第7話
「全ては、我が一族が龍を狩り続ける為である」
夏南の父はそう言って、龍を殺す一族の党首に必要な話という、退屈から不快へと変容していった話の最後を締めた。
見上げる父の顔は誇りに溢れ、何一つ恥じているようには見えなかった。
渦巻く失望と怒り、だが家督を継ぐ為の帝王学を受けていた夏南は、幼いながらもその感情から体を切り離す術を心得ていた。
四方を海に囲まれた島国、日昇東山国―通称東国。帝の勅により国家を揺るがす脅威、龍の討伐を命じられた3家があった。夏南はその1つ、九頭龍家の長男に生まれ、次期党首として10年間を生きてきた。
龍とは遥か昔から人や獣と同じくこの地上に生きる存在。その体は金属の様な硬い鱗に覆われ、振るだけで城壁を破砕できる長い尾を持ち、2本の手には名刀を遥かに凌ぐ切れ味の爪、鰐のような頭部には見る者を凍らせる氷の瞳、長く突き出した口から覗く鋭い牙、人を遥かに超える術識を触媒や道具無く紡げる頭脳。
妖怪や魔物、人間世界の外側に存在する生き物の中で、もっとも強大な力を持った生き物である。
伝承によると、ある赤き龍が世界をその手に納めようとして反対派と激突。龍の世界は2つに分かれ、長く続いた争いは龍の個体数激減をもたらしただけに終わり、赤き龍も世界を手に入れる事無くこの世界を去ったとされている。そして、疲弊した龍の手から世界の覇権は、数で勝る人間の手へと移り今に至る。
龍は幾つもの集団に分かれ、その内の幾つかは生息する地域の政府と交渉し不可侵条約を結び、互いに争いが起こらぬように棲み分けを行っている。
しかし、人間を快く思わない龍の集団や一人で行動する龍は、しばし人間の領域に現れ争いが起こる。
龍を倒すには、専門の知識と組織、なにより人自体が人を超えた体を持つ必要がある。
近代他の二家に遅れを取り、勅の取り消しも噂され始めた九頭龍家はその結論に至り、独自に力を手にする方法を編み出した。それは、夏南が知るお伽噺に出て来るような伝説の武器などではなかった。多くの者の文字通り血と肉、それらと引き換えに得られた力であること、夏南は今日知ってしまったのだ。
夏南の視界の端で、小さな炉から蚊を殺すために焚かれた殺虫薬の薄白い煙が揺れる。
夏の間だけ使われ、それ以外の季節は物置の奥に仕舞われ忘れ去られる只の道具。
道具ならばそれで良いかもしれない。
だが、人間は違う。
龍を倒す一族に生まれただけで、自分未来どころか大切なものまで黙って捧げろなんて、そんなのは絶対に嫌だ。
夏南の10歳を迎えたばかりの幼い体は、湧き上がる衝動と必死に戦いながら、簒奪者の顔を現した父と対峙している。
人々の命を龍から守る、その使命が誇りだと九頭龍一族やそれに連なる者達は言う。
しかし、夏南は父や数年前に亡くなった祖父の目が誇りを離れ、御三家の立場を利用した朝廷内の権力争いに向けられていることを、彼らの会話の端から嗅ぎ取っていた。
人の命を犠牲にしてまで手に入れる必要があるのか、夏南は目の前の父に叫びたかったが、全てを知った今この人は変わらぬだろうと、諦めから声にするような無駄なことはしなかった。
不意に夏南の脳裏に、つい先ほど連れていかれた裏山の洞窟内で目にした光景が蘇った。
舗装されていない歩きにくい道、換気されておらず淀んだカビ臭い空気、その果てに幾つもの鎖や術識で拘束された濁った瞳を持つ龍。
その龍は2000年以上生きており、龍としては最強クラスの力を有している。伝承にある龍同士の大戦において、一軍を率い赤き龍と戦った結果重傷を負い、この山に逃げ込んだところを、その力を恐れた人間に封印されたという。九頭龍家の党首には、この龍が外に出ぬよう極秘裏に監視する役目があった。
だが、数世代前の九頭龍の党首は、触れてはいけないという禁忌を破り、一族再興の為に龍の体から力を得ようと研究を開始した。
そして遂に、龍の体から採取した遺伝子情報を使い、人体改造を行い強力な戦士を生み出す事に成功、九頭龍家はかつての勢いを取り戻したのであった。
無論それは帝や他の御三家に知られば、御家断絶以上の罰が下る重罪である。他言は無用。その秘密を洩らさない為に多くの血が流されたという。
拘束された龍の前で父からそれらを聞かされた夏南は、自身がこれから背負うものに恐れ慄き何も言う事ができなかった。
しかし、話はこれだけではく更なぬ衝撃が待ち構えていた。
研究を行うには龍の拘束術識を緩める必要があった。空間内部の時間の進みを遅くして、尚且つその巨体が飛ばぬよう固定する大規模拘束術識。下手に弄れば龍が完全に覚醒、術識で怪我を治癒して、そのまま自分を拘束した人間に復讐の牙を向けかねない。
時の党首は危険を顧みず拘束術識弱体化を断行。条件付きだが外から人が接触可能となった。だがここで予想外の事態が発生、龍の意識が低レベルで覚醒、弱いながらも生体活動が開始されてしまったのだ。
一度緩めた術識を元に元に戻すには長い時間と多くの術者が必要だ。体組織の採取や構造解析の度にそんなことをしていては、時間など幾らあっても足りない。この問題を解決すべく時の党首はある決断を下す、それもまた人の道を外れた決断であった。
最低限の生体活動が可能だが、術識の行使が可能なまで回復しない餌を与えることにしたのだ。
その方法とは、術識適性の高い九頭龍家の者の体にある術識を埋め込み、栄養素の結晶を長い時間をかけて生み出して、人間ごと龍に食わせる人道とは程遠いものであった。
餌の供給から100年近い時間が経過したが、生み出された結晶と保持者を分離する手立ては見つからなかった。
九頭龍家は龍を殺す一族と言いながら、龍に贄を捧げその力を受け賜る一族へと変容してしまったのだ。
前回の餌の供給は10年前に行われた。
龍の生体活動には強弱の波があり、次は遅ければ20年以上後、早ければ約10年後だと父―現九頭龍家の当主は言った。
次はお前の妹―美冬がその役に就くつという、耳を疑いたくなる事実を添えて。
「一族の重荷はまだ私の肩にある
お前はまだそのうような顔をしなくともよい」
殺虫香の煙から父に視線を向けると、そこにはこちらを安心させようと微笑む父の顔があった。
昨日までの夏南なら素直に返事を出来たが、あの生き物と一族の関係が明かされた今では、妹を殺そうとする鬼が被った偽りの面にしか見えなかった。
「お気遣いありがとうございます、父上
ですが時期党首として一族の秘事を知った今、今まで以上に気を引き締めていかねばならないのです」
夏南も面を被る。
目の前の鬼が妹を殺そうとするなら、夏南は妹を生かすために。
一族の秘事を授けるという名目で監禁され、押し付けられた死の運命から美冬を救えるのは自分しかいない。
強くなろう、この5年で力を着け彼女と二人で生きていける場所を必ず見つける。
たとえ、10年前に母を生贄に捧げておきながらも、その子供に笑える目の前の男を敵に回しても。
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