第10話
「シィ先生、兄さん見ませんでしたか?」
暫くすると突然研究室の扉が勢い良く開き、勢いよく美冬が飛び込んで来て、部屋の空気を一変させた。
窓から差し込む朝日に照らさた美冬の姿は眩しく、白い肌と腰まで長い黒髪と黒真珠のようなつぶらな瞳が曇り無く輝いている。
十分な睡眠を取り昨日の疲れが吹き飛んだようだ、夏南は胸を撫で下ろした。
重いものを一瞬で吹き飛ばす彼女の存在、これを守る為に今日までやってきたのだ。
夏南は胸の中で、シィの提案を却下する。
「兄さん!」
しかし、夏南の姿を見るなり美冬の様子が一変。
眉間に皺を寄せまるで強敵に挑むような顔をして、夏南に詰め寄ってきた。
「何処か痛い所はありますか?」
医者が診察の時によく口にする言葉だが、口調には犯罪者を問い詰める警官を思わせる棘がある。
「大丈夫、何処も怪我はしてなよ」
夏南は笑って誤魔化そうとしたが、美冬の目はつりあがったままだ。
「そう言って、前に荷揚げの仕事で怪我をしたことを隠してましたよね
隠し事や嘘はやめてください」
美冬の目尻に涙が浮かぶ。
俺は嘘つきだと思われていたのか、かなりショックだ。
「嘘じゃない、何処も痛い所は無いよ」
夏南は椅子から立ち上がって、その場で軽い準備運動を披露する。
怪訝そうな目で見ていた美冬の顔が次第に晴れていく、一応信じてくれたのだろう。
夏南は運動を止めて椅子に座る、龍を抱えて地面にぶつかった左肩の痛みが残っているが、時期に引くと思うので黙っておく。
「よかった、無事みたいね」
美冬が表情を崩すと、糸が切れた人形のように近くの椅子に腰を降ろした。
「急にベッドから居なくなったんで、何処かで俺が倒れているんじゃないかって、心配したのか」
美冬は首を横に振る。
「怪我したまま、昨日の龍を探しに行ったんじゃないかって、そう思っただけ」
今後の行動を読まれて夏南は内心焦った。
脳が高速回転、誤魔化す為の嘘は直ぐに見つかった。
「龍退治からは当の昔に足を洗ったよ
後はこの街のお役人の仕事だ、俺の出る幕じゃない」
美冬が言葉の真偽を確かめようと、夏南の目を見つめる。
微笑みで応える、酷い兄だ。
「昨日、逃がしたのを見ただろう
もう、龍との戦いは忘れたよ」
「・・・・・・そうですね」
美冬は渋々といった様子で身を引いた。
「では、なぜ朝からシィ先生の部屋に居るのですか?」
「昨日、御使いに言ったことを忘れたのか」
夏南はズボンのポケットから受領書を取り出した、戦闘を経てボロボロだが、受けとり先の使用人のサインは辛うじてまだ読み取れる。
シィはそれを受けとると、「御苦労さん」と労いの言葉を口にした。
「これで、この件はお仕舞いだ」
二人のやり取りを黙って見ていた美冬だったが、暫くすると席を立とうとした。
「そうだ、朝御飯を作らなきゃ!」
しかし、美冬は姿勢を崩して倒れそうになる。
夏南は直ぐに異変を察し、彼女の体を抱き止めた。
「美冬!」
「平気、平気
昨日、久しぶりに術識を使ったから疲れちゃった
これにいつも術識で術力を座れてるの忘れて張り切っちゃった」
美冬の顔は少し血の気が引いて白い。
武器が心もとなかったとはいえ、昨夜使わせた術識は想像以上に彼女の体力を削っていたのだ。
夏南は自身の浅はかさに奥歯を噛み締めた。
「昨日はすまなかった
必ず、必ず、お前の体から結晶を取り除く方法を見つけるから、待っていてくれ」
「もう、いいの
こうして二人で一緒に暮らせるだけで、私には十分なの
長生きしたいなんて思わないから、夏南は危ないことはしないでね」
美冬の腕が夏南の背に回る、そして離さないと言わんばかりに胸に顔を埋める。
やはり自分は酷い兄だ、彼女に懇願されればされる程、どんな危険に飛び込んでも悔いはないという気持ちが溢れ止められない。
夏南は堪らずに妹を抱き絞める。
「そんなこと言うなよ
俺はお婆ちゃんになったお前を見るつもりだ」
「それは見られたくないかな」
「安心しろ、そうなったら俺もシワシワだ」
夏南は顔にシワを作ろうとした、しかし変な顔になってしまい美冬が吹き出した。
これで少しは気が晴れただろうか。
「もしも~し
人の部屋で二人の世界を広げないでください」
いつの間にか見つめあっていたことに気づいた二人は、弾かれたように離れた。
シィはニヤケけた顔でこちらをみている。
「駆け落ちしか道の無かった儚い恋、この異国の地で果たして花を咲かすことができるのか」
芝居がかった口調で彼女は更に囃し立てる。
「筋としてはありきたりだ、もう一声ほしいな
例えば、二人は血の繋がった兄と妹でした、とか」
な!
夏南は絶句し、美冬の方がビクッと跳ねた。
バレてはいないはずだ。
いや、身近に居る美冬の態度から何か察したのだろうか。
高鳴る心臓を他所に、夏南の脳は高速で思考を巡らせ、この場を切り抜ける言葉を探す。
美冬とシィの間には信頼関係が成立している、禁忌を犯そうとしていることがバレて、気まずくなるのは何としても避けたい。
不意にこちらに向かって何かが飛んできた、夏南は片手で受け止める。
「愛欲の血族、禁断の兄妹?」
それは巷で流通している質の悪い紙に印刷された小説、それも官能小説であった。
シィは医学薬学のまじめな本をよく読む反動か、こういった本を好んで読んでいる。
「俺と美冬の顔が似てるのは、従妹だからだ」
幼い頃、美冬の乳母は夏南と顔がそっくりだと言われたことはあるが、今は男女の違いが明確に現れているので、そこまで似ているとは思えない。
シィから見れば、人間の顔など似たようなものなのかもしれない。
「こんな本だってさ、我が助手君
今後は購読を控えたほうがよさそうだぞ」
まさか、美冬の本だったのか。
夏南は美冬の顔を覗き込んだ、彼女は耳まで赤くなる。
「いや、その、美冬の趣味を否定するつもりはなくて
俺もほら、ドュイールの人が殺される本が好きだし」
身近な人間の意外な趣味が暴露され、夏南はどうフォローしていいのかわからない。
「やっぱり、お前達二人はからかいがいがあるな
楽しかったぞ、礼を言う」
シィの顔が一変、満面の笑みを浮かべる。
やはり、夜通し龍の調査をして相当ストレスを溜めこんでいたようだ。
「先生は意地悪が過ぎます
そのような態度ですから友達もおらず、家に引きこもりがちなのですよ」
美冬の反撃、普段の彼女からは想像も出来ない言葉が浴びせられると、シィの笑顔にヒビが入った。
美冬は一年前まで監禁されており、日常で接する人間は夏南や術識の師を含めて5人にも満たない。
それは、俺と乳母が話す内容と本からしか世の中の事を知りえない環境で、故に恐ろしく純粋で世間知らずな所が美冬にはまだある。
そのせいで、人の触れてはいけない部分に、何の躊躇いもなく踏み込んでしまうことが時々ある。
「どうせ私は薬臭い、売れ残りの孤独な女です」
シィは床にしゃがむと、器用に膝と膝の間に顔を埋めてしまう。
「あ!
シィ先生、ごめんなさい!」
自身の失言に気付いた美冬が慌ててシィに駆け寄る、だが彼女の機嫌は直るどころか、床を指で擦りはじめてしまう。
暫く謝り続けていた美冬だが、
「今日の朝御飯は先生の好物である、魚の干物の煮物にしましょう」
と、餌さで釣る作戦に切り替えた。
医学薬学に精通し誇り高いシィが、そのようなもので釣られるだろうか。
「本当?」
「はい!」
「ならば、直ぐに支度をしておくれ、我が助手」
釣られてしまった。
美冬は胸を撫で下ろすと、急ぎ足で部屋を出ていった。
夏南の知らぬところでは、今の様に美冬がシィの舵取りをしているのだろうか。
「兄さん!」
部屋の扉が再び開かれ、美冬が顔を覗かせる。
「もしあの子龍を追うのなら、私も連れて行って下さい
できれば、あの子を助けてあげたいので」
美冬が目を伏せた。
夏南は昨夜の龍を殺すことも考えていたが、反対に彼女は助けることしか考えていなかったようだ。
夏南の胸が締め付けられたような痛みを訴える。
夏南の胸にも僅かに殺した龍に対する罪悪感と憐憫の情はある。だが、美冬のそれは夏南が考える以上なのかもしれない。今まで彼女に語った龍討伐の話、それを胸を痛めながら聞いていたのかもしれない。
「残念だけれど、ここから先は警察から報告を受けた正導教会や軍の仕事だよ
それに今頃は、逸れた親と一緒に人里離れたところへ逃げているよ」
幼少期に人の血を憶えた以上、龍は本能的に人間を喰らう。
だが、龍は成長すると人と同じかそれ以上の知能を有する。
人との争いを避ける穏健派の龍の中には、人を殺した我が子を術識で作った空間に血の味を忘れるまで隔離ていたという話がり、美冬は夏南の口からそれを聞いている。
昨夜の龍にも同じ事を期待したいが、そんな親が居るとは思えない。
「本当ですか?」
美冬の縋るような視線が向けられる。
「俺らみたいに国を追われた龍の親子だろう
だから、静かに暮らしたいと思っているはずさ」
夏南の言葉に美冬の瞳が揺れる。
ついた嘘が夏南を切り刻むが表情には出さない。
グ~!
その時、緊迫した空気を切り裂き、腹が鳴る音が部屋中に響き渡った。
「助手よ、朝食の準備を頼む
朝方まで調べものをしていて、腹が減って仕方がない」
シィは大袈裟に腹を抱えて見せると、涙目で空腹を訴えた。
「い、今すぐ支度します」
そう言い残すと美冬は扉を閉めた、慌ただしい足音が遠ざかっていく。
「助けた礼は無いのかい?」
直ぐにシィは演技を止め、いつもの気怠そうな顔に戻った。
「嘘に嘘を重ねたて礼がほしいのか?」
シィは答える代わりに、何処からともなく火の付いていないキセルを取り出して口に咥える。
「嘘はつきたくないな」
散々美冬を騙す言葉を吐いた口から、無責任な言葉が漏れる。
「真実のみの世界は平和とは限らん
何より私たちもお前達も、そんなものに耐えられるように出来てはいない」
シィの言葉に、かつて父の口からおぞまじい事実を突き付け日の事を思い出してしまう。
彼女の言うとおりだが、罪悪感が積もった世界も似たようなものだろう。
「必ずバレる日が来るぞ」
シィは医者が患者に余命を宣告するかのように言う。
「だが今じゃない
気づく前にかたを付ける」
生まれたての幼態でありながら巨体を有し、術識を使う龍。
体に作用する何らかの方法を龍もしくはこの国に持ち込んだ者が知っていれば、美冬の体から結晶を除去するヒントを得られるかもしれない。
その為には、化け物退治専門部隊を持つ正導教会に、警察から事態を引き継いだ軍、その両方を出し抜く必要がある。
「意気込みは買うが宛はあるのか」
「有るには有る」
「あの連中か、龍に関しては頼りにならんぞ」
夏南はこの街で関わったある筋の人間達の力を借りることを考えていあたが、彼女の言う通り龍に関して何の知見も持ってはいないだろう。
「術識でお前の上着に付着した龍の体液を調べたら、ある植物の成分が検出された
龍月草―ゴホウ科に属する学名はテセン草
成長期の代謝に必要なビタミンを多く含んだ龍の好物の一つさ」
「そんな草、何処にでも生えている・・・・・・って、訳ではないんだな」
シィは頷いて肯定。
「東国の西にある華国、その北部にて国の管理の元、医療用に栽培されている
毒性が強く、華国はこれを国外へ持ち出すことを禁じている
その線から追う線もあるって話だ」
知能を有する龍種は幾つか存在するが、幾ら好きとはいえ人間、それも国家の管理下から盗み出すとは考えにくい。
「やはり、裏に人間がいるか」
夏南の胸の内に苦い物が込み上げてきた。
故郷に捨てて来た一族のように、龍を利用する人間がこの街にも居る可能性が高い。
龍にそれを利用する人間、そして自分という龍殺し、これではこの街も故郷も同じではないか。
幾度目かの重い沈黙が部屋に満ちる。
こちらの胸中を察したのだろう、シィの口は軽口を紡ぐことは無かった。
ドン、ドン!
その時、表から扉を激しく打ち付ける音が聞こえた。
音からして薬屋入口の頑丈な木戸を、何者かが力任せに叩いている。
こんなことをするのは、夏南の知る中で一人しかいない。
「正導教会からの使者よ
大人しく扉を開けて、私を迎え入れなさい!」
続いて良く知る声が、尊大で一方的な要求と共に耳に飛び込んでくる。。
よりにもよってこのタイミングで来るか!
夏南は肩をがっくりと落とすと、薬屋の入口を開けるべく歩き出した。
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