第9話
「やはり子供の龍か」
夏南は顕微鏡から目を離すと溜め息を漏らした。
光の加減によって黒と緑が入り交じる光沢を放つ龍の鱗、そのには成体には無い幼少期特有にのみ現れる溝が見られた。
「お前さんの服に着いた血液も調べたが、術識の発動を補助する幾つかの金属があった
見間違いでも擬態や変身でもない、昨日お前達の前に現れた龍は本物だ」
部屋の隅で物憂げにキセルを弄んでいたシィが呟く、偽物であってほしいという淡い期待は消えた。
「年齢はわかるか?」
「詳しい種類が分からないので断言は出来ないが、こいつは生後間もない幼態だ」
夏南は再度顕微鏡を覗きながら、記憶にある龍の知識と照らし合わせる。生まれたばかりにしてはあの体は大きすぎる。まさか新種か、いやあの巨体であれば十分に脳が発達している、傷を負って治癒術識を使わないのはおかしい。
「お前の目には、その鱗はどうみえる」
シィはそれ以上詳しいことは言わずに、逆に質問を口にした。
龍殺しの一族の知識と答え合わせをしたのだろうか、それともこの1年で忘れたのか試されているのだろうか。
ここでゴネても仕方がない、夏南はシィの思惑に乗ることにした。
「まず色の配分が緑より黒が鱗の表面を占めている
それとどちらも若干白っぽい色をしている
構成成分は蛇と同じ硬貨タンパク質のケラチンだろう」
夏南の手のピンセットが鱗を掴むと、側面をレンズに晒した。
「何よりも鱗が薄い
体の成長を第一とし巣穴周辺しか移動しない幼態時にしか生えていないものだ
これでいいか」
シィは返事の代わりに拍手をしてみせた。
彼女も同じところを見て、赤子と決断したようだ。
「体のどの部分のものか分からないから、正確とは言えないがな」
「合格だ、他にも100項目あるが、戦闘要員にしては悪くない分析だ
知識は錆びてはいないようだ」
シィが嬉しくなさそうに呟いた。
龍を取り逃がしたことは、不合格のようだ。
夏南は手近な椅子に腰を降ろす。
あの龍が本物であることはこれで証明された、益々逃がしてしまったことが悔やまれる。
二人が今居るのは、1階にある倉庫兼シィ女史の研究室である。
昨日夏南は家に帰るなり龍に遭遇した話をシィにすると、拾った鱗や夏南服、脇差しを預け、遭遇した龍の詳しい分析を依頼していた。
「その落ち着きよう、赤き龍と同種じゃないみたいだな」
「彼の龍から別れて水辺に住まう種族はいない
それに奴はもう自分の種族を増やそうとはしない、もう他者を信用できないからな」
シィは寂しげに目を伏せた。
彼女はある理由から赤き龍を滅ぼそうとしている。
当然、赤き龍が産み出した龍種もその対象に入る。
その協力するのが、美冬が自由を得ることとの交換条件であった。
シィいわく赤き龍はこことは別の空間に封じられており、まだ死んではいない。
初めは冗談にしか聞こえない話だったが、彼女の正体と動機を知り引き受けた、いや引き受けざるを得なかった。
彼女のまた、身内に縛られた一人だったからだ。
「少し寝たほうがいいぞ、後は俺一人で調べる」
周囲の本だなから多くの書籍が抜かれ、机という机の上に並べられている。
赤き龍の遺伝子を受け継ぐ龍が多種と交わり変質したかもしれないと、資料を片っ端から夜通し漁ったのだろう。妹やこのロンディニウムに住む人々を守る為とはいえ、余計な気苦労を強いてしまったようだ。
「私の使命と本件は関係ないようだから、お言葉に甘えさせてもらってもいいだろう
その内、手負いの龍が昨日覚えた最上級の餌の臭いに釣られてこの家にやってくる、そこを捕まえるといい、一人で」
美冬の身の危険を茶化したシィを夏南は睨み付けた。
「おお怖い、冗談だ、冗談だ
彼女は私の助手でもある、協力は惜しまん」
夏南は肩を落とした、一人で抱え込むなと彼女なりの忠告だろう。
美冬には戦いからは離れ、外で何でも屋をやっていると言っている。
本当はツテから術識や化け物絡みの仕事を貰い片付けている。
これ以上秘密を抱えると美冬が感付く可能性を失念していた。
二人の間に沈黙が訪れる。
窓の隙間から、朝のロンディニウムの喧騒が入り込んでくる。
仕事に向かう人々の足音、露店商が上げる声、馬車や車が固い石畳の道路を通る音。
それは大半の人間にとっては、希望が含まれた朝の始まりを告げる福音に聞こえるのだろう。
だが、一方で行き先の見えない暗澹たる朝を迎える者も居る。
「龍が単独又は集団で海を越え大陸を越え新天地に至った、とは状況から導き出された答えとしては不自然だ」
シィが沈黙を破った。
人の多い街中に龍が巣を作ったとは、彼女も思ってはいないようだ。
「何者かがこの国に本来生息しない龍を持ち込んだ
密輸もしくは好奇心でコレクターが持ち込んだのだろうか」
彼女はそこで言葉を一旦区切った。
「一番可能性が高いのは、誰かが何らかの目的で急成長するよう細工した龍を街に放った、だろうな」
再び重い沈黙が訪れた。
見失った龍の他に、龍の知識と生体強化系の術識を持った人間を、この人口600万人を誇るロンディニウムの街から探し出さねばならないのだ。
目的、動機、犯行手口、全て不明。
解決の糸口が見えない事件という事実が、部屋の空気の重力を増し、夏南の背にも同様にのしかかってきた。
「聞いた話では、その龍は既に人を殺したのだろう
遅かれ早かれ正導教会や軍が動き出す、
お前が動く必要はないのでは?」
この北欧の国々や宗教は表向き人外の存在を認めていない。
人に害を成せば秘密裏に処理する機能を各国は有している。
今回の件もいずれ彼らの耳に入る、何もしなくても事件は解決するのではないか、そうシィは言っているのだ。
夏南の身の安全も考えての提案だろうが、彼女はある事実を意図的に無視している。
「龍を倒してはくれるだろうが、その為にはいかなる犠牲も厭わない連中だ
万が一、美冬が龍を誘きだす餌となるなんてやつらに知られてみろ、必ず囮にされるし、逃げようもんなら地の果てまで追われることになる
やつらよりも早く事件を解決するのが、一番リスクが低い」
夏南は基本一人で動く、そのせいで龍討伐の際数回程瀕死の怪我を負っている、その危険性は敢えて口にしない。
「根っからの戦士に獲物を追うなと、言った所で無駄なのは私自身が良く知っている
しかし、美冬はこの建物にいる限り私の結界が龍から隠してくれる
無用な危険を犯すよりも、お前が彼女にしなければならないことがあるんじゃないか、そう言っているのだ」
「それは・・・・・・」
夏南は二の句が継げない。
呪われた土地を離れた妹だが、その呪いは今も体と心を縛り続けている。
昨日もシィのお使いに付き合ってくれと、美冬を無理矢理外に誘った事を思いだす。
彼女は外の世界を恐れている。
いずれ死ぬ運命にあると幼少期よりあらゆるものを諦めた自分が、里を捨て生きることを選んだ事を許されざる罪と考えているのだ。
それ故、身内以外の人目を避けるようになり、今では一人で外を出歩けなくなってしまった。
そんな彼女を側で支えてやれるのは夏南だけだと、シィは言っているのだ。
分かっている、分かってはいるが、彼女の呪いを解く方法を探せるのも自分しかいないのだ。
夏南は内心、今回の事件の捜査過程で美冬の体内から結晶を取り出す方法、それが見つかることを密かに期待していた。
シィもそのことに気付いているのだろう、だから敢えて強制せず助言する形をとったのだ。
再び部屋から音が消える。
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