第44話 世界の終焉

 ニシキは血と記憶を捧げエクシスを起動。

 レアは精神統一するかのように目を閉じ。

 俺はアリアから渡された『福音』を手に取る。

 今まで実験的に使ってきた『福音』とは比べものにならない量が注射器に満たされている。


 これを計画開始時に投与し、エクシスを起動させる。

 いつでも打ち込めるよう針を覆っているキャップを外し、腕に添えた。

 開始までの五分がやたらと長く感じる。

 俺の仕事はたった一斬のみ。その一斬を成功させるために全力を尽くす。

 アリアによる秒読みが、はじまった。

 五、四、三、二、一。


 『福音』注入。

 数秒経って『福音』が身体中を巡ったのを見計らって、血をエクシスに染み渡らせる。

 そして、記憶を、捧げた。


「ぐっ……!」


 これは……いつもと全然違う……頭から、脳から直接記憶をむしられているような……。

 気絶しそうになるのを気力で押さえ込みながら、エクシスを大上段に構え。

 腕が震えないよう、筋肉が引きちぎれんばかりに力を込めて、渾身の一斬を目の前の虚空に向けて放った。


 一瞬、空間が揺れる。そして訪れる嵐の前のような静寂。

 失敗、か?

 近くで聞こえる小さな呟き。

 唐突にそれはやってきた。

 音も無く、不気味に、忍び寄るように、目の前の空間が割れる。

 全長は見上げないと確認できない。ゆうに五〇メートル以上はあるだろう。

 対して横幅は人間が二人分入れる程度。


 これほどのまでに俺のエクシスの斬れ味は拡張されたというのか。

 空間の割れ目からは薄暗い無機質などこかが見える。ここじゃないどこか、この世界の理から外れたどこかだというのは直感的に分かる。

 そこに大威力の爆弾を積んだドローンが突入していった。

 あのドローンがマクスウェルの悪魔を産み落とす大神楽石を探知し、殺す。

 俺の近くにいる、白衣を着た人物が手元の端末を食い入るように見つめながら

「頼む、早く、早く見つけてくれ!」と呟いていた。この中性的な顔立ちをした人物がこの任務の責任者か。

 その人物の額から汗が流れ、頬を伝い顎先へと至った時、空間の割れ目から微かな爆発音が聞こえてきた。


「やったぁ! やっぱり大神楽石は存在したんだぁ! 発見した時、ちょうど悪魔が産まれる瞬間で記録映像もとれた! これでもう新たな悪魔は産まれない! フェイズ2に移行だ!」


 声までハスキーで男だか女だかイマイチ判別できない白衣の人物が俺たちに計画が次の段階へ進む事を伝えた。

 こちらに背を向け、空間の割れ目、マクスウェルの庭へ通じる扉の前に立っている。


 とうとう来た。来てしまった。この時が。

 古代から続けられた生け贄の儀式。その系譜の最期。

 レアがその記憶のすべてをかけて、この世界に残存する悪魔を消す。

 悪魔を引き寄せる体質のせいで今まで何度も記憶を奪われ。

 生け贄に捧げられるために記憶を蓄積させてきたレア。


 レアと過ごした三ヶ月間。俺は……。

 何か。何か言わなければ。

 俺には言わなきゃいけない言葉があるはずなんだ。そのはずなんだと焦燥するが、上手く浮かんでこない。

 空間の割れ目が閉じる前に、レアに何か伝えなきゃいけないはずなのに。


「ねぇ、タクト」


 苦悩していた俺に、振り向かずにレアが声をかけてきた。


「……」

「髪、切ってほしいの。肩あたりから下の髪を」

「……」

「いいでしょ? ダメ?」

「……切るものがない」

「エクシスでいい」

「……なんでこんな時に、そんな事を」

「気まぐれ。ね、お願いタクト」

「……分かった」


 頭の中で伝えるべき言葉を探しつつ、レアの言う通りにする。

 振り向かないレアの背後に立ち、髪にエクシスを当てる。

 なぜ今こんな事をするよう頼んだのか疑問は尽きないが、レアの最後の頼みだ。

 俺は一思いに、レアの長い髪を、エクシスで切った。

 白金の髪が、俺の手の中に収まる。とても罪深い事をしたような気分だ。

 一部始終を見ていた白衣の人物が、俺とレアの肩に片手ずつ手を置いた。


「それボクがレアくんに話したやつだね。過去の伝承。生け贄に捧げられる直前の巫女が、男性に髪を切ってもらう儀式。その男性というのが巫女の想いび」

「アリア、黙って」


 レアのこれまでに聞いた事が無いような鋭い声に、アリアと呼ばれた白衣の人物がたじろいで口をつぐむ。

 なんだ、そういう儀式が昔にもあったのか。ゲン担ぎみたいなものか。


「朝日さん無粋ですよ! ほら、とっとと引っ込んで自分の仕事してください!」


 短槍を持った長身の男が白衣の人物を引っ張っていく。

 そこから空間の割れ目に視線を移すと、徐々にその横幅がせばまっている事に気付いた。


「レアくん、そろそろタイムリミットだ。ボクは君を誇りに思う。ボクからの言葉なんて嬉しくはないだろうけど。君が世界を救ったんだと必ず全人類に伝える! さあ、征きたまえ!」


 それを受け、一歩、また一歩とレアが歩みを進めていく。

 結局最後までレアにかける言葉が見つからなかった。


「レア! 俺は、俺は!」

「無理しないでタクト。何となく伝わってるから大丈夫」

「…………」

「わたし、もう行くね」


 その声が震えているように聞こえるのは、きっと気のせいなんかじゃない。

 マクスウェルの庭に足を踏み込みかけたレアは、その足を直前で引き、首を傾け、こちらに顔を向けた。

 その時のレアの表情には、感情が浮かんでいるように見えた。

 憂いを帯びた深い蒼。決意が込められた真一文字。

 今まではレアを見るとまるで名画を眺めているような気分になったものだが、今のレアはどこまでも生々しく、人間的で。


「ありがとねタクト。楽しかったよ」


 そして。

 そして、レアは世界の終焉へと飲み込まれていった。

 あっさりと、虚空に溶けていった。

 マクスウェルの庭への道は音もなく無慈悲に閉じる。


 任務完了。


 計画完遂。


 これで世界は救われた。これからマクスウェルの悪魔がいなくなった平和な世界がはじまる。平穏ってやつが訪れるに違いない。


 なのに。なんで。

 なんで『世界を救え』というこの本能にも似た想いは消えないんだ。

 なんでこんなに後味が悪いんだ。

 なんで、最後にあんな顔、俺に向けたんだよ、レア。


 目尻を下げて。

 口角を上げて。

 目の端に、僅かに涙なんて浮かべて。


 微笑んでいた。


 見間違えなんかじゃない。レアは確かに笑っていた。

 これまで決して表情が変わらなかったのに、あれほど明確に。

 最後にやっと笑えた事。これから自分の記憶が消えるというまさにその時、笑みを浮かべた事。


 分からない。もう聞く事もできない。

 ただ、その笑顔が鮮明に残って離れない。

 その声が耳に貼り付いて取れない。


 ありがとう。楽しかった。

 今ならはっきり言える。はっきり分かる。

 そう言いたかったのは俺だ。最後にレアにかけるべき言葉を、レア自身が俺に言ってくれたんだ。


 レアと過ごした三ヶ月間。

 たまらなく楽しかった。今まで無理して一人になろうと、一人で生きていこうとしていた俺にとって毎日が刺激に溢れていて。


 質の良い記憶を作るため、任務のためと言い聞かせていたが、きっと本当は、ただ俺がそうしたかっただけなんだ。

 認めるのが怖かった。なぜならレアと永遠に会えなくなると分かっていたから。

 何をやっているんだ俺は。もっとレアのためにできた事があったはずなのに。かけてあげるべき言葉があったはずなのに。


 レアは受け入れていた。世界のために犠牲になる事を。

 あまりに気高く、直視できないほどの自己犠牲。

 自己犠牲を肯定する訳ではない。しかしここまで自分の命、記憶の全てを捧げるような自己犠牲を目の当たりにして、心を動かされない者はいないだろう。

 レアも俺と同じだと言った。使命感のようなものだけで計画を受け入れた、と。

 本当にそれだけなのだろうか。他に何か理由があったんじゃないか。

 そう考えられずにはいられなかった。

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