異国龍水譚

@jjj111111

第1話

 第一話<水に連なるもの>

春の到来を告げる前のロンディニウムの夜風は冷たく、男の厚手のコートの隙間から入り込むと、容赦なく体から熱を奪っていく。

ここは北欧に浮かぶブルタリア島。

悠久の歴史の中で幾つもの国に別れ戦い、西位歴1900年現在では残った4つの国が連合を組み、世界最大級の生産力と金融市場を有するスイル連合国、その首都ロンディニウム。

産業革命と呼ばれる急激な発展を遂げた人々は、否応なくその身に繁栄の陰陽を浴び続けねばならなかった。

だが、それは世界各地で連鎖的に起こり人の生活圏を広げ、人ならざる存在やそれに関わる者達を急速に孤立先鋭化させていった。

俺は、俺たちはそこから抜け出して輝かしい明日を掴んだ、はずであった。

なのに今、深夜に入った飛び込みの用事を小間使いの如く熟しており、夢に見た生活には未だ指先を掠めることすら出来ていない。

必ず変えてやる、俺のこの手で!

徐々に眠気に染められネガティブな想像を生み始める脳に、牙を突き立てるように胸の中で一人吠える。

自然と肩に力が入るが、外気に触れ冷たくなった右手に不意に人肌の温もりを持った何かが不意に触れると、まるで魔法にかけられたように一瞬で緩む。

「手冷たいよ、夏南」

 横を歩く茶色のコートを着た小柄な女性が、手を握って指を絡めて来た。

「お前の方こそ手袋外すなよ

寒いの苦手なんだろう」

 へーきへーき、と彼女は口で言うが、反対の手は襟元を抑えている。

しょうがない。

男―夏南と呼ばれた青年は絡みついた女性の手ごと、自分の右手をコートのポケットに入れた。

「ありがとう、兄さん」

 彼女―妹の美冬が何故か嬉しそうに微笑んだ。

何が面白のだろうか、思わず口から出そうになったが、夏南は慌てて言葉を飲み込んだ。

余計な事を言って、彼女と二人きりの時間に水を刺したくはない。

何時までもこうしていたかったが、夜のロンディニウムの街はお世辞にも治安がとは言えない。同居人であり雇い主でもあるシィ・スゥァン女史は時間にルーズだが、これ以上遅れては幾ら彼女でも心配するだろう。

二人はシィ女史から頼まれた、某貴族の屋敷に薬を届けて帰る最中であった。

彼女の書いてくれた地図は幾つかの小道が省略されており、辿りつくまでにかなりの時間を食ってしまった。東国の島国にある故郷の街並みとは違い、建物の感覚は狭く外装も煉瓦かコンクリートであり、この街に住んで半年も満たない者にとって自分の位置を地図から探し出すのも一苦労であった。

屋敷に着いた頃には深夜12時を回っていた。指定された裏口には使用人居て、互いに薬と金を交換し無言で取引は終わった。

貴族には知られたく秘密の一つや二つはあるのもである。

自身を秘密を抱える手前、夏南は薬の包みを開けなかったし、使用人に何も聞かなかった。

「道に迷ってごめんな

今度は俺一人で来るよ」

「待って、次も私も一緒に行く!」

 普段大人しい美冬が突然声を荒げた。

通りに灯るガスの下を歩く幾つかの人影が、こちらに視線を向ける。

「ご、ごめんなさい」

 それに気づいた美冬は、顔を伏せるようにして謝った。

二人は暫く気まずい空気の中歩いた。

「まだ、昼間外に出る事に抵抗あるのか」

 黙っていてても仕方が無い、夏南は以前から胸にあった疑問を美冬にぶつけてみた。

彼女は何も言わなかったが、やがて俯いたまま小さく首を縦に振った。

その表情は、長く美しい黒髪に阻まれ、暗い街灯の下では窺い知ることはできない。

「ここには俺たちの事を知る人間は居ない

だから幾ら顔を見られても、東国の薬利の人間だって気付かれることはないんだ」

 美冬は何も言わなかった。

やはり一度散歩に連れ出した位で、彼女の胸の内にある罪悪感が消えることはないのだろう。

 二人はある理由から故郷を捨てた身である。

 一族を捨てた二人に宗家が追ってを差し向けられたと夏南は考えているが、ここは東国より幾つもの海と大陸を隔てた遥か彼方にある西の島国。ここまで追手が迫る危険性は低く、万が一の時は夏南は命と引き換えにしても、彼女を護る覚悟を胸に生活をしている。

「近道しないか

この公園を抜ければ家の近くの通りに出る」

 夏南は足を止め公園ーライドークの入り口を左手で指さして、美冬に帰り道のルート変更を申し出た。

近道したかった訳では無い、夜の公園であれば人とすれ違う確率は通りよりは低くなるだろうと、一目を気にする美冬を気遣っての提案である。

「えっ!

・・・うん」

 最初驚いた様子を見せた美冬だが、直ぐに首を縦に振ってくれた。

彼女の態度に引っ掛かる所はあったが、これで少しは美冬の負担が減ると、夏南は胸を撫で下ろした。

二人は進路を変更、公園の門を潜り抜け夜の帳に包まれた園内へと足を踏み入れた。

「兄さん、私・・・」

 暫く進むと周囲の状況を察した美冬が、歩きながら身を寄せて来た。

「み、美冬は知ってたのか」

「薬を買いに来たお客さんから聞いた事が有る」

 彼女は星明りの下でも分かるほど、耳を赤くして俯いたまま答えた。

周囲の暗闇からは、男女のものと思える荒い息遣いと喘ぎ声が風に乗って耳に入って来る。

何をしているかは、男女経験の無い夏南でも容易に想像がついた。

「きゃ!」

 その時、隣を歩く美冬が何かに躓き転びそうになった。夏南は間一髪、彼女の体が地面に激突す前に抱き止める。危なかった、夏南は胸を撫で下ろした。

「すまない

ポケットに手を入れたままにして」

「兄さんのせいじゃないよ

迷惑をかけたのは私だから」

 腕の中の彼女が今にも泣きそうな顔で謝る。

昔から彼女はそうだった。

自分が他人に迷惑をかけてはいないか、それを気にしては怯えるような表情を見せる事が多い。

それは彼女の境遇がさていた事であった。 だからあの日、夏南は彼女と故郷を出てこの街にやって来たのである。

美冬には笑ってしてほしい、迷惑をかけてもよい存在がここにある事を分かってほしい、その一心からの行動であった。

「もっと迷惑をかけて寄越せ

俺なら何があっても傍にいるから」

「兄さん・・・」

 何時の間にか抱き寄せた彼女の顔が、目と鼻の先にあった。

腰まである長い髪は、夜の闇に溶け込みそうなほど黑く美しい。その顔は薄暗い中でも分かるほど白く、触れるとまるで赤子の様な瑞々しさがある。背は低くそれだけであれば、まるで子供のような体躯だが、薄手のコート越しでもはっきりと分かる程大きな胸が、美冬が子供から大人へと変化する途中である事を物語、一人の女性である事を夏南に告げていた。

星明りに照らされた彼女の瞳が僅かに濡れ、時が経つにつれその呼吸が熱に浮かされたように早くなっていくのが、夏南には手に取るように分かった。

「美冬」

 夏南は自分の唇を彼女の唇を重ねた。

美冬は嫌がる素振りは見せずに、目を閉じて全てを受け入れる。

もし悪い人間が居るとすれば、それは自分だ。美冬がそれを背負う必要はないのだ。妹の美冬に家族とは違う感情を抱き、美冬本人はおろか故郷の家族や仲間の運命を変えてしまった夏南の背中こそ、その罪は相応しい。

後悔はしていない。

あのまま故郷にいれば、いずれ死ぬ運命にある彼女、それを今もこうして腕に抱いていられるのだから。

夏南は美冬を更に抱き寄せ、その唇の感触を今以上に貪ろうとしたその時、

 「キャー!」

女性の悲鳴が辺りに響いた。

 乾いた銃声が後に続く。

それと同じく、風が生臭い臭気を夏南達の下へと運ぶ。

音の感じから察するに、二人からそう遠くない場所で何かが起こったのだ。

「美冬は俺の後ろへ」

「は、はい」

 名残惜しいがキスを途中で止めると、美冬を立たせると、背中で庇う様にして音のした方向に向かって構えを取った。

公園内に居た人々は逆に異変に気づくと、我先にと外へと逃げ出してい姿が横目で見えた。

 夏南の予想が正しければ、背を見せて公園の外へと走るのは危険である。

 ジャリ、ジャリ。

 夏南の推測通り、眼前の暗闇から重い何かが舗装された地面を引き摺る音がこちらに近づいて来る。

「兄さん

わ、私・・・・・・」

 背後に居る美冬も気付いたようで、恐怖のあまり怯えきった声を上げた。

「安心しろ!

お前には指一本触れさせない!」

 肩越しに振り向くと、美冬は答える代わりに小さく頷いた。

 視線を正面に戻す、やがて暗闇の向こうから一体の異形の生き物が、星明りの下へと姿を現した。

 暗くて詳細はよく分からないが体長は約3メルトル程、細長い巨木の様な体、その上部には枝のような細い手が2本力なく垂れ下がっている。

 巨木の天辺には顔が有り、その大きく割けた口からは先端が二股に割れた長い舌が飛び出している。口の上にある二つの目が星明かりに照され鈍い輝きを放っている。それは夏南にとって元も忌まわしき生き物であった。

 龍である。

遥か東国に今も生き、あらゆる生き物を喰らい術識という現実世界に干渉する術を駆使する、生物界の頂点に君臨する人外の存在。

どうしてここに居る?

西洋の龍は蜥蜴のような姿をしている、この地域には蛇の形を持つ龍は存在しない筈である。

 夏南は用心の為にと上着の内側に忍ばせていた短刀へと手を伸ばした、それと同時に目の前の龍も大きく顎を引いた。

 来る!

 夏南は後方へと跳躍、一瞬遅れて今まで立っていた場所に龍が頭から飛び込んで来た。

 バン!

 龍の頭が叩きつけられ、煉瓦が激しい音を立てて砕けた。

「兄さん!」

「喋るな、舌噛むぞ!」

 龍が素早く顔を上げ殺気の籠った目がこちらを睨んだのを見た夏南は、美冬の体を抱え更に後方へと跳躍する。

 その距離約5メルトル、人一人抱えて人間が跳べる距離ではない。

 直後、二人が居た場所に龍が飛び込んで来た。またも煉瓦が砕け散った。龍は自らが破壊した痕跡の上で蜷局を巻くと、高々と頭部を空に伸ばして獲物である夏南と美冬を赤い瞳で見据えた。

こちらが只の獲物では無いことに気付いたようである。

「兄さん、あの子」

「あぁ、残念だが手遅れだ」

 二人は自分達に龍が肉薄した瞬間はっきりと見てしまった。

 濡れてまだ固まってない体を多う鱗、そして口許にこびりついた大量の血痕を。

 目の前の龍は生まれたての子供だ。

 龍は脱皮を行う、鱗が未発達ということはまだ幼い証拠である。

 加えて口許の大量の血痕。

 龍は生まれた直後は顎の筋肉が未発達で、卵の殻を破るのに使った体力を回復させる為に犬やウサギ等の小動物を襲い、以後顎の筋肉が一定の強さになるまでそれのみを食べ続ける。

生まれて直ぐに人の味を憶えれば、それのみを喰らうようになる。

 生まれた直後の未熟な消化気管で下手な物を食べれば、消化できずに餓死する事を本能で知っているからである。

 先ほどの悲鳴と銃声、そして夏南を襲った行動から考えると、もう既に人の一部を食らったようである。

 もう少し早くこの公園についていれば、悲鳴と銃声の主たちを助けられたのかもしれない。

 突如込み上げた後悔を夏南は頭振って一蹴する。

 彼らの生存は絶望だが、腕の中で震える美冬まで目の前の龍の餌さにする訳にはいかない。

「俺がやる

美冬はこのまま家に帰れ」

「嫌!

私も戦う!」

 夏南は抱えていた美冬を降ろして逃げるように言ったが、彼女は夏南の腕を掴み反発する。

「!!!」

 龍が動く気配を感じた夏南が懐に忍ばせた短刀を素早く抜くと、その切っ先を向けた。

 夏南の殺気に気付いたのか、それとも見慣れぬ刀身が星明かりの下で鈍く輝いたことに警戒したのかは不明だが、龍は身を屈めて警戒する素振りを見せた。

「私を追って来たのかもしれない」

 美冬が今にも泣きそうな声で呟く、何かの重圧から逃れるように目を伏せた。

「接近戦を仕掛ける

美冬は少し離れた所で待機していてくれ」

 夏南は美冬の頬にキスをすると数歩前に出た。

「はい!」

 背後から美冬の少し嬉しそうな声。

 彼女には今すぐ帰ってほしかったが、ここで返しては責任感に押し潰されて寝込まれるては、今日外に連れ出した意味がなくなってしまう。

 夏南は、目の前蜷局を巻く龍へと向かって歩き出す。

 これ以上被害者を出さない為に、この場で龍を倒す必要がある。

 意識を研ぎ澄まして自分の体の内へと集中させる。

 普段は意識から外している体の中を、血液ではない熱い奔流が流れている感覚を掴む。

 そして、夏南は小さく呪を唱えた。

 何処の国の言葉にも属さない言語。

 それは龍達が使う言葉の一つだ。

術識―龍や人がこの世界に干渉する為の力が発動。

 小さな呟きが夏南の拘束を静かに解き放った。

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