第46話 悪魔を倒して世界を救う!

 気付けば膝をついていた。

 手から力が抜け、レアの白金の髪が風にさらわれる。

 レアはさらわれてしまった。この世界の運命に。


「お疲れさま、タッくん。本当に、お疲れさま」


 肩に置かれた手。白衣の人物。


「そのタッくんというのは俺の事を指しているのか? ……ああ、見覚えがあるなと思ったら、あんた、朝日アリア教授じゃないか。教科書で何回も見た。あんたのおかげで、俺たち想起兵は今まで戦えていた。感謝する。けど今は少しだけ俺の事を放っておいてくれないだろうか?」


 そう言うと、アリア教授は一瞬だけ眉根を寄せ目を閉じた後、無言で頷いて俺から離れた。

 レアが消えていった虚空を見つめる。

 何かできたはずだ。


『悪魔を倒して世界を救え』


 その指令は未だ消える事なく俺の中に居座っている。

 胸が苦しい。

 喪失感が、俺の胸にあいた小さな穴を押し広げていくようだ。

 心臓が脈打つ。動き出せと訴えてくる。

 思わず右手で心臓のあたりを強くつかんだ。


 そのせいで、懐に入れておいた何かがポトリと落ちる。

 緑色の手帳。レアが持っていたものと全く同じ。俺の人生が記録されている手帳。

 目が吸い寄せられる。なんだ。この小さな違和感は。

 よくよく見てみると、手帳本体とカバーの間、背表紙の部分から、何かが飛び出している。 


 このもどかしさから抜け出すための鍵。

 そんな確信めいた予感がして、急いでそれを引っ張り出す。

 一枚の写真だ。

 そこには一〇歳、一一歳くらいの幼い二人の子どもが、緑色の手帳を持ちながら笑顔で映っている。


 一人は、黒髪の男の子。

 一人は、白髪の女の子。


 どちらも面影が残っている。


 まぎれもなく、俺とレアだった。


 その写真を見た途端、ある記憶が呼び覚まされた。

 俺に偶然戻ってきた記憶。

 どうしても顔が思い出せなかった、女の子との記憶。

 次々とモヤが晴れていく。


 公園でいじめられて泣いていたレア。

 助けに入ってボコボコにされた俺にすがりつきながら泣くレア。

 お互いの家に遊びに行くようになり、何度も笑い合った。

 記憶の中のレアは、天真爛漫に、笑っていた。

 一緒に食べたリンゴ飴の味。

 夏休みの終わり頃。俺の引っ越しの前日。

 花火を見ながら、明日引っ越す事を告げた。

 俺もレアもぐちゃぐちゃに泣いた。

 ひとしきり泣いた後、レアが自身の秘密を打ち明けてくれた。


「わたしね、悪魔を引き寄せちゃうの。何となく分かるの。そのせいで半年前おとうさんが……。タクトくん、わたしから離れた方がいいの。その方が安全なの。だから悲しくないもん。嬉しいもん。それに、もしかしたらこれからわたし、一人で誰とも会えずにどこかに閉じこめられちゃうかもしれないし……この前おかあさんが怖そうな人たちと話してた」

「なんだよそれ。俺はそんなの嫌だよ! せっかく仲良くなれたのに! また来年も遊びにくる、つもりだったのに」

「わ、わたしだって本当は! ……でも悪魔が」

「それなら、俺が悪魔を倒す! ぜんぶ倒す! そうすれば、また一緒に遊べるだろ!?」

「そんなの無理だよぉ……」

「無理じゃない! 約束だ! 想起兵になって、世界中の悪魔をぜーんぶ倒す! そしたら、また一緒に遊ぼう!  指切りげんまんだ!」

「……うん。うん! タクトくんがまた会いに来てくれるの、待ってるからね!」

「おう! 任せとけ!」


 花火の光に照らされたレアの笑顔に、子どもながらなんて綺麗なのだろうと思った。

 その翌日。引っ越し当日。

 レアが何かおそろいのものが欲しいと、急いで近所の文房具屋に手帳を買いに行ったらしく、俺に一冊プレゼントしてくれた。

 その緑色の手帳を持って、両親にインスタントカメラで撮ってもらった写真。

 明瞭になった記憶の回想が終わる。


 これが偶然戻ってきた記憶のすべて。

 俺は、何年も前に、レアと会っていたんだ。

 約束していたんだ。


 写真の上に、水滴が落ちる。

 知らない内に、涙がこぼれ落ちていた。

 もしかして、レアが提案した遊び、イベントの数々は。

 約束、守れていないじゃないか。結局、俺が倒した悪魔の数なんてたかが知れてて。


 何やってんだ、俺。

 写真を持っている方の手の甲で涙をぬぐうと、写真の裏に何か書いてあるのに気付いた。

 油性ペンの下手な字で、大きく、荒々しく。


『悪魔を倒して世界を救う!』


 記憶の中にあった、レアの家の表札。

 真白世界。

 それが、レアの本名。


 俺が本能的に、まるで魂に刻み込まれたように行動していたのは、この地球、全人類を指す方の『世界』のためなんかじゃない。


 俺が救いたかったのは、『世界(レア)』だったんだ。


 約束も、レアの記憶も、何もかも残っていなかったはずなのに、俺はずっと覚えていないはずの約束を守るために戦ってきたんだ。


 まだ、できる事がある。

 やりたい事がある。

 やらなくちゃいけない事がある!

 手帳と写真を懐に入れ直し、立ち上がる。


「アリア教授。『福音』、残っているか?」


 離れたところで俺を見ていた教授に、そう質問する。


「予備用のがまだ残っているけど……それを使って、何をするつもりなんだい?」

「もう一度、マクスウェルの庭への道を拓く」

「その後は?」

「記憶が尽きるまで、中の悪魔と戦う」

「……そうする必要は、もう無いんだよ」

「無駄な行為かもしれない。けど、レアの記憶が少しでも残る可能性に賭けたいんだ」

「君が行っても、せいぜいレアくんが回帰するかしないかギリギリのラインくらいまでの記憶しか守れないかもしれない」

「それでもかまわない」

「……君には、役目を終えたレアくんを連れ戻すためにマクスウェルの庭への道を拓く役目がある。行かせる訳にはいかない」

「それなら問題は無い。さっきの二倍、いや、三倍量の『福音』を摂取して、大穴を開ける。閉じる前までに必ず戻ってくる。もし俺が回帰してしまった場合はドローンなり何なり使って引っ張りだしてくれ」

「そんな事をしたらさらに記憶を失って、マクスウェルの庭から戻る頃にはほとんどの記憶が残らないはずだ。レアくんとの記憶なんて欠片も残らないだろう。それでも行くというのかい?」

「ああ」

「……はぁ。これ、懲戒免職ものだよ。まあ今まで好き勝手やってきたしなんだかんだ上も目つむってくれるから、二人を引っ張り戻せれば追求はされない、か」


 アリア教授はぶつぶつ何事か呟きながらヘリへ向かい、『福音』が入った注射器を三本、持ってきてくれた。


「恩に着る」

「最後に一つ。大神楽石無き今、エクシスで能力を解放できるか分からない」

「そいつぁ大丈夫だぜ。オレはまだ能力が発動したままだからよぉ」


 ヘリに寄りかかって短槍をクルクル回して遊んでいたニシキが貴重な情報をくれた。

 記憶の行き場こそ失ったものの、まだ血と記憶を捧げればエクシスは起動するんだな。


「ニシキ、その情報は助かる。これで俺は、戦える」

「おうよ。オレからは何も言うことはねぇ。自分のやりたい事をやれ! 思いっきしやってこい! あとあんたからもらった超絶微糖コーヒー、くそまずかったぞ! 以上だ!」

「もう飲んだのかよ。そのコーヒーをもしどこか店で見つけたら取り置き頼む。……いってくる」


 うんむ! と胸を叩き、敬礼のポーズをとるニシキ。最後の最後まであいつらしくて安心した。


「むぅ。ニシキさんの事は覚えてるのか。ボクの事は忘れたくせにぃ。なんか妬けちゃうなぁ」

「そうだアリア教授。レアが使っていた、試作型のエクシス、持っていたりするだろうか? もしよければ、貸してもらいたい」

「はいはいありますよーだ今すぐに持ってきますよーだ」


 むくれながら再びヘリへ取りに向かってくれた教授。白衣がバサバサと大げさに揺れていた。色々と要求し過ぎて怒ってしまったのだろうか。初対面のはずなのに、なぜか親近感が湧き、頼りたくなってしまうのはなぜだろう。

 アリア教授は言葉通りすぐに戻ってきて、二本の短刀型エクシスを持ってきてくれた。

 レアが俺の記憶を守るために使用した、消耗が激しいエクシス。

 今度はそのエクシスを俺が使って、レアの記憶を守る。


「アリア教授。色々と便宜を図ってくれて感謝する。この恩はこれからの行動で返す」

「まったくだ。これじゃボクはただの都合が良い女じゃないですかやだやだー。……なんて、ね。世界を救った英雄様のお願いだもの。そりゃあ叶えますよ」

「英雄なんかじゃない。俺はただレアとの約束を守るために戦っていただけなんだ。やっとその事に、気付けた」

「いいじゃないか。実に人間らしい。大体どんな大義名分を掲げようと、結局は自分のため、もしくは大切な人のためにしか動けないものさ。骨はボクが拾ってあげる。だから安心して行きたまえ」

「天下のアリア教授に拾っていただけるなんて光栄だ。では、後の事は頼みました。わがままを聞いて下さり、ありがとうございました」


 本当に感謝している事を伝えようと敬語にしてみる。

 それが不服だったようでアリア教授は顔をしかめた後、何も言わず俺の背中を強めに叩いて、去っていった。

 俺は一人、虚空を見つめる。

 空は憎たらしいほど晴れ渡っていて、風は僅かに髪を揺らすくらいに吹いている。

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