第31話 悪魔を倒して世界を救え

 朝食後。

 一通りチェス指南、実戦が終わって一息入れる。

 レアはルールを覚えるのに精一杯で、その後の手合わせでは少しだけチェスの経験のある俺が圧勝した。

 記憶を失う前のレアがかつて俺にしてくれたように手加減しながら戦う事は想像以上に難しかった。

 あれほどのチェスの実力をつけるまでに、どれだけの時間をかけてきたのだろう。

 レアは手合わせが終わった後も、しばらく盤面を眺め続けていた。


「気になるところがあるのか?」

「ううん。このチェスセットの質感、駒のデザインが気に入っただけ」


 そう言いつつキング、クイーンを手に取り、色々な角度からじっと見つめはじめた。


「そうか。それは良かった。チェス、やってみてどうだった?」

「まだよく分からない。けど、楽しい、楽しくなる、と思う」


 曖昧な答えだった。レアに関する書類に、記憶を奪われすぎたせいで感情の起伏が小さくなっていると書いてあった。ここに来て実際に接してみたが。表情や声音以外からは何かしらの感情を感じられるように思えた。レアが気を遣っていたのかもしれない。

 俺を庇い、記憶を失って、さらに感情が動かなくなってしまったのかもしれない。

 そうだとしたら、俺が、レアの感情を取り戻してやらないと。

 そのために、今までレアが提案してきたイベントを再現する必要がある。なぜならレアの方から提案してきたという事は、レア自身が楽しいと思った事だろうから。


 この日を境に一日一回はチェスに興じるようになり、ほんの少しずつだが会話も増えてきた。最初はチェスの話題だけだったが、次第に日常面でも。

 例えば、「わたし、エビフライが好きかもしれない」「白い服は落ち着く。タクトはなんでいつも暗い色の服を着ているの?」等々。


 俺たちの生活に変化が生じてきたところで、ついに一〇月に突入した。


 護衛任務は残り一ヶ月。それが終わったら、アリアが発案した国を挙げての計画が実行される。

 レアが俺を庇った日、すなわち九月一五日から一〇月一日の今日までに、俺は幾度も戦場に赴いた。


 マクスウェルの悪魔の出現頻度が上がり、成長した状態で現れるため、よく緊急救援要請が降りてくるのだ。

 最近になってようやく突然出現する大型悪魔との戦いに慣れてきた。

 が、戦闘時間は伸びる一方だ。

 理由は明白。人員不足。戦場に立つ度、顔なじみが減っている事に気づく。毎回必ず、だ。早くこの状況をなんとかしなければならない。


『悪魔を倒して世界を救え』


 俺の心、魂は変わらずそう訴えてくる。

 俺にできる事は、ただひたすらに悪魔を倒す事と、アリアの計画を成功させる事だ。


 一〇月に入った今日もまた、屋敷の電話が鳴り、出撃する事になった。

 時刻は深夜三時。夜に現れる事はそうそう無いが、全く無いわけではない。

 また目減りしている想起兵たちを横目に、心を無にしてひたすらに悪魔を狩る。

 今回は第二番・バット型の群れに、第五番・エレファント型二体。

 戦闘は五時間にも及んだが、なんとか犠牲者を出さずに済んだ。俺は一度だけ第二番の攻撃を受けたが、そんなものは大したことではない。エクシスに捧げる記憶量程度しか奪われていないだろうから。

 交感神経から副交感神経に切り替わった事による眠気に耐えながら帰路につく。

 珍しくレアが出迎えてくれた。


「お疲れさま」

「ああ」

「……タクトはなぜそんなに悪魔と戦うの?」


 いつかも聞いた事がある質問。その質問に俺は淀み無く答える。


「俺が、そうしたいからだ。信じられないかもしれないが、そういう欲求というか、使命感が身体の奥の方から湧いてくるんだよ。悪魔を倒して世界を救え、って」

「不思議ね。でもそんな不確かなもので、そこまで自分の記憶を犠牲にできるもの? 自分の記憶に価値を見い出せない?」


 以前は、自分の記憶に価値なんてないと思っていた。空虚な俺の記憶など。これは憶測だが、レアも俺と同じだったんじゃないだろうか。


「……そんな事は無いさ。俺が悪魔を倒すのは何があっても変わらない。でも、だからと言って自分の記憶に価値を見い出していないわけじゃない。俺には、俺の記憶を大切に思ってくれている人がいる。そういう人が、いたんだ。だから……」


 そこまで言ったところで、不意に意識が遠くなりはじめた。

 寝不足と長期戦による疲れのせいだな。

 以前のような、自分の記憶をないがしろにした捨て身の戦い方では無くなったせいで余計に神経をつかうようになった。より高度な戦い方に適応すべく集中力を高めながらの、五時間ぶっ続けの戦闘。そりゃ身体も脳も悲鳴をあげるか。

 意識が消える直前に感じたのは、レアの柔らかな腕の感触だった。


 ※※※


 急に意識を失ったタクトを、わたしはとっさに受け止めた。

 細身なのに筋肉がついているせいかずっしり重く、よろけそうになる。


 わたしは、この人と既に一ヶ月半も共に生活していたらしい。悪魔に記憶を奪われたらしく、わたしは全く覚えてないから本当かどうかは分からない。

 わたしからすれば完全に初対面なんだけど、この人にとってはそうじゃないらしく、時々変な顔をする。以前のわたしとの違いを今のわたしに意識させないよう気をつかってくれているのは分かるんだけど、隠しきれていない。


 最初は腫れ物を扱うようにわたしに接していたのに、チェスをするようになってからは段々と心を開いてきたように感じる。

 チェスは楽しい。今まで一人で楽しめるものにしか触れてこなかったせいか、相手がいる事が前提のゲームがとても新鮮で新しい発見に満ちている。


 タクトの教え方も上手で、すぐにルールを覚えられた。

 こんな風に楽しいと思える事に出会ったのは久しぶりだ。わたしにまだ何かを楽しいと思える心が残っている事を確認できた意味でも、嬉しい。

 残り一ヶ月間しかないけど、その間にまた新たな発見があるかと思うと、少しだけ、ほんの少しだけ胸が高鳴る、ような気がする。


 この人に感謝しなきゃ。

 その感謝を行動で示すべく、気を失ったタクトを彼の部屋に運んでいく。

 屋敷内の清掃ロボットにも手伝ってもらい、なんとかベッドまで運び込む事ができた。


 その際にタクトの寝顔が見えてしまった。

 寝ていても尚、厳しそうな表情を浮かべている。それほど悪魔との戦いが過酷なのだろう。

 タクトの悪魔に対する思いは鬼気迫るものがある。何が彼をそこまでかりたてるのだろう。わたしには分からない。だから思わず質問してしまった。


『悪魔を倒して世界を救え』


 タクトは自身でも、悪魔を倒す明確な理由は無いと言った。あるのはよく分からない欲求だけだと。

 もしかしてそれは、彼が失ってしまった記憶に起因するものなのではないだろうか。


 記憶を失っても尚、その胸に残るモノ。今まで生きてきた中で得た記憶のほとんどを失ってしまった私にも、そんなものがあるのだろうか。

 あったらいいな。


 ※※※

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