第24話 キングとクイーン
※※※
二人で作った料理を食べ、部屋に戻る。
わたしは今、喜んでいるのか悲しんでいるのか、よく分からない感情にさらされている。
タクトは、失ってしまったのだ。
わたしの誕生日の事や、チェスのルール、二人で対局した事。
エクシスに捧げる記憶の量ではない。きっと、悪魔に奪われたのだ。
タクトほどの実績がある想起兵がこれだけの記憶を奪われた、という事は、よっぽど厳しい戦場だったか、不測の事態が発生したか。
タクト、無理、してた。屋敷に戻ってきてからずっと。
記憶を奪われた事を隠すため。でも、それだけじゃないような気がする。心労がくっきりと顔に浮かんでいた。
もしかしたら、戦場の誰かが回帰、あるいはそれに近い状態になってしまったのかもしれない。
この前、珍しくタクト以外の人間と顔を合わせて会話した。彼の友達を名乗るニシキという男だ。ニシキは言っていた。タクトは弟みたいなものだと。自分より想起兵としての腕は上だけど、守ってやりたくなるようなやつだと。
タクトに、親しい人物がいた。タクトを気にかけている人物がいた。それだけでなんだか嬉しかった。でもタクトの周りには想起兵しかいない。この屋敷に来る前も関わりがあるのは想起兵だけと言っていた。
想起兵同士には避けては通れない残酷な壁が存在する。
もちろん、記憶の喪失だ。失う記憶の量、速さは一般人の比ではない。
タクトは慣れたと言っていたが、慣れるはずがないんだ。もし本当に慣れてしまっていたとしたら、それはもう、心が壊れてしまっている。
これ以上タクトに記憶を失ってほしくない。タクトには悪魔がいなくなった世界で平和に過ごしてほしい。そのためにもわたしは、わたしのできる事をする。
あと、一ヶ月半。わたしに課せられた重要な任務。必ず完遂してみせる。
屋敷にいる間にできるのは、なるべく多くの本を読んで知識を増やす事と、タクトとの思い出を蓄積していく事。
今日もまた、とても大事な思い出ができた。
ベッドで何度も寝返りを打ちながら、タクトからもらった誕生日プレゼントを眺める。
記憶を失う前のタクトがわたしのために用意してくれたもの。記憶を失った後のタクトが、買った事を覚えていないのにくれたもの。
しばらく駒の一つ一つを手に取り、ためつすがめつして見る。
チェス盤までゆっくりと時間をかけて鑑賞した後ベッドから降り、机の上に置く。
キングとクイーンの駒だけ握りながらわたしはベッドに戻った。
この二つの駒は特に造形が細かい。見比べたり色々な角度から眺めてみたり。
キングとクイーン。チェスにおいて唯一無二の駒。
まるで、タクトとわたしみたい。
わたしの任務にはタクトの能力が不可欠。エクシスによって発現する能力は一人一人違う。
この任務、計画にわたしとタクトの二人が選ばれた事は奇跡に近い。
神様なんて存在がいるのなら、感謝の気持ちを伝えたい。
センサーに手をかざして照明を落とす。
今日はこの二駒と一緒に寝よう。まるでお気に入りのおもちゃを手に入れた子どもみたいな行動だけど、気にしない。
わたし、上手く隠し切れたよね。タクトの記憶が失われてしまった。それに気づいた事を。
今だけは、無表情でよかったと心から思える。
何度か身体が震えてしまったけれど、なんとか乗り切れた。
明日からタクトとチェスの特訓がはじまる。
またルールを覚えるところからだけど、そんなのは気にならない。
残りの期間、なるべく多くの時間をタクトと過ごすんだ。
わたしは胸を高鳴らせながら、睡魔に身を任せた。
※※※
レアの誕生日の翌日。九月一六日。
俺は朝食後、早速チェスの入門コース(講師はレア)を受けていた。
今はキングから順に駒の動かし方を教えてもらっている。
「これが最後。歩兵・ポーン。日本語で言うと歩兵。進み方は前に一マスずつ。初手のみ二マス進める。後方には戻れない。斜め前一マスにいる敵を倒せる」
「レア、質問いいか?」
「今は先生と呼ぶように」
出たぞレアの形から入るクセ。ここは素直に従っておくのが吉。
「レア先生、質問があります。チェスにも将棋みたいに『成り』があるのでしょうか?」
俺は将棋のルール、やり方なら知っている。
将棋の駒には相手側の三マス目までに自分の駒が進入すると動かし方が変わるものがある。
「良い質問。チェスにもいわゆる『成る』駒が存在する。言い方はプロモーションだけど。将棋と違って成る事ができるのはポーンだけ。条件も厳しくて相手のマスの一番奥に行かなきゃならない」
「条件厳しいですね」
「その分恩恵は大きい。ポーンは、好きな駒に成れる」
「という事は最強の駒であるクイーンにも?」
「もちろん。クイーンにするプレイヤーが多いけど、ナイトみたいに特殊な動きをする駒にする事もある。そこは戦局次第」
「なるほど」
その後駒の動かし方をおさらいし、簡単なルール説明の受けてから実戦だ。
レアが手を抜きながら戦ってくれたおかげで雰囲気をつかめた。全部の駒を動かしたしプロモーションもできた。存分に暴れさせてもらってから、一気に負けた。
「どうだった?」
「駒をどう動かしたらいいか何となく分かった。レアは教えるのが上手いな」
「前にも人にチェスを教えた事があったから」
「どうりで」
「とりあえず午前はここまで。お昼ご飯までにもう一度復習しておくように」
「分かりました、レア先生」
随分指導に熱が入っている。本当にチェスが好きなんだな。
将棋をやった事があったからか比較的簡単に覚えられた。レアが手加減してくれたおかげで楽しめたし、特訓は全然苦ではない。早く強くなってレアを楽しませてやりたいな。
一旦自分の部屋に戻って軽く掃除をすませてから図書室にチェスの教本を取りに行こう。
まずはベッドメイキング。次は床掃除。残りは細々としたもの。
本棚の掃除に取りかかろうとしたところで、チェス関連の本が二、三冊入っているのを見つけた。
あれ、なんでこんな本がここに。
自分でここに入れた覚えが無い。レアが入れておいてくれたのかな。
……待て。昨日はそんなヒマ無かったはずだ。朝起こしに来てくれた時に入れたとか? 基本的に了承が無い限りお互いの部屋には入らない決まりになってるし、タイミング的にはそこしかない。
あるいは、俺の記憶が、失われてしまったか。
そう仮定すると、さきほどのレアの言葉の意味が変わってくる。過去に人にチェスを教えたことがあるというセリフ。それはもしかして、俺の事なのかもしれない。
考えすぎだろうか。
レアに直接聞いてみようと思ったが、やめた。
問い正してもきっとレアはノーと首を振るだろう。俺が記憶を失った事に気づいていてあえてそれを指摘せず、最初からやり直そうとしてくれているレアの思いやりをムダにしてしまうだろう。
俺は本棚から初心者向けであろう教本を取り出して、貪るように読みはじめた。俺がレアの思いやりに応えてやるためには、こうするしかない。
「タクト、お昼ご飯、できた」
ドアの外側からレアの声が聞こえてきた。
もうそんな時間か。集中して読んでいたら二、三時間があっという間に過ぎ去ってしまった。
「分かった。今行く」
キリが良いところまで読んでから本をしまい、部屋から出る。
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