第4話

 龍は激痛から逃れようと暴れ、夏南を振り払おうとする。

 体が動く度に裂かれた鱗と肉の裂け目から鮮血が吹き出す、夏南の服と顔を濡らす。

 左目に龍の血が入り一瞬視界全体が暗さを増した。

 夏南は急いで龍の体から脇差しを引き抜くと、直ぐにその場から飛び退いた。

 入れ替わりに龍の尾が地面に叩きつけられた。

 間一髪、龍の攻撃を逃れた夏南は、美冬の隣に着地する。

 隠れていろと言った帳本人が急に隣に立った事に美冬が何か言おうとしたが、夏南の腕はそれよりも速く彼女の体を抱き抱えると、その横へと跳んだ。

 龍が発動した水の術識が、直前まで二人が立っていた地面を抉る。

 速い、術識の発動から発射まで殆ど時間さが無い。高速で術識を展開する方法を思い付いたのだろうか。夏南は龍の脳が今も成長し続けている事実に下を巻い  た。

「きゃ!」

 着地の衝撃で美冬が悲鳴を上げる、しかし謝っている暇はない。

「口を閉じてろ!」

「何処かに降ろして下さい」

「無理だ、龍の狙いはお前だ!」

 夏南は地面を蹴ると、手近な木の枝へと乗り移った。

 折れるなよ、しかし枝は人間二人分の重量にミシミシと悲鳴を上げ今にも折れそうである。

 視界を埋め尽くす葉の向こうで術識が発動する気配、夏南は枝を蹴って隣の木の枝へと跳び映る。

 蹴られた枝は折れる前に、殺到した水の弾丸に寄ってズタズタにされてしまう。

 夏南は美冬を抱えたまま枝から枝へ、時には地面に降りて龍の術識をかわす。

 龍は口許から首筋にかけて流れる血を気にする様子も無く、連続で術識を撃ち続ける。

傷を治癒する術識を使う様子は無く、今も口元から胴にかけての切り傷から血が噴き出している。

このままでは死ぬかもしれない。

 街中で龍の死体なんて物が見つかったら、騒ぎどころか厄介な連中に動く口実を与えかねない、何とかしなければ。

夏美は逃げ回るのを辞め、龍を中心に弧を描くように走り、徐々にその円を縮め始めた。

 龍は水の術識を幾つも放つが夏南にかすりすらせず、遂に自ら動き出した。

 獲物が跳び移った木へと殺到、体を鞭のようにしならせ幹に巻き付くと、力を込めて一気に捻切った。

「きゃー!」

 飛び散る木片、美冬の悲鳴、夏南は足場が崩れる直前宙へと跳んでいた。

 逃がさぬとばかりに水の術識を龍は発動、空中の獲物へ3条の水の柱を放つ。

 夏南は空中で体を捻り襲い来る水の柱をかわしたが、右の脛を削られ顔を苦痛に歪めながらも倒れること無く芝生へと着地する。

「美冬!

水で相手を斬る術識の準備を」

「は、はい」

 初めて体験する高速の空中移動に、美冬の顔は血の気を失い真っ青。このままの状況が続けば失神しかねない。弛緩した人間は想像以上に重い、そうなれば龍の追撃をかわし反撃することは難しくなってしまう、反撃するなら今しかない。

「後、木登りの準備だ」

「え?」

 何を言われたか理解できないと言った顔をする美冬の返事を待たずに、夏南は再び近くの木の枝へと跳ぶ。

 龍はすかさず距離を詰めると、二人が乗った木の至近距離で術識を発動。幾筋もの水の線が幹や枝を撫でる。ビルの3階程の高さを誇る木は、糸が切れた人形のようにバラバラとなって地面に転がった。

 だが、夏南は術の発動中に別の木へと移動していた。

 そうとは知らず二人の姿を見失った龍は、手当たり次第に周囲の木を攻撃。水の術識やその体に千切られたが木片、公園一帯に散らばる。諦めたのだろうか、直ぐに龍の動きは止まった。

 月明かりの下、龍は頭部を回すように動かし逃げた獲物の姿を探す。

 夏南はそれを枝葉の隙間から注意深く覗き、相手の隙を伺う。

 自らが産み出した水と傷口から溢れた血に濡れた龍の姿が憐れに思えたが、直ぐにその感情を胸の内から排除する。

 同情は判断を鈍らせる。

 何よりそういった物は美冬のような優しい人間が持つべきなのだ。

 龍を殺しすぎた自分が今更持って良いものではない。

 その時、夏南の視界の中で龍が頭を力無く後ろに引いた後、数回横に振る素振りを見せた。

 貧血だろう、傷を治癒すること無く動き回ったつけがようやく回って来たのだ。

「今だ、美冬!」

 夏南は大声で美冬に合図を送った。

龍から30メルトル程度離れた木の枝が大きく揺れる。次の瞬間、その枝葉を切り裂くように、細い糸と見紛うような水の筋が音も無く放たれた。筋の先は龍の頭部へと一直線に向かうが、鱗に当たる直前に不可侵壁に遮られて、そのまま飛沫となって宙に消える。

龍の血に濡れた真っ赤な目がギロリと動き、自らを狙った術識使いの居場所を瞬時に捉えた。

龍の周囲の大気が蜃気楼のように歪むと、その体躯が2倍近く膨れ上がった。筋肉強化の術識を発動させたのだ。龍は瞬時に体を縮めると、弾丸のように自身を撃ち出した。

狙うは木の上の狙撃者。

木の上から2射目の水の筋が龍へと放たれた。

龍は片手で地面を叩き軌道を変えかわす。

3射目の水の筋が放たれるも、同じようにかわされてしまう。

龍と美冬の距離は後、10メルトル程しかない。龍と彼女を阻む物と言えば、大木が一本あるのみ。龍の移動速度は恐ろしく速い、今逃げたとしても、直ぐに空中で捉えられてしまうだろう。

「美冬!」

夏南はもう一度美冬に合図を送った。

美冬は4度目の水の術識を発動する。

水に筋が空中に生まれると龍へと向かって撃ち出されたが、狙いは大きく外れ隣に立っている大木を切り裂いた。

水の刃に幹を斜めに切り裂くと、大木は背の中ほどから上が崩れ、近くを通っていた龍を押しつぶすように落下した。

しかし、龍は両手で地面を叩いて加速、押しつぶされるよりも速く木の傍を離れた。

血と水に濡れた龍の鱗が月明かりに照らされまるで金属の様に鈍く輝く、獲物へと一直線に向かい空を切るその姿は一本の槍に見えた。

投槍は地面と腹が擦れる程の低空飛行飛行から、獲物が居る枝へと向かって一気に天へと駆け昇ろうとする。

しかし、夏南はそれを許さない。

後ろから追い縋り龍の頭部を抱えると、体を捻り龍の鼻先を地面に無理やり向ける。

先程、術識で切り倒された幹に取り付き、落下の衝撃と共に跳ぶ事で実現した奇襲である。

 龍は加速を乗せたまま舗装された道路に激突、金属に近い硬度を持つ鱗で煉瓦を削り続けやがて止まった。

夏南は道路に降り立つと、脇差を抜きはらい構えを取る。

龍が地面に衝突する瞬間に飛退いた夏南は無事だが、手負いの龍は無傷とは言えなかったのだろう、起き上がる気配は見えない。

近くで龍では無い何かが動く気配、夏南は横目で木の上の美冬が降りよしてるのを見て、片手を突き出して待てと合図を送り止めさせる。

術者とは別の場所、今回は木の枝に符を3枚貼り付け、それぞれを遠隔発動させ龍から居場所を隠したのだ、ここで近づかれては元も子も無い。

夏南は用心しながら龍へと近づく。

今の落下の衝撃で気を失っていてくれれば簡単に拘束できるが、完全な成体ではないが相手は龍である、この程度で気絶したと楽観は出来ない。

星明りの下、道路に横たわる龍、それは祭りが終わり外された太い注連縄を思わせ、威厳どころか生きているようにも見えない。

死んでしまったのだろうか、それとも死んだと思わせたいのだろうか。

夏南は慎重に一歩踏み出した。

既に龍との距離は10メルトル、夏南が直ぐに攻撃できる距離だ。

その時、夜空で少し欠けた円を描いていた月に雲が差し掛かり、無残に横渡る龍に影を落とした。

影の中で影が膨れ上がった。

夏南は地面を地面を龍へと蹴った。

獲物が近づくまで気を失った振りをしていたようだが、龍殺しにとって10メルトルなど一瞬でゼロに出来る事を知らないようだ。

龍のシルエットが夏南の視界の中で直ぐに大きくなる。後1秒もすれば脇差の間合い。だが、龍の影の前に視界の下から無数の黒い影が割り込んできた。

それは砕けた煉瓦に石や土、龍が起き上がると同時に地面に刺していた手を一気に引き上げ撃した、散弾。

夏南は背中を前に倒すと地面を舐めるような姿勢を取り、飛来する瓦礫を潜り抜ける。

砂が入らないように一瞬だけ閉じた目を開けると、そこにはこちらを見下す龍の柘榴石の目が二つと、研ぎ澄まされた剣の様な鋭い歯が並ぶ口に紡がれた術識。

瓦礫の中を突っ切る事を読まれていた。

夏南は地面を蹴り横へと移動、龍の射線から一気に飛び出す。

龍の術識が発動、夏南の手前の道路に撃ち出された水の刃が突き刺さる。

光届かぬ深海以上の圧力で撃ち出された水が道路を削り、回り込もうとする夏南を行く手を阻むように弧を描く。

加速をかけて振り切ろうとした夏南だが、並走していた水の刃が突然追い抜き、目の前の煉瓦を切り裂いた。

吹き上がる破片と泥水を浴びながら、夏南は急停止、直ぐに後方へと跳ぶ。

着地と同時に術識発動の気配を再度感知、夏南は龍の追撃を予想しもう一度跳ぶ為に腰を屈めた。しかし、龍は自身の体を浮かすと、身を翻して木々の向こうへと消えていった。隙を突かれた、この短期間で引く事まで覚えるとは、やはり龍は侮れない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る