第13話

「美冬、御馳走様

俺はこれから外に出て来る」

「リリムさんの仕事を手伝うの?」

 空のカップを集めていた手を止めて美冬が聞いた。

「教会と警察の話だ、俺が首を突っ込んだらこれ以上にややこしくなる

それにこっちも今日は持つ運びだ、そんな時間はないよ」

 夏南はこの街で「何でも屋」の看板を掲げてはいるが常に予定が埋まっている訳ではない、故に乏しい稼ぎを補うべく自分から仕事を探しに行くことが多い。

荷物運びはその一つで、内容は商品の輸送からリリムのように地方から来た観光客の荷物まで荷物と名が付く物は何でも運ぶ。竜討伐で鍛え上げられた夏南の体は、客の目の前で軽々と思い物を運んで見せるので評判は上々である。

しかし、今日からは龍の追跡調査を行うので本業は休まねばならない。

美冬はこの嘘を信じてくれるだろうか、夏南は彼女の澄んだ目を正面から受け止める。

罪悪感が胸を刺す、顔に出ないよう軽く奥歯を噛んだ。

「気を付けてね、それと遅くならないように」

美冬は疑う素振りも見せずに微笑むと、カップの片づけを再開する。

罪悪感から逃れるように夏南は席を立ち、キッチンへと向かう美冬の背中を見送る。胸の内でごめんと誤ったところで言い訳にしかならにのでやめた。それよりも今は気持ちを切り替えねばならない、相手は龍を道具として扱う程の者だ、一つの見落としが即死に繋がりかねない。

昨日の一件から預かる事になった脇差を持ち歩こうかと思ったが、これから警察の敷地内に入る都合から止めておくのが妥当だろう。

只でさえ東洋人、いや外国人というだけで余人の目が入らぬこの街の一部では、要らぬトラブルや理不尽な暴力に容赦なく巻き込まれてしまう。そこでは、護身用のナイフで払えるトラブルがあると同時に、予期せぬ事態を招いてしまう。警察内部の人間から情報提供という協力を得なければならぬ以上、下手なリスクを背負いたくはない。

いざとなればこれを使えばいい、夏南は拳を軽く握り締めた。

「夕飯までには戻って来い

くれぐれも警察署ではしゃいで暴れるのはやめるんだ」

「俺はそこまで子供じゃない」

 夏南の胸中を察したシィが釘を刺してきたが、強気に返す。彼女は見た目よりも長く生きている。自分など赤子同然の存在でついつい口を出したくなるのだろうが、成人の儀を済ませ一人前の自覚があるので、素直にありがとうと返すことができない夏南であった。

「見栄を張るだけの気力はあるようだな

美冬君の件で現状維持を望むなら、嘘でもいいから折り合いを付けるのが、精神衛生上ベターな行動だろう」

 突っぱねるような返事をさらりとかわして、シィは助言を付け加えてくれた。その姿が夏南の羞恥心をはっきりとくすぐった。

「これ以上の心配は無用、残りは美冬に使ってやってくれ

それよりも今日はやけに親切だな?

そっちこそ何かあったのかんじゃないか」

「お前ほど格安で仕事を引き受けてくれる人間を、私は知らないから気にかけるのは当然だろう」

 シィは不毛な会話を早く切り上げたいのか、営業用に笑顔で冷めた紅茶みたいな言葉を放り投げて来た。

互いに不器用だとは思うが、一緒に暮らし始めた当初、会話といえば事務的な連絡だけだった頃を思えば、格段に進歩している。

美冬の事は勿論大事だが、シィ女史とのぎこちない関係も気に入っている。3人での生活が1秒でも長く続くよう、この龍が絡んだ事件は早く終わらせなければ。

夏南は昨夜から掛けっぱなしのジャケットをハンガーから取って袖を通すと、無言で新聞を読み続けるシィを一人残してダイニングを後にする。

キッチンから漏れる食器を洗う音を背に、この建物1階の大半を占める「彼岸堂」へと続く扉を開ける。絵画や調度品の置かれていない質素な廊下からは想像も出来ないほど、家具や商品に溢れ騒然とする薬屋の光景が視界に飛び込んでくる。

経年劣化で色褪せた棚は列を作り、その上には乾燥させた薬草、動物の体の一部が入った瓶、そして漢語が書かれた箱が所狭しと並んでいる。シィの性格をよく現しているというにが率直な感想である。美冬が店内を整理しているところを何度か見かけたが、彼女をもってしても店主の性格同様に直らないのだろう。

視覚情報には慣れたが、濃厚に混じり合った薬の匂いに、外で働く時間が長い夏南の鼻は未だに違和感を感じている。

「兄さん」

 店の入り口の扉を開けようとしたその時、背後に人が走り寄る気配を感じ振り返ると、軽く息を弾ませた美冬が立っていた。

「くれぐれも危険な真似は謹んでください」

 いつもなら笑顔でいってらっしゃいと明るい声を掛けてくれる美冬が、今朝は不安げな顔で見送りに出てきた。リリムを手伝う気はないと言ったことを信じ切ってはいないのだろう。いや、昨夜の龍を追うことに何か感づいたに違いない。

「心配するな、昨日の龍には手を出さないよ昨日龍を取り逃がした情けない俺の姿を見ただろう、後はリリムたち教会の人間に任せるしかない」

 美冬の不安を拭おうと口元に笑みを浮かべながら言ってみたものの、効果は今一つ彼女の表情は晴れなかった。。

「そうだけど、そうじゃなくて……私は今とても幸せなの」

 美冬はそう言うと、躊躇うように視線を泳がせると唇を噛んで黙り込んでしまう。

何がこのままでいいのだろう、夏南は思考を巡らせるが思い当たる節は何一つ無かった。

「兄さんが危ないことをしてまで、私は長生きしたくないから」

 美冬は慣れぬ作り笑いを浮かべた。

このままでいい、それはつまりいつか自身の体を壊す体内の龍の餌を取り除く必要は無いと言っているのだ。夏南が結晶の取り除き方を探していることを美冬は知っている。昨夜の一件で、自分の目の届かないところで、兄が危険に身を晒しているかもしれないと不安になったのだろう。

「あっ」

 夏南は美冬の体を静かに抱き締めた。

 薬の臭いに替わって、美冬がいつもつかっている石鹸の香りが鼻腔を満たす。ブラウス越しに、脂肪の余り付いていない細い体がじんわりと伝わってくる。この折れそう程小さな体は自らの運命よりも、兄の身の安全を選んだのだ、そう思うと抱かずにはいられなかった。

「一緒に生きるって誓っただろう

だったら、諦めるのはまだ早いよ」

 叱ることより、夏南は励ますことを選択した。彼女は多くの人間が幼少期に得るものの殆どを諦めてきた。自分の幸せ、それを感じることができる時間を手放すようなことはしてほしくない。一方的な期待と干渉なのだろうが、美冬の笑顔の為ならその罪は喜んで受ける覚悟だ。

「兄さん」

 予期せぬ抱擁に美冬が困惑した声を漏らしたが、夏南の腕の中から逃げる気配はみせない。

「結晶を取り出す方法は必ず見つけ出して、お前のところへ必ず、届ける

俺を信じてくれるなら、その日が来た時の為にやりたい事を一杯見つけて待っていてくれ」

 届けるものの中に自分を含めていない、ズルい言い方だ。それを自覚して最愛の女性の耳元で囁く事は、鋭利な刃物となって夏南の胸を抉る。だが、顔には出さぬように笑顔を装った。

「狡いです、兄さん

信じていなかったら、その手を取って今ここにはおりません。

分かりました、夕飯までには帰って来てくださいね」

 彼女の顔を覗くと、拗ねる子供に手を焼く親のような表情を浮かべていた。

「美冬」

「あ・・・」

 夏南は美冬を強く抱くと、東国の野山に咲く桜のような薄紅色の唇に自らの唇を重ねた。

薄く柔らかい粘膜から伝わる体温が、夏南の鼓動を加速させる。

西方では男女は勿論家族でも挨拶かわりに口づけをかわす、その風習を耳にした二人が興味半分のおふざけて始めたキス。

鉄格子越しに交わされるそれは、最初二人の中では単なる遊びの一つであり、唇をぶつけて笑いあう他愛のないものであった。

だが、互いに歳を重ねる事に、互いに抱き合い口づけの時間は長くなっていった。夏南は胸の内に芽生えた淡い気持ちのせいだろうと、朧気ながら感じていた。多分、美冬も同じでこちらの胸の内も気づいているのだろう。

しかし、夏南は気持ちをどう呼べばいいか決めかねていた。二人は兄妹である、その事実が名付けの邪魔をするのだ。ロンディニウムでは、血の繋がらない男女として生きていこう、その約束を交わすのが今の夏南には精一杯であった。

美冬の呼吸が早くなり、その体がいつも以上に熱を帯びていく。

何時までもこうしていたい。

だが、美冬から離れなければ彼女の命を守ることはできない。

夏南はゆっくりと美冬から離れた。

突然キスを終えられた美冬がこちらに手を伸ばすが、はっとすると手を引っ込め恥ずかしそうに顔をそむけた。

「無事に帰って来るっていう誓いのキスだよ」

 自分で言って恥ずかしさに耳が熱くなるが、美冬は寂しさと苦笑が混じりあった目で微笑み返してくれた。

「それじゃ言って来る」

「気を付けてね」

 離れなければ守れないものもある。

夏南は意を決して踵を返すと、彼岸堂の表玄関からロンディニウムの街へと繰り出した。

窓越しに美冬の視線を感じるが、振り返る事無く力強い足取りで警察署へ向かって進んでいく。

 この街で暮らし始めて早一年。

東国よりも緯度の高いこの街の空気は冷たく、夏南の腕に残る温もりは時間お共に消えていった。

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