第32話 赤、青、黄、緑
「ここは……」
目を覚ますとそこには見知った天井があった。
戦闘の疲れがピークに達して気絶してしまったのか。
きっと部屋まで運んでくれたのはレアだ。迷惑をかけてしまった。
屋敷に戻ってきたのは朝方だったのに、ブラウンのカーテンの隙間から漏れ出ていたのは橙色。時間を確認すると、夕方一七時。半日も寝ていたのか。
レアに意識が戻った事を知らせ、同時に運んでくれた事に対するお礼を言うためにベッドから出て、階段を降りる。この時間ならレアはリビングで読書しているだろう。
そう予想してリビングに来たが、中にレアはいなかった。
見回すと、窓から庭にあるベンチに座っているレアを発見した。
その姿に、俺は目を丸くする。
真っ白な布地に、青いアジサイ柄。
小走りで庭に向かい、レアの前に立つ。
ぼーっとしていたレアは俺の姿を確認すると夢から覚めたように少しだけ目を見開いた。
「タクト。意識が戻ったのね。良かった」
「ああ。心配かけた。ちょっと疲労がたまっててな。部屋まで運んでくれて助かった。ありがとう」
「いいえ」
「ところで、その浴衣、どうしたんだ」
「これ、タンスの中を整理してたら見つかったから、着てみた。多分、昔わたしが買ったものだと思うんだけど」
「……そうか。よく似合ってるぞ」
俺がそう言うと、レアはこくんと頷いた。
まだあの二人夏祭りから約一ヶ月ほどしか経ってないが、懐かしい気持ちで一杯になる。
そうだ。せっかくレアが浴衣を着ているのだから、俺の方から二人夏祭りを提案してみよう。
リンゴ飴は流石に無いから、倉庫にあるものだけで再現するとしよう。
レアにちょっとだけ待ってろと言い残し、自分の部屋に戻って、タンスからかつてレアが俺のために選んでくれた浴衣を探して着替える。
ゲタをはいて玄関から庭の方へ。
浴衣に着替えた俺を見て、レアはこんな事を言った。
「あなたの浴衣も、とてもよく似合っている。イメージにぴったり」
その言葉に、思わずぴくりと身体を震わせてしまった。
「人に、選んでもらったんだ」
「じゃあその人がちゃんとあなたの事を考えて選んだのね」
「……うん。そうだったんだろうな、きっと」
俺の曖昧な言い方に小首をかしげるレア。
以前のレアも今のレアも多くは語らない。だから推測するしかないわけだが、その推測が合っているかどうか分からないから確証はない。けれど、先ほどのレアの発言を聞いて、あの時のレアは俺に似合う浴衣はどれか一生懸命考えて選んでくれたのだと思う。
俺は気づかないうちに、レアから沢山のものをもらっていたのだ。
「どうしたの? 突然黙り込んで」
「いや、何でもない。そうだレア、せっかくこうして二人とも浴衣なんだし夏祭りでもしないか?」
「夏祭りは二人じゃできない」
「うん、普通はそう思うよな。あくまで夏祭り気分を味わってみるってだけだ。もう一〇月で時期外れもいいとこだが、どうだ?」
「わたし、夏祭りをやった記憶が無いから興味ある」
「よし、じゃあレアはそこで待っててくれ。すぐ準備する」
了承を示す頷きを確認してから俺は倉庫へ向かう。
そうだよな、普通二人で夏祭りをしようだなんて思わないよな。あの時のレアは一体何を考えていたのだろうか。
倉庫の中には解体した屋台、いくつもの提灯、余った花火等があった。提灯を庭にいくつか飾り付けてから花火をしよう。
それから二〇分ほど経ち、ようやく準備が整う。
レアはじっと庭に飾り付けられた提灯を眺めていた。
「……きれいな色」
「温かみ、みたいなものを感じて落ち着くよな、提灯って」
「うん」
提灯の明かりに照らされたレアの横顔は相変わらずハッとするほど透き通っていて、そして、無表情で。
そんな彼女を見るたびに、レアが俺を庇った時に見せた笑顔が脳裏をよぎる。
あれは幻だったのかもしれない。最近そう思うようになった。
あの笑顔をもう一度見たいだなんて、おこがましい欲求を抑えつける。
次に屋敷に悪魔が出現した時、なんとしてでも守りきる。俺の記憶のすべてをかけても。
「さて、今日の夏祭りのメインイベント、花火をしようか」
「うん。する」
バケツに水を張り、大小様々、色とりどりの花火を用意する。打ち上げ花火は残念ながら前回の夏祭りで使い切ってしまったため、あるのは手持ち花火だけだ。
俺もレアも二つ持ち、三つ持ち等はせず、一つだけ手にとって、火をつける。
赤、青、黄、緑。
俺やレアに似つかわしくないカラフルな色たちが花火の先から次々に飛び出し、俺たちの顔を照らす。
「どうだ?」
「実物ははじめて見た。ただの火なのに、こんなにカラフルなのね」
一つ終わったらすぐに次の花火を着火しているので、楽しんでくれているのかな。
レアともう一度花火をする事は、すべての悪魔を倒し終わってからだと思っていたのだが、まさか俺の方から提案して、こんなに早くやる事になるなんて。
やはりレアは覚えていない。俺と夏祭りをした事も、その後交わした約束も。
なあレア、俺たちの任務が終わって、俺が世界中の悪魔を残らず倒したら、その時は一緒に夏祭りに行かないか。
喉元まで出かかった言葉をすんでのところで止める。
今のレアにそんな事を言っても怪訝な顔をされるだけだ。
護衛任務終了まで残り一ヶ月。そのたった一ヶ月の間、レアの感情ができるだけ動くように今回みたいな提案を沢山しよう。記憶を失う前のレアがそうしていたように。
きっとレアも質の良い記憶を積み上げるよう政府から言われているだろうが、まだ俺と接した時間が短いせいでなかなか自分からは言い出せないのだろう。
なら俺の方から動かないとな。
「残ったのは線香花火だけか」
気づけばもうほとんどの花火を消費してしまっていた。
俺とレアは二本だけ残っていた線香花火に火を点け、ただ静かに見つめ続けた。
パチパチと小さく弾ける音に耳を澄ませる。俺もレアもその輝きにのみ全神経を傾けていた。
「あっ」
先にポトンと火の滴が落ちたのはレアだった。驚いたような声を出すレアは珍しく、思わずレアの方を見た瞬間、俺のも落ちてしまった。
それが、俺とレア、二人だけの夏祭りの幕切れ。
どこか寂しいような、切ないような、そんな形容しがたい感情に浸っていると、線香花火をバケツに入れ終わり、こちらに振り返ったレアが、こんな事を言った。
「また、やってみたい」
その一言だけで、さっきまでの感傷が吹き飛んだ。
「ああ。またいつかやろう」
考えるとレアは俺と一緒にやりたいとは言っていない。それでももう一度やってみたいと言ってくれたのは嬉しかった。それは、花火を楽しんでくれたという事の証明になるから。
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