第23話 誕生日おめでとう

 アリアに頼んでバイクを呼んでもらい、それに乗って屋敷に戻る。

 もうすっかり陽が落ち、辺りは暗闇に包まれていた。

 屋敷に着くのは一九時過ぎになりそうだな。

 きっとこれからも折に触れてニシキの事を思い出すだろう。

 いつかは消えてしまう思い出、記憶だったとしても、俺は大切にしていきたいと思う。


 そう思えるようになったのはニシキのおかげだ。

 自分の記憶になんて価値はない。

 今までは価値を見出す事ができなかった。

 人は孤独なままではいられないと言うが、知らない内にこんなに深いところにまで入り込まれていたんだ。

 悪魔と戦わなければ記憶を失う事は無くなる。もちろんニシキとの思い出も。

 失いたくない記憶ができた。


 それでも俺は、戦い続ける。悪魔の手から世界を救う。

 この本能にも似た想いは、記憶を失う前の俺の経験から来ているのかもしれない。よっぽど大切な何かだったのだろう。今まで生きてきて蓄積された記憶の大半を失っても尚俺の中に残り続けているのだから。俺が俺であるために、戦い続けなければならないんだ。すべての悪魔を倒すまで。そんな事を考えながらバイクを走らせていたら、屋敷までもうあと三〇分ほどの距離まで来てしまっていた。


 思考が切り替わる。

 そうだ、ニシキが多くの記憶を失ったように。俺も今日決して少なくはない記憶を奪われたのだった。

 朝から一体目のフロッグ型を倒すまでの記憶。

 おそらくそれだけではない。記録手帳を確認して何の記憶が失われたのか調べないと。

 そこで特定できなければ、屋敷に来てからの記憶が奪われた可能性が浮上してくる。

 レアとの記憶の何かしらが失われた可能性。レアに話せばどの記憶が消えたのか確認する事ができるだろう。けれど、安易にそうする事はできない。想起兵になりたての頃に何度か経験したが、記憶の確認作業は精神的な負担がかかる。お互いに。

 傷を浅くするには、相手に記憶を失ったという事実を気づかせない事が大事だと学んだ。


 とりあえずは早く帰らなければ。屋敷を出る時にレアに何時くらいに帰るか言ったはずだが、もちろんその記憶は失われている。推測するにもっと早く帰れていたはずだろう。レアのことだからきっと心配をかけさせてしまっている。

 運転をオートからマニュアルに変え、スピードを上げて家路を急ぐ。

 到着時刻は一九時ちょうど。予定より早く着く事ができた。

 バイクから降りた瞬間、屋敷の門が開きレアが駆け寄ってきた。


「タクト、おかえり。遅いから心配した」


 やはりもっと早く帰れる予定だったか。ここは話を合わせよう。


「すまない、戦闘が長引いてな。無事倒せたよ」

「そう。無事で何より」

「腹減ったな。確か今日の夜はレアが食事当番だったよな? 何作ったんだ?」

「…………ごめん。すっかり忘れてた。今から作る」


 なんだ? 今一瞬レアの身体がビクついたような気がしたが気のせいか?


「レアが忘れるのなんて珍しいな。ちょっと疲れたから部屋で休ませてもらう。できたら呼んでくれ」

「うん。お疲れさま。ゆっくり休んでて」

「ああ」


 二体の第六番を相手にしたからか身体がやけに重い。加えて決して少なくはない量の記憶を奪われたせいで頭痛がする。階段をのぼりきったところで足がふらついた。


 この屋敷に来てから悪魔と戦う機会がめっきり減ったから身体が驚いたんだろうな。想起兵になってからの二年間はほとんど毎日記憶を奪われてたからいつの間にか慣れてしまっていただけで、本来は今みたいな状態になるはずだったんだ。

 自分の部屋のドアを開けたところで床に落ちていた缶コーヒーを踏みつけて派手に転ぶ。受け身をとったおかげで痛みはない。疲れていたため、このまま床に寝ころぶことにした。


 身体が楽になるまで天井を眺める。

 目に浮かぶのは先ほどのレア。どこかいつもと違ったような気がする。でも、何が、までは分からない。どこから様子が変になったか。そう、確か俺が今日の夜飯当番の確認をした時だ。

 もしかしたら俺の当番だったとか? いや、レアが忘れてただけって言ってたし違うか。


 何度か頭をひねってみても答えにはたどり着けない。

 うなりながらベッドがある方向に寝返りを打つ。

 そこで、俺の記憶に無い物を発見した。

 キレイにラッピングされた箱。すぐに取り出し、中の物を確かめる。

 チェスセット? なぜこんな物がここに? 過去にレアからプレゼントされたとか?


 記憶を探っても何もでてこない。俺はチェスなんて生まれてこの方やったことは無かったはずだ。箱の方を調べてみると、メッセージカードらしきものを見つけた。


 レア 誕生日おめでとう 二〇二五年九月一五日


 日付は、今日。

 なんて事だ。これは俺にプレゼントされた物とかじゃない。俺がレアにプレゼントするために用意したものだ。だとしたらさっき様子がおかしいと感じたのは気のせいなんかじゃない。きっと俺が今日の誕生日のために夜飯を作る予定だったんだ。

 プレゼントの包装を元通りにして、すぐさまリビングへ向かう。


「レア!」

「どうしたの?」


 見れば、レアはまだ調理器具を準備しているところで料理を作り始めてはいなかったようだ。


「すまない、疲れすぎててすっかり忘れてた。今日の夜飯は俺が作る予定だったよな。すぐ用意するから自分の部屋で待っててくれ」


 レアの眉間が僅かに動いた、ような気がした。これはアタリだな。


「そんなに疲れて顔色の悪いタクトにやらせるわけにはいかない。タクトこそ休んでて」

「いや、どうしても俺がやりたいんだ。俺にやらせてくれ」

「ダメ。どうしてもって言うなら、わたしも手伝う」


 レアは意外に頑固だ。譲歩してくれたようだし、ここは呑むしかない。


「……じゃあ、そうしよう」


 こうしてレアと一緒に料理を作ることになった。何気に一緒に作るのははじめてだ。今までは完全当番制だったから。

 冷蔵庫を開けるとタッパーに下準備してある食材が揃っていた。記憶がなくなる前の俺は相当気合いを入れてたようだ。これはありがたい。

 二人で料理をはじめて三〇分。食卓にはあくまで家庭料理の範囲内の、豪勢な料理が並んでいた。

 下準備とレアの手際が良かったおかげでこんなに短い時間で仕上げることができた。


「さて、薄々気づいていると思うけど……レア、誕生日、おめでとう」


 食事をはじめる前にそう一言。

 対面に座っていたレアは、数秒間、目を見開いたまま固まっていた。

 よし、この間に。

 まだ数秒間はそのまま彫像になっている事を期待して、リビングの外に置いておいたプレゼントを取りに行く。


 その時ちょうど配達が届いた事を知らせるチャイムが鳴る。

 そのまま玄関に向かい、配達ロボットから冷たい箱を受け取った。

 中を見なくても分かる。これは誕生ケーキだ。ナイスタイミング。これでレアに記憶を失った事を気づかせないよう演出できる。


 この前花火をした時に使ったライターが靴箱に入っていたはず。

 案の定ライターは靴箱に入っていた。それを使ってロウソクに火を点け、リビングに戻ると同時に電気を消す。

 あれ、この後どうすればいいんだっけ。

 子ども時代の自分の誕生日会はどうだったか。もう記憶が無いから思い出せない。

 そうだ、この屋敷に来る前にテレビか何かで見た気がする。確か……。


「ハッピバースデートゥーユー」


 こんな感じ、だったよな。

 雰囲気でなんとか歌いきり、レアの前にケーキを差し出す。

 レアはぼーっと火を眺めていたと思ったら、次の瞬間、唐突に火を吹き消した。

 電気を点け、プレゼントを手渡す。


「開けていい?」

「どうぞ」


 レアはそれはもう丁寧に包装をはがしていき、中のチェスセットを取り出した。


「新品の、チェスセット……」

「俺が選んだんだ」


 多分、俺が選んだはずだ。

 レアはチェスセットを見つめながらまたしても彫像のように固まってしまった。

 相変わらず無表情だから喜んでいるのか驚いているのか分からない。


「気に入らなかったか?」

「……ううん、そんな事、ない。絶対、ない」


 レアはプレゼントをテーブルの端に置くやいなや俺の胸に飛び込んできた。

 華奢な身体が密着する。心臓の音さえ聞こえてきそうなほど強く。


「レア、いきなりどうしたんだ。その、苦しいんだが」

「プレゼント、ありがとう。すごく、嬉しい」


 胸元からくぐもった声が聞こえてくる。

 とりあえずは、喜んでもらえたようでよかった。

 記憶にはないが、俺がこれをプレゼントとして選んだって事はレアがチェス好き、って事だよな。


「そうか。レアはチェスが好きだもんな。俺はチェスをやった事がないから、今度教えてくれないか?」


 そう言った瞬間、レアの身体が一瞬だけ震えた。密着しているからこそ分かる。

 なんだ。また俺は、やってしまったのか。

 レアの表情を確認しようにも顔が押しつけられていてこちらからは見えない。表情を見たところで無表情だろうから意味は無いかもしれないが、瞳を見ればなんとなく伝わるものがあるはず。

 身体を離そうと手を伸ばしたところで、レアのくぐもった声が聞こえてきた。


「思わず武者震いしちゃった。早速明日からチェスの特訓をする。毎食後必ず、する。覚悟しておくように」

「わ、分かった」


 やけに気合いが入った提案をしてきた。にしても武者震いって。お前は武士か。

 レアの多少強引な提案にとまどいながらも、安堵する。

 やらかしてはいなかったようだ。何とかいくつか記憶を失った事を悟られずに済んだ。

 さあ、後は食事を平らげるだけ。

 俺から身体を離したレアは、やっぱり無表情だった。

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