第43話 最終準備

 朝。まるでスイッチをオンにしたかのようにパチリと目が覚める。

 なんとなく仰向けの状態から寝返りを打ち、レアの方を向くとほぼ同じタイミングでレアもこちらに寝返りを打った。


「「……おはよう」」


 これまた同時に朝の挨拶。


「今起きたのか?」

「うん」

「俺もだ」

「そう」


 レアの蒼い瞳が朝日に照らされ精巧なビー玉のような様相を見せる。

 全く同じ時間に起きるという偶然に触れないままベッドから降り、朝の支度をはじめる。

 アリアの言った通りドアのロックは解除されていたため、レアは自分の部屋に戻った。

 パジャマから想起兵用の黒い戦闘服に着替え、腰にエクシスを装備する。

 そして、昨日アリアから持っておくように言われていた緑色のメモ帳を懐に入れた。


 俺が今まで歩んできた人生の記録帳だ。

 『福音』の使用により大幅に記憶を失う恐れがあるため、これだけは肌身離さず持ち歩くよう言われていた。

 それともう一つ。こちらは完全に俺の自己判断によるもの。


 超絶微糖缶コーヒー。

 計画実行後に飲むためだ。例え記憶を失っても、ポケットに入れておけば俺は飲んでくれるだろうと期待しておく。俺の準備はたったこれだけだ。計画内容、タイムスケジュールは頭に入っている。

 朝食の時間まで手持ちぶさたになった俺は何気なく鏡の前に立ち、自分の姿を眺めた。


 ややクセのある黒髪。浅黒い肌。茶色い瞳。

 これが俺の外側。記憶は失っても、見た目だけは変わらない。

 記憶を失っても変わらないもの。他には何があるだろうか。

 性懲りもなくそんな事を考えながら、アリアの元へ向かった。



 レアに宣言した通りアリアを手加減して一発殴り、(なぜかアリアは若干嬉しそうだった。謎だ)レアと二人で朝食を作って食べた後、ヘリで神奈川県厚木市の某所、マクスウェルの庭へ向かう。

 ヘリの中では何度も確認を行った。大神楽石を破壊するための爆弾とそれを運ぶドローン、エクシスから俺とレアのメンタル・フィジカルチェックまで念入りに。


 全てのチェックが終わった頃、ちょうど目的地に到着した。

 この場所は最も悪魔が出現しやすいが、常にそこにいる訳では無い。現に今も悪魔の姿は確認されていない。

 というのも幾度にも渡る調査の結果、この日付、この時間帯は悪魔の出現率が極端に低いと分かっていたから悪魔がいないのは当然。


 もちろん確率の壁をぬって出現する可能性もあるため、俺以外の想起兵を用意しているらしい。アリア曰くあと数分で着くそうだ。

 レアは読書、俺は習慣の柔軟体操を行っていると、追加の想起兵と思われる人物が車で現れた。


「ただいま到着しました! 本日はよろしくお願いします!」


 ガチガチに緊張している事が分かる口調。特徴のあるしゃがれ声。

その声を聞いただけで、ひょろりと高い背を見ただけで、すぐに気付いた。


「ニシキ?」


 俺が見間違えるはずがない。ニシキだ。最後に見た時から一ヶ月以上経っているが、ずっと前に離別したような感覚がある。

 会えるのはもっと先になると思っていたのに。


「な、なんで俺の名前を……ってあんた、俺が記憶を奪われた時に声をかけてくれた人か! 朝日くん! ちゃんと覚えてるぜ! じゃ無かった、覚えてますよ!」


 唇の右端だけつり上げる笑い方。変わってないな。うん、変わってない。


「なんで敬語なんて使ってるんだ」

「だって今日会う人たちは全員国を背負う超重要人物だから粗相が無いようにって」

「俺にはそんなもの必要無い。普通にしててくれ。そういう風に扱われるの、嫌いなんだ」

「そうなんですか……あ、またつい。そうなのか! あんたとはまた会えるような気がしてたんだよなー。なんでだろう」

「さあな。実は俺もそんな気はしてた。奇遇だな」

「あんたもかい!? いやぁこんな事もあるもんだねぇ」


 こうしてニシキと会話できるだけで不思議な感慨が湧いてくる。

 これから『福音』使用によりニシキとの記憶も失うのだろうか。それは、嫌だな。

 もっと話をしたかったが、今は任務中。ここまでだ。


「アリア、追加の想起兵っていうのは」

「ニシキさんに頼みましたー。彼、すごいんだよ。短期間でメキメキ頭角現してさ。君と知り合いだったとか関係無く経験積ませてあげたいなと思って。本人は破格の報奨金に釣られたんだろうけどね」

「えへへ、それほどでもありませんよ」


 あえてツッコまない。

 にしても流石ニシキだ。きっと想起兵としての動き方、戦い方が身体に染み着いていたのだろう。戦闘のための脳の回路、筋肉は消えていなかったんだな。

 実はマクスウェルの悪魔から要人を守るというのはとても難しい。悪魔は人が多ければ多いほど出現しやすく、寄って来やすくなる。周りに誰もいない一人だけの状態が安全だと思われるが、戦う術を持たない者はそうではない。


 最も安全なのは、一人でどんな悪魔にも対抗できる者を近くに置くことだ。だから俺がレアの護衛に選ばれた。

 今回は俺が大幅に記憶を失い戦えなくなった場合にアリアを守る者がいなくなるため、ニシキ一人だけ派遣されたのだ。ニシキはそれだけ評価されている。智天使ランクの短槍を手にしている事からもそれがうかがえる。 

 さてと、とアリアがこの場に集まった全員を見回す。


「今日はボクのために、全人類、ひいてはこの世界の為に集まってくれてありがとう! あと三〇分ほどでボクたちの行いは大げさじゃなく歴史に名を残すだろう。ボクの名前は既に載ってるからさらに功績を重ねる事になる。レアくん、タッくんの名前は新たに載るだろうね。ニシキさんは分からないけど」


 そんなぁ~、という隣からの情けない声に笑いが漏れそうになる。緊張感を削ぐんじゃない。


「いいかい、失敗は許されないよ。好機というものは待ってくれない。これを逃したら次の実行日は遠くなるし、その次が来る前に人類の記憶は奪い尽くされてしまうだろう。君たちならできる。ボクが見込んだ人間なんだから。……ってなんでレアくんもタッくんもそんなやる気無さそうな顔してるのさ」

「わたしはいつも通りの表情」

「俺もだ」

「いや、ボクには分かる! もしかして記憶を失うのが怖いのかい?」

「「そんなことは無い」」


 俺たちがアリアとそんな話をしていると。


「あの、ちょっといいですか」


 と、ニシキが手を挙げた。

 いつになく真剣な表情をしている。何か重要な事でも話すのだろうか。

 どうぞ、と促すように黙り込み、ニシキの言葉を待つ。


「今から何が起こるか知らないけど、会話から察するに記憶を沢山失っちゃうんですよね?」

「ん、そうだね。お察しの通り、この二人はこれから多くの記憶を失うだろう。詳しい事は言えないけど。それがどうしたんだい?」


 おずおずと話しはじめたニシキに、アリアが淡々と応えていく。


「唐突ですみません。でもなんか、いてもたってもいられなくなって。オレもこれから悪魔と戦い続ける中で沢山の記憶を失っていくからかなぁ」


 ニシキはもうすでに多くの記憶を失っている。これから行う任務が失敗し、この世界から悪魔を消せなかったら、ニシキは戦い続け、記憶を失い続けるだろう。


「いいよ。続けて」

「はい。……オレ、思ってたんですよ。みんな想起兵になるのを嫌がるけど、哀れみの目で見てくるけど、オレたちも一般人と変わらないんじゃないかって」

「何が変わらないと言うのだい? 想起兵が背負っている逃れられない運命、すなわち記憶の喪失。それは一般人が背負っているものとはまるで違うと思うのだけれど」


 すぐに突っ込んだアリアにニシキは一瞬たじろぎ、えーとえーと、と考えをまとめるように唸った後、必死の形相で再び話しはじめた。


「だって普通に生きてても人って忘れていくじゃないですか。どんなに忘れたくないって思ってても、容量は限られてるから、どうしようもなくなくなってくじゃないですか。オレたちはそのスピードがちょっと速いだけなんです。命ある限り記憶は積み上げられます。なくしたらまた積み上げていけばいいと思いませんか? そりゃあ大切な人との記憶を失くしたら、残された側、記憶が残っている方は悲しいかもしれませんが、またその人と一緒の時間を過ごして、その人の大切な人になり直せばいいじゃないですか。もし二人ともお互いの記憶を失くしちゃったら……うーん、なくしちゃったら……どうすっかなぁ」


 そこまで考えてなかったらしかったニシキは三〇秒ほどウンウンとうなった後、右拳で左手の平を叩き、名案が思い付いた! と言わんばかりに表情を明るくさせ、やたらデカい声でこう言った。


「きっと運命ってやつがまた引き合わせてくれますよ! 赤い糸って言うんですかね? そういう目に見えない不思議な力が働くはずです! みんな気付いてないだけなんすよ! 今仲良くなってる友達とも、二度目の出会いなのかも!」


 そう興奮気味に語るニシキを前に俺とレアは無反応、アリアはこらえきれなくなったのか盛大に吹き出した。


「いやぁナイスだよニシキさん! これだけでもキミに追加の想起兵を頼んだ価値があるってものだ! ロマンチストなんだねぇくふふふふ」

「ちょ、アリアさんそんなに笑わないで下さいよ! こっちは真剣なんですから!」


 顔を真っ赤に染めてアリアに抗議するニシキ。

 俺は笑えなかった。

 だって、悔しい事に、響いてしまったから。

 本当にそうだったらいいなと思ってしまったから。

 現にこうやってニシキとまた出会えてしまったから。


「お、でもレアくんとタッくんの雰囲気が変わったね。もしかしてこの二人もロマンチストなのかな? ボクは物事を論理的に考えてしまうからそんな事絶対に言えないなー。素敵な発言ありがとう、ニシキくんっ」

「だからそれバカにしてますよね!?」


 案外この二人は相性がいいのかもしれない。お互いが持ってないものを持っているという意味で。お調子者という面ではそっくりという意味で。

 まかり間違ってアリアとニシキが結婚なんて事になったらどうしようか。アリアは二四歳、ニシキは二二歳で年もそんなに離れてないし。美男美女でお似合いだし。複雑な気分だ。

 楽しげな表情からキリッと真剣そうな表情に切り替えたアリアがこほんと空咳をする。


「さてさておふざけはここまで。ニシキさんのおかげで二人のメンタルケアもばっちりで計画成功率も高まった! あと五分でフェイズ1がはじまる。各自気を引き締めるように」


 アリアの一言で場の雰囲気がパリッと研ぎ澄まされる。

 各々すぐ任務実行に移れるよう動き出したところで、俺はある事を思い付いた。


「ニシキ、これ、やるよ」


 ポケットの中に入れていた超絶微糖缶コーヒーをニシキに放る。

 それは放物線を描きながらニシキの手にすっぽり収まった。


「なんだこれ?」

「俺のオススメ缶コーヒーだよ。任務が終わった後にでも飲んでくれ」

「おお、さんきゅ~! よく味わって飲ませてもらうぜ!」


 何も知らないニシキは無邪気な笑顔で缶コーヒーをしまった。

 ふふふ、楽しみだ。あの甘さを感じられるか感じられないかのギリギリを攻めたもの凄く微妙な味がする缶コーヒーを味わって飲むつもりだとは。飲んだ時どんな顔をするんだろうな。

 任務後の楽しみができた。さあ、最終準備をはじめよう。

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