第45話 ねえタクト。わたし、うまく笑えてるかな?

 ※※※


 計画実行五分前。

 わたしは目を閉じ、今までの出来事を反芻する。

 五分もあれば十分だ。だってわたしには思い出すべき記憶が極端に少ないのだから。

 知識は比較的多く残っている。けれど人との記憶はもうほとんど無い。ある一人を除いて。


 そう。今回共に計画を実行するタクトの事だ。

 タクトは八月のはじめからわたしの護衛任務についたらしいんだけど、わたしには九月の半ばからの記憶しかない。それが、悔しかった。もったいないと思った。

 だって、タクトと過ごした一ヶ月半は、たまらなく楽しかったから。

 きっと八月から九月半ばまでの日々も楽しいものであったに違いない。

 アリアが教えてくれた。わたしはその一ヶ月半分と、他の何かの記憶を使って、タクトを守ったのだと。


 なぜ自分がそんな事をしたのか、よく分かる。

 だって自分も今から同じような事をしようとしているのだから。

 エクシスを使ってタクトを守ったわたしは信じていたのだろう。わたし自身の記憶が失われても、わたしの事を忘れていないタクトが、また新たに楽しい記憶を積み重ねてくれるって。


 わたしが数年前、将来記憶の全てを捧げるために屋敷に一人で住めという命令に大人しく従ったのは、諦めていたからだ。

 どうせこのまま生きていても、記憶を奪われ続けるだけ。悪魔を引き寄せて周りの人間を不幸にするだけ。今まで周りを不幸にしてきた罪を償う、わたし一人の記憶でこの世界の人間全員が助かる。

 そう考えるとこの計画は自分にとって救いのように思えた。

 思えていたのに。


 もっと生きたい、記憶を抱いたまま過ごしていきたいという気持ちが芽生えてしまった。

 それがタクトと過ごした日々の代償。

 でも、すぐに気付いた。

 この世界から悪魔を消すという事は、もうタクトが戦う必要が無くなるという事に。

 『全ての人間』の中にはタクトも含まれるという事に。


 タクトはわたしが一ヶ月半前に記憶を無くしても、わたしを楽しませようとしてくれた。

 質の良い記憶の蓄積のためだとは思うんだけど、嬉しかった。

 だから、きっとわたしが記憶の全てを失っても、今までと同じようにわたしと接してくれると思えた。

 それでもやっぱり任務のためだけにわたしと接してきたんじゃないかって不安になって、ついお願いしてしまった。記憶を失くしたわたしとチェスしてあげて欲しいって。


 タクトは了承してくれた。約束してくれた。

 おかげでわたしは迷い無く足を踏み出せる。終わりと向かい合う事ができる。

 わたしは、タクトの中にあるわたしとの記憶を守る事ができるんだ。

 まもなく計画が実行される。

 今なら笑える気がした。だってこんなにもわたしの心は震えている。抑えきれない感情が溢れようとしている。


 タクトは、わたしが笑ったとしても、その意味までは読みとれないんだろうな。当たり前だよね。だって今までこんな話、したことなかったもの。

 でも、わたしがタクトに感謝しているという事だけは伝えたい。伝わってほしい。

 感謝の言葉というのは、笑顔と共にあってこそ。


 さよならじゃない。ありがとうって言うんだ。

 タクトとの約束を胸に抱いて、わたしは閉じていた目を開く。

 マクスウェルの庭への道。

 タクトが沢山の記憶を使って斬り拓いた道。

 その道をわたしは歩んでいく。


 ふと、昨日の夜を思い出した。

 アリアのいたずらでタクトの部屋に閉じこめられた事。

 すごく緊張したけど、ワクワクもした。タクトも緊張してたのかな。

 夜中に目が覚めて、ココアが飲みたいと思いドアを開けようとしたら、すんなり動いた。ロックが外れていたのだ。


 ココアを淹れようとアリアの私室に向かったところ、まだ明かりが点いていた。

 誘われて一緒にココアを飲んでいたら、アリアが急に過去の伝承の話をしだした。わたしのご先祖様は、生け贄に捧げられる直前に、想い人に髪を切ってもらっていた、という話。

 恋というものはよく分からない。以前タクトに何気なく問うてみたが、彼にもよく分からないのだそうだ。


 どっちの部屋に戻るのー? と聞いてきたアリアを無視して部屋を出る。

 わたしの部屋とタクトの部屋、どっちに戻るかって? そんなの決まっているじゃない。より質の良い記憶の蓄積のためにはもちろん。

 歩くスピードが通常時より速い事を自覚しつつ、わたしはタクトの部屋に戻り、彼と背中合わせになるようにベッドに潜り込んだ。多分朝には元通りベッドの端に戻っているはずだから。経験上。

 背中越しにタクトの体温を感じながら、再び眠りについた――――。


 

 意識が今に戻る。

 ご先祖様たちがやっていた事。どんな気持ちなんだろうと知りたくなって、タクトに髪を切ってもらった。

 なんだろう、髪に触れられるとこんなにも動悸が激しくなるものだろうか。

 そこで閃いた。そうか、きっとご先祖様たちはその責務故に意中の人に想いを伝えられなくて、それでも最後に触れてもらいたくてこの儀式を行ったんだ。


 確信めいたその思い付きに一人納得する。

 頭が軽くなり、気分も変わる。より落ち着いたものに。

 アリアがタイムリミットだと叫ぶ声が聞こえる。

 一歩一歩踏かみしめながら進んでいく。


「レア! 俺は、俺は!」


 後ろからタクトが何かをわたしに伝えようと必死に声を上げている。

 分かってるよ。なんとなく伝わるよ。タクトはわたしに似てるね。心を閉ざさざるを得なくなって、そのせいでとっさに言葉が出てこなくなっちゃってるんだよね。


 あなたがわたしにしてくれた事から伝わってきたよ。思いやりの気持ちが行動の端々から伝わってきたよ。

 だからわたしも最後にタクトに伝えるんだ。

 マクスウェルの庭に足を踏み込むよりも、もっとずっと大きな決意を込めて、振り向く。


 この瞬間のために決して後ろを見なかった。より印象的になるように。

 タクトは、とても悲しそうな、苦しそうな表情をしていた。

 そんな顔しないで。わたし、知ってるよ。タクトがたまに見せる笑顔、とっても素敵だってこと。


 タクトに笑ってほしくて、今までの感謝の気持ちを伝えたくて、そんな想いが溢れてきて。

 自然とわたしは微笑んでいた。

 ねえタクト。わたし、うまく笑えてるかな?


 ※※※

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