第5話 まどろみ
「なあ、レアはいつからこの屋敷に住んでいるんだ?」
朝食後、庭でアップルティーを飲みながらなんともなしに質問してみる。ずっと気になっていた事だ。
「四年前から。だから学校に行ってた期間は短い」
「四年前、というと一二歳からか。まさか一人で?」
「うん」
俺は学校には一四歳までしか通っていない。それから想起兵としてやつらと戦ってきたが寮はあったし時々話す知り合いもいた。
しかしレアは四年間もこの閉鎖的な屋敷の中でたった一人過ごしてきたという。
それは、どれほどの孤独なのだろうか。とてもではないが想像することなどできない。
「寂しく、なかったのか」
「寂しさの多くは思い出、記憶に依存する。わたしには寂しさを感じるほどの記憶は、残っていない。それに、ここには一生かかっても読み切れないほどの本がある。だから、平気」
何も、言えなかった。
レアはきっと本心からそう言っている。だからこそ、痛々しい。こともなげにそう言うことのできる状態になってしまっているということなのだから。
俺は自分の意志で記憶を手放している。けど、レアはきっと違ったのだろう。
マクスウェルの悪魔を引き寄せる特異体質。そんなものを持っていたらどんな人生を歩むことになるか、多少は想像がつく。
きっと幼くしてレアは、自分の近くにいた人間たちが離れていくという経験を、何度も何度も繰り返してきたのだろう。その結果が、この屋敷に一人幽閉されるという今の状況。
俺の護衛任務の前任者がいたかどうかは分からないが、きっとこの屋敷に来てからも悪魔の襲撃が続いたのだろう。そのせいで、楽しい思い出や辛く悲しい記憶の大半を失ってしまった。
しばし沈黙が流れる。レアは今、何を考えているのだろう。レアには今、どれだけ思い出せる記憶が残っているのだろう。
その時沈黙を断ち切るように玄関のベルが鳴った。何か荷物が届いたのだ。
それを契機に思考を止め、レアに荷物を取ってくると言い残し玄関へ向かう。
ダメだな俺は。ああいう時、気の利いた事の一つも言えやしない。
何て言えば正解だったのだろうとぐるぐる考えながら無人運送機から荷物を回収し、庭へ戻る。
レアには特に変わった様子は見られない。当人にとってさっきの話は普段の雑談と変わらないのかもしれない。
「荷物、何だった?」
カップ片手についと視線だけこちらに向けてくる。ベンチに腰掛け、日の光を浴びながらティータイムを過ごすその姿はまるで絵画のようで、俺に絵心があったのならすぐさまキャンバスに絵の具を走らせていただろう。
見とれそうになるのをこらえ、自分が持ってきた荷物に注視する。
「すまない、まだ確認してないんだ。……ラベルには花としか印字されてないな」
「わたしが頼んだ。無事届いて安心」
レアはベンチから立ち上がり、俺から荷物を受け取ってその場であけた。
中に入っていたのは小さな袋。写真には見覚えのある花が写っていた。
「この顔みたいな模様の花、どこかで見たことあるな。パンジーっていうのか」
「そう。初心者にオススメって本に書いてあった。早速種を蒔く」
「待て待て。そのまま種まきというわけにもいかないだろう。そこら辺にレンガが転がってるし、簡単な花壇を作ろう」
「手伝ってくれるの?」
「何を今更。花壇は俺が作っておくからレアはそこで紅茶でも飲んでてくれ」
「……ありがとう」
感謝の言葉と一緒に笑顔もついてきたら最高なんだけどな。
あり合わせのレンガで作った花壇は、横幅約一・五メートル、縦幅約〇・五メートルほどの小さなものだった。種分のスペースは確保できたのではないのだろうか。
そこにレアと一緒にパンジーの種を蒔いていく。
人差し指で土に凹みをつけ種を落とし、土をかぶせてやる。この庭の土はほどよく水分を含んでいるようで、肥料無しでもちゃんと育てられそうだ。
「開花時期はいつくらいなんだ?」
種を蒔き終わった俺たちは再びベンチに戻り、日向ぼっこをしながら即席花壇を眺める。
「順調にいけば一〇月の頭には」
「あと一ヶ月半くらいか。そもそもなんで花なんか育てようと思ったんだ?」
「なんとなく。深い意味はない」
庭には人の手が入ったような形跡はない。庭で花を育てようとしたのは今回がはじめてなのだろう。なら俺も協力してはじめてのガーデニングを成功させてやらなきゃな。
俺の護衛任務の任期は一〇月の終わりまで。開花時期には十分間に合う。どんな風に育つのか楽しみだ。
それからレアが新しい紅茶を淹れてきてくれて、再びティータイムに。
時刻は一一時ちょうど。昼食の準備をするにはまだ早い。
しばしお互い無言の時間が続く。
八月も半ばを過ぎ、徐々に涼しくなってきている。
風を感じ、紅茶で喉を潤しながら、木漏れ日の中で過ごす。こんな時間も悪くない。
ここに来る前の俺だったらこんな風に思わなかっただろう。寝ても覚めてもどうやったら効率よく悪魔を倒せるか、みたいな事しか考えていなかったから。
心身共に心地よい空間にいたら眠気がやってくるのは必然。ちょっとだけ寝させてもらおうかな。
瞼が閉じそうになるのに抗おうとせず、ゆっくりと眠りに入ろうとしたところで、隣に座っているレアが口を開いた。
「花にも記憶ってあるのかな」
「動物のように脳があるわけじゃないし、普通に考えれば無いだろうな」
「夢がない。ここは養分が多いから好き、あそこはあまり雨が降らないから嫌い、みたいに思ってたらいいのに」
「それは単に生きるためによりよい環境を求めるのであってそこに感情は伴わないだろ」
「生きたいって思うのに理屈なんていらないって事ね。なら、時に死にたいと願う人間って生物は何なんだろう」
「死にたいって思ってるのか?」
大事な話のような気がするのに眠気のせいで頭が上手く働かない。変な事を言わないようにしないと。
「ううん。少なくとも今は違う。タクトがいるおかげもあるかもしれない。わたしの中にほんの僅かに残っている記憶にしがみつく事ができるからかも」
「それは、どういう意味」
「タクト、とっても眠そう。もういいから、そのままお昼寝しなさい」
「そう、させてもらう」
俺の意識は、身体が柔らかいクッションに沈み込むように消えていった。
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