第6話 出動
※※※
タクトはベンチに腰掛けたまま眠ってしまった。
ここ二週間で分かったことは、タクトは昼寝が好きだということだ。いつも規則正しい生活をしている反動なのかな。幼い頃はよく寝坊をしていたような気がするし早起きが苦手なのかも。
ちょっとした出来心で、タクトの腕を引っ張ってみる。
目論見通り、こちらに倒れ込んできた。
目を覚ましたら驚くかな。驚くよね、いきなり膝枕なんてされてるんだもの。
ほんの少しだけクセのある黒髪に触れてみる。わたしが使っているシャンプーと同じ匂いがした。そんな当たり前な事が嬉しい。
感情が希薄になってしまったのはいつからだっただろう。表情が動かなくなってから、どれくらいの月日が経っただろう。
記憶を食べられて、食べられて、食べられて。
気づけば、わたしを構成する記憶のほとんどが無くなってしまっていた。
僅かに残っている記憶の中で一際印象的なのが、幼い頃、一夏の間だけ遊んだ、とある男の子との記憶。それが唯一わたしの人間らしい感情を思い出させてくれる。
その男の子は、きっともうわたしの事を覚えてはいない。単純に忘れてしまったか、悪魔に食べられたか、それとも、エクシスに供物として捧げてしまったのか。
それは仕方のない事で、わたしにはどうする事もできない。思い出す記憶そのものが無くなっているかもしれない。だから、タクトに、あなたとわたしは実は昔出会っていたのだと伝える事はできない。
わたしの護衛任務にタクトが就いてくれて、良かった。
残された時間はあと二ヶ月半。その間に一度でもタクトに笑顔を向けられる事ができたらいいな。
タクトの安らかな寝顔を見ながら、そう願った。
※※※
花を植えてから三日後の夕方。
俺たちはもはや習慣となったチェスに興じていた。
「なあレア、たまには将棋でもしないか? チェスと駒の動かし方似てるし、ちょっとやってみたいんだが」
「わたし、将棋よりチェスの方が好き」
「なんでチェスに拘るんだ? 同じようなものだろう」
「全然違う。チェスは倒した駒を退場させるけど、将棋は仲間に引き入れる。さっきまで殺し合っていた相手がコロッと味方になるなんて信じられない。裏切られたらどうするの?」
「そこはこう、何というかドラマがあったんだよ。感動的な」
「それだと駒を取るたびに感動的なドラマが展開される事になる。そんなのあり得ない」
「あり得なくはないさ。人間生きてるだけでドラマチックなんだよ」
途中から面倒くさくなって適当な言葉を並び立てる。流石に怒るかな。
レアの方をちらりと見やると「確かに」と小さく呟きながら頷いていた。どうやらレアも真剣な議論というより雑談感覚で話してるっぽいな。表情や声の抑揚が無いと真剣な話なのか軽い雑談なのか分からない。
っと、いけない、気を抜いていたせいか変な手を打ちそうになった。今日は運良く敵陣の深くにまで自分の駒を進める事ができている。集中しなければ。
「ところでタクトはどんな服が好き? 今度新しい服を頼もうかと思ってるんだけど、自分じゃなかなか決められなくて」
「チェック」
「そう、チェックがいいのね。ついでに聞くけど色とかは」
「ん? 何を言ってるんだ? ほら、チェックだぞ。将棋で言うと王手。油断したなレア、今日こそ勝たせてもらうぞ」
「…………」
あれ、急に黙っちゃったぞ。雰囲気も心なしか険しくなったような気がする。俺何か変なこと言ったかな。
その後、俺の方が有利だったにも関わらず一瞬で戦局を塗り変えられ、結局負けてしまった。しかもキング以外のすべての駒を倒され、周りを白い駒達に囲まれた状態でトドメを刺された。なんてむごい。ここまでやる必要があるのか。
対局が終わってもよそよそしいままのレアに声をかけづらく、意味もなく広い廊下を散歩する。暇だし目の前を走っている清掃ロボットについていってみようか。いや、そんな事よりも。
俺は腰に帯びているエクシスに手を当てる。
最近戦闘していないせいで腕が鈍っている。庭で疑似戦闘を行って少しでもカンを取り戻さないと。訓練施設にあったホログラムを用いた訓練が懐かしい。あの機械を取り寄せる事はできないだろうか。
問い合わせようか迷っていたその時、屋敷の一階に設置されている電話からけたたましい着信音が聞こえてきた。
この屋敷に来てはじめての外部からの連絡。つまり、緊急の用事がある、という事。
走って一階へ向かい、暴れる心臓をなだめつつ受話器を取る。
「こちら朝日タクト。護衛対象・レアの代わりに電話をとった」
「久しぶりだね、タッくん。ボクだ」
電話から聞こえてきたのは、男性か女性かいまいち判別できない、中性的な声だった。
「……アリアか。何の用だ? わざわざ電話を寄越すなんて」
「もう半年も会ってないんじゃないかな? どうだい? ボクの声が聞けて嬉しい?」
「朝日アリア研究員、可及的速やかに用件を伝えよ」
「つれないなぁ」
「俺とお前は普段からビジネスライクな付き合いだったじゃないか。半年間ですっかり忘れるとは相変わらず他人に興味が無いようだな。ある意味安心する」
「そうだっけ? ま、いっか。電話した理由なんだけど、上から指令が下ってね。ボクが伝える事になったんだ」
「指令?」
「そう。救援要請。グレード5の悪魔がでたらしくてね。多分タッくんが到着する頃にはグレード6になってると思うけど。間もなく無人バイクが着くはずさ。ロック解除コードは5617」
「悪魔の型は?」
「おっと、それを伝え忘れていた。キミたちにとってはポピュラーなスライム型だよ」
「スライム型? 苦戦するような相手じゃないだろう。まさかいきなり第五番の状態で現れる訳ないし、そこまで成長させるなんて現場の想起兵は何をやってるんだ」
「僻地に出現して探知が遅れた事と、他の地域でも悪魔が発生した影響で人員が足りなかった事が原因だね」
「相変わらずの人手不足問題か。それに加え複数同時出現……。護衛任務はどうする?」
「今グレード5の討伐に当たっている想起兵とキミをトレードする。一部を除いてほとんどの想起兵は戦意を喪失してしまっているからね。キミに比べると心もとない戦力だけど、仮にそこの屋敷に悪魔が現れてもちょっとの間ならしのいでくれるはずだ。そのちょっとの間に、キミなら戻ってこれるだろう?」
「俺が着く頃には第六番になっている、か。最上級相手にさっさと倒してこいだなんて無茶な事を言ってくれる。けどスライム型なら不測の事態が起こらない限りなんとかなるな」
「頼もしい限りだね。じゃあボクも現場のモニタリングのために行かなきゃだからそろそろ電話切るよー」
そう言うやいなやブツッと受話器を置いた音が聞こえてくる。
久しぶりのアリアとの電話がこれとはなんとも俺たちらしい。
「タクト、電話、なんて?」
レアが階段から降りてきてそう聞いてきた。
俺は手短に電話の内容を話す。なんせ、時間が無い。窓の外からは早くも荒々しいエンジン音が聞こえてきているし、急がなければ。
「バイクが到着した。行ってくる。俺と入れ違いにここに他の想起兵が来るから」
「うん。気をつけて。いってらっしゃい。今日の夜ご飯当番はタクトだけど、わたしが作っておくから」
レアに見送られて屋敷を出る。
この屋敷に来てから常に戦闘用の服を着込むようになったから着替えの必要はない。エクシスも装備済み。
屋敷の門の外に出た瞬間、無骨なバイクが現れ、俺の前でピタリと止まった。
バイクで直接来いとか、よっぽど切羽詰まってるんだろうな。ヘリは他の想起兵たちを運ぶので手一杯とみた。
想起兵には年齢に関係無く各種免許をとれるようになっている。こういう時のために大型二輪までとっておいてよかった。
ロック解除コードを入力し操作権を獲得。自動運転から手動運転へ切り替える。
「目的地の座標を教えろ」
バイクは俺の音声を拾い、即座に質問に答えた。
あそこなら一時間もあれば着くな。相当トばす事になるだろうけど。
避難勧告が発令されて、人はおろか無人機でさえ姿を消しているはず。
俺はナビゲーション機能を切って自分の頭の中で経路を組み立てる。裏道を使えば一〇分程度は短縮できそうだ。
ヘルメットを被り、アクセルをふかしてからクラッチを繋げ、発進。
ちょうど腕が鈍っていたところで出撃命令。普段の俺だったら歓喜していたはずだが、今の本来の任務はレアの護衛。できる限り早く片付けて、護衛任務に戻らなければ。
閑静な町の中、エンジン音を響かせながら現場へ向かう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます