第2話
体が熱を帯びたように熱くなり、その足取りは一歩毎に地面を踏みしめる力が増し、軽やかになった足取りに重力が小さくなった錯覚に陥いりそうになる。
龍は無警戒で近づいてくる人間の様子を注意深く窺っていたが、危険がないと判断し自ら餌さになりに来た獲物を頂くべく、顎を大きく後ろへと引き飛びかかる気配を見せた。
龍の動きに気づいた夏南だが、止まることなく進み続ける。
4、3、2メルトル、龍と人、互いに攻撃の間合い。
「兄さん!」
目の前の光景に、耐えられなくなった美冬が悲鳴を上げた。
バン!
美冬の声が引き金となって龍の巨体が逸速く動いた。龍の大口が開かれ、上顎から延びた2本牙が夏南に襲いかかる。次の瞬間、龍の口が煉瓦を砕く音が鳴り響いた。
これでは、龍と煉瓦の間に立っていた人間など既に肉片と化しているだろう。
思わず目を閉じてしまった美冬、再び目を開けたが巻き上げられた土煙に視界が奪われ、何が起きたかは確認出来なかった。夏南は無事なのだろうか。やがて土煙が風に流されると、目を閉じる前に兄が立っていた場所には、巨大な龍がその鰐のように長い口を半分地面に埋める姿で横たわっていた。
「兄さ・・・・・・」
兄が喰われた現実を突きつけられ思わず叫びそうになった美冬だが、目の前を落ちてきた物を目にして言葉を飲み込んだ。夏南が着ていたコートだ。暗くてよく見えないが何処も破れている様子はない、夏南は生きている
「鈍いんだよ!」
次の瞬間、何処からともなく龍の顔の隣に降り立った夏南はが、咆哮と共にその拳を龍の顔へと叩き込んだ。
ドン!
龍が煉瓦に突っ込んだ音に匹敵する鈍い音が響くと、なんと龍の頭が大きく大きく吹き飛んだ。人間を上回り龍へと迫る膂力、夏南が死の危険を犯して手に入れた武器の一つである。吹き飛ばされる直前、龍の目が驚愕の色一色に染まる、そしてそのまま頭部は未だとぐろを巻いている尾を機転に、地面を時計の針のように擦り歩道の脇に植えてある大木を倒した所で止まった。
「人を襲った以上容赦はしない
例えお前が赤ん坊でもな」
龍の全長、殴った際に砕いた顎の骨の感触、何よりも間近で見た鱗固さが、孵化したばかりの龍であるという予想を確信へと変えた。
龍討伐に用いる分類表に間近で見た鱗の形を照らし合わせてみれば、成長すれば体長は14、5メルトルになるであろう中型の龍、赤子とはいえその手の小ささから水辺に生息する水龍であろう。
この種類の龍の赤子は生後数週間は排泄気管が未熟で、栄養があり食物繊維が豊富な川辺の水草を食べ成長する。
水龍は龍種でも比較的大人しく戦いには向いてはいない。この公園を横切るようにロンディニウム市最大の運河テム川が流れている。上流から流れ着いたとは考えられない、まして人と同等以上の知性を持つ龍が都会の中で産み落とした事例など、夏南が知る限り存在しない。
この国に龍が来たのか、いや誰かが持ち込んだのか?
それに何故、生まれて間もない水龍はもっと小さいはず、何故あそこまで成長している?
その大きな羽音に似た音が響き、思案に耽りかけていた夏南の意識が現実へと呼び戻した。
それは龍が親を呼ぶ際に発する声。
しまった、赤子であれば身の危険に親を呼ぶのは当然であった。
夏南は周囲に目を走らせた。
子に危機が迫ると、親の龍は死に物狂いで敵に襲いかかる。
幾度か実際にその場に居合わせ戦った経験がある夏南の背中の背筋が凍る。
しかし、子龍の呼び声が幾ら続いても、親の水龍が現れる気配はない。
それでも、龍は頭を振り乱しながら必死に親を呼ぶ。その声はやがて掠れ、聴く者の胸を掻く毟るような悲鳴へと変わる。夏南に殴られ口内に怪我を負ったのだろう、龍は2、3度血を吐くと鳴き声を止めてしまった。
「に、兄さん・・・・・・あの子、助けて、助けてって・・・・・・どうしよう」
振り替えると、星明かりでは払いきれない闇の向こうで、美冬が泣いているのがはっきりと分かった。
あの龍は親とはぐれたのだ、もしかすると身の危険を感じた親に置き去りにされたのかもしれない。
きっと美冬もそう感じて、そこに自分を重ねて泣いているのだろう。自分を喰おうとするかもしれない存在。その境遇を思い泣ける妹を、夏南は誇りと羨望が混じった目で見つめている自分に気がついた。
美冬の身を案じる余り、龍を殺す事ばかりに囚われていた。
都会の真ん中に置き去りにされ、幼くして人の血の味を知った龍、殺さずに済む方法は何かないものか?
「俺があの龍の動きを止める!
美冬は拘束術識の準備をしてくれ」
龍と戦う為に龍と人の技術を用いて改造された夏南ならば、術識で拘束された龍を抱えて、人気のない場所に移すことが出来る。
後は雇い主にして龍専門家でもある、スーアン女史の判断を仰げば良い。
命を奪わず救えるかもしれない、龍殺しの一族の自分が。
「分かりました、兄さん
御武運を」
夏美冬の返事を背中に受けると、南は腰を落とすして龍へと向かい構えを取った
助そこから繰り出す攻撃は距離を一瞬で詰めての拳打。
龍の鱗と頭蓋骨では殺しきれない撃でで脳を揺らし、震盪を起こさせる動きを止めるのが狙いだ
地龍は親が来ない事実に気づいたのか、未だ夜空を見上げ戦闘体制を取ろうとはしない。今がチャンスである。夏南は面を蹴り飛びかかろうとした夏龍だがのから異様な圧迫感を感じ踏み止まった
この感触はまさか!
「逃げて兄、さん!
あの子、術を使うつもり!」
夏南は美冬の言葉に耳を疑った。
龍は人間とは違い遺伝子レベルで術術識の使い方を生まれながらに備えている。
しかし、龍が術識を使いかつ満足に制御出来るようになるには、術識の構成を編む重要な演算装置、つまりは脳が一定レベルまで発達している必要がある。
子供、それも生まれて間もない赤子が使うなど、故郷では文献はおろか、見たことも聞いたことも夏南には無い。
目の前の龍は、鱗は赤子のものだが身体は異様に大きい。
新種か突然変異、奇形の類いかと夏南は推察したが、どうやらこの水龍の中身は体躯に見合う程成長しているようだ。
龍の頭がゆっくりと動き、自分をボールのように転がした夏南へと向いた。その赤い瞳は先程よりも深い赤に染まり、視線を合わせただけで夏南の肌をヒリつかせた。そして、僅かに開いた口の橋からは、美冬の言葉を裏付けるように術識に成り得なかった術力が、湯気のように漏れだしている。
美冬のような術者なら、龍がどんな術を使おうとしているのか今の段階で構成が分かるのだろうが、人外の力を宿す自身を縛り付ける術識のオン、オフが出来るだけの夏南には見当すらつかない。
「水の術識、恐らく水槍が来ます、逃げて下さい!」
美冬が兄の為に警告を発した。
水槍とは、光届かぬ深海に匹敵する程に圧力を掛けた水を、細く絞り撃ち出す水系の術識の基礎の一つだ。龍の術識はその出力に関して人間以上である。まともに食らえば夏南は勿論、小さなビルなら簡単に切断されてしまうだろう。
美冬に戦闘経験は無いが、物心付く前から術識の訓練を受け、幽閉も密かに練習していた事を夏南は知っている。
つまり、こと術識に関しては彼女の見立ては信用できる。
「ありがとう、美冬
だが、逃げる訳にはいかない!」
夏南は美冬の警告を無視すると、あろうことか龍へと向かって地面を蹴った。
「兄さん!!!」
美冬が悲鳴を上げる、あが夏南は龍との距離を一瞬で詰めた。龍は予想外の動きに夏南を一瞬見失ったが、肉薄された瞬間顔の正面で獲物を捉える。遅い、夏南は今度は上へと地面を蹴って跳躍、予め腰為溜めにしていた右拳を天へと向かい振り上げた。
ドスン!
攻城用の丸太が城門に打ち付けられたような衝撃が大気を揺るがした。
夏南が振り上げた右拳は龍の顎を捉え、その口内で発動仕掛けた術識の出口を強制的に塞いだ。
遅い、戦闘中に術識を使うなら移動しながら撃つか、仲間に囮となって貰い獲物から離れて撃つべきなのだ。
殴られ空へと向いた龍の口から大量の水が噴水のように吹き出した。
夏南は髪を濡らしながら着地をした。
只の水だ、毒物を混入して触れただけでも殺せるようにするまで頭は回らなかったのだろう。
後は脳震盪を起こして倒れ込んだところを押さえれば良い。
念の為龍から離れようとした夏南。
しかし、前髪から垂れた水が目に入り一瞬視界が塞がれてう。
その瞬間、地面を何かが擦る音が耳に飛び込んできた。
「兄さん、左よ!
避けて!」
美冬の声に左を向いた夏南の目が、高速で飛来する黒い何かを捉える。回避は間に合わない。逃げられないと判断した夏南は、一か八かと左膝と左肘を合わせ防御の構えを取った。
ダン!
次の瞬間、巨木がぶつかったかと錯覚する程の激しい衝撃が腕を足を襲い、片足立ちであった夏南の身体を宙へと弾き飛ばした。
何て執念だ、殴られたお返しに尻尾で攻撃して来やがった!
夏南の身体は放物線を描き、歩道脇の草むらへと叩きつけられた。
「いやー!」
取り乱した美冬の叫び声を上げた。
大丈夫だ、そう言おうとしたが中途半端な受け身で背中に受けた下の衝撃がが肺肺に響いて声が上手く出せない。
こちらに向かって駆け出す美冬。
止まれと、立ち上がりながら片手を突きだしたが目に入らなかったようで、夏南の側に美冬は寄って来てしまった。
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