパが売っているということは、この街で売られている一番新しいリュードゥ社の新聞である。ゴシップ寄りの新聞であれば、情報規制の網から漏れているかもしれない、僅かな期待を胸に記事を読む進めるが、連続殺人事件どころかそれらしいも載ってはいなかった。

どうやら警察の隠蔽工作は、報道関係、それも2流、3流の新聞社にまで及んでいると見て間違いないだろう。夏南は内心、舌を巻いた。警察で目ぼしい情報が得られなければ、顔見知りの記者を当たろうと思ったが、知人程度の関係では教えてはくれないだろう。

「そう言えばここ最近、何処かで人があいつで居なくなる事件が起きてるって噂を聞いたが、お前さんしらないか」

 新聞社が駄目なら次は子供の情報網だ。活発なペパは、この街で顔が広く友人が多い。その分敵も多く口の堅いところもあるが、先ほどのやり取り通り、夏南は同年代の友人のような扱いを受けている、知っていれば話してくれるかもしれない。

「そうの手には乗らないぞ

行方不明者を探す振りをして、残された家族から前金をふんだくる気だろう」

 ペパは一歩後ろに下がると、まるで汚物を見るような目でこちらを睨んだ。

「あのな、俺の事一体何だと思っているんだ?」

「反社会分子、犯罪者予備軍、怪しげな術を使う東洋人、薬屋の下僕」

 慣れ親しんだ人間から有らん限りの暴言を浴びせられ、夏南は面食らって反論一つ出てこなかった。幾ら居なくなった親の代わりに働くという環境に居るとはいえ、どんな擦れ方をすればここまで酷い言葉が瀧のように口から出てくるのだろうか。言われっぱなしは悔しいので、一つ説教でもしてやろうかと考えたが、家族を支えているというプライドを持つペパとは口論になってしまうことを、夏南は既に経験して知っている。

ここで反論するのは止めよう。

 夏南の二つ目の仕事が、ペパの罵倒に当てはまっている事実が、不満をぶつけることを許しはしなかった。

「行方不明者の話なんて知らないよ

もし知ってたら、そのネタを新聞社に売りつける位はするって、カナンなら分かるだろう」

 何も言い返してこない夏南の顔を覗き込んだペパは、何故か寂しそうな顔でそう言った

「ありがとな」

 夏南は新聞を小脇に抱えると、ふとあるものが目に留まった。

「そういえば、学校には行かないのか?」

 ぺパと同じ10代前半の子達が、黒と灰色が混じった制服に身を包み、学校へと息を切らせながら目の前を横切るのを見て、以前から気になっていた疑問を口にした。

 この国の学校制度は北欧一発達しており、他国から時折視察団が来ていると聞いたことがる。その運営は、文科庁と正導協会を含む複数の宗教組織が共同で行われている。ぺパのような貧しい子供であれば、高等教育まで学費を免除する制度も用意されている。

その制度には衣食住の提供も含まれてはいるが、入学する学校を運営している宗教に入信、信者として日常を送る必要がある。この国の掲げる憲法、信仰の自由に抵触するとして定期的に議会で議論されてはいるが、未だに結論は出ていない。

「あんな死人みたいな服を着て、見えやしない神様、俺に言わせりゃお化けに祈るなんてゴメンだね

それなら触れる母ちゃん方の方がマシだよ、怖いけどな」

 ペパは何故か両手を広げると、苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。両手を広げて幽霊のつもりだろうが、出来の悪い案山子にしか見えない。母さんと言った瞬間ペパの鈍く輝く目が、一瞬だけその奥に仕舞われた輝きを解き放つのを夏南の目は逃さなかった。。

「そうか、なら母親の為にも死ぬなよ」

 夏南の言葉にペパがポカンと口を開けると、やがて訝しがるような視線を返して寄越した。しまった、夏南は誤魔化し笑いをすると、そそくさとその場を後にした。何度も龍討伐に参加する度に口にしていた「死ぬな」という言葉を無意志に口にしてしまった。

鋭い牙が己の首に食らいついて来るのかという恐怖に怯え、どれだけ味方を犠牲にすれば勝てるのかと考えてしまう自分を恥て生きて来た自分と、愛情から母を守ろうとするペパでは住む世界は違うのに。

夏南は俯いたまま、人の流れを掻き分け歩き続けた。

やがて「ロンディニウム中央警察署」と書かれた錆びた金属製のプレートを掲げた巨大な門が目の前に現れ足を止めた。門は開かれ、浮かない顔の警官や市民が出入りしている。事件を扱う場所である以上、笑顔の人間が多いほうがおかしい。

きっと自分も似たような顔をしているのだろう。夏南は少し埃っぽい空気を胸一杯に吸い込むと門を潜った。門柱の前に立つ警備の警官がこちらを睨むが、見知った顔と知るとめんどくさそうに顔を背けた。

夏南は相手の顔を知ってはいたので挨拶でもしようと思ったが、そのまま素通りして敷地内に足を踏み入れる。

広く舗装された道を暫く進む、針葉樹の傘が消えると、古めかしいレンガ作りの建物が姿を現した。

雨風に晒され至る所に黒ずみと補修跡が残る警察署を、趣があると親しみを込めて評価する声も多いが、夏南の目には古城や砦に見え、それが苦い思い出を呼び起こすので好きではない。

城や砦は戦士が拠点とする場であり、ある種家のように帰属意識が芽生える所でもあるが、時に戦いは嘘や欺瞞を用いねばならず、そのタールのように粘着くものをその中で練り上げ命を啜る。

和平交渉の場を設けたと政敵である一族の代表を誘い出し、朝敵として打つ父の作戦に駆り出された時の体験は、未だに傷となって時折夢に現れる。余所者である自分は目の前の建物の中で、いつ国家の敵として裁かれてもおかしくはない立場だと、ここに来るたびに思い知らされる。警官たちがこの街の治安を守っているのは重々承知しているが、全員が後ろ手に武器を持っている事を忘れ油断してはいけない。

夏南は気を引き締めると、目の前に口を空ける入り口へと飛び込んだ。

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