第2話 白き少女
アラームで目が覚める。気づけば六時間弱が経っていた。
座りながら寝たというのに熟睡することができた。よっぽど疲れていたんだな。ここのところ疲れに鈍くなっていけない。意識的に睡眠時間を確保するようにしないと。
モニターに表示された指示に従う。
持っていた携帯端末、ペン等の持ち物をすべて車内へ置く。代わりに後ろのトランクルームから手提げ鞄を取り出す。俺が事前に荷造りしておいたものだ。きっと政府から厳しいチェックを受けたのだろう。中を確認すると筆記用具が無くなっている。
仕方ないか。荷造りした時はどんな任務か知らなかったんだから。
衣類や洗面道具はすべて残っているようだ。
……ん、これは。
深緑色のそれを手に取り、パラパラとめくる。
間違いない。俺の手帳だ。なるほど、これから書き込まなければ持ち込みオーケーということか。
荷物を確認してから車から降り、目の前の屋敷へ目を向ける。
ここが護衛対象の住んでいる場所であり、俺が今から三ヶ月間住むことになる場所。
インターネットはおろかテレビさえ見ることはできず、電話やメールも非常事態時や物資の供給要求等、限定的にしかできない。
屋敷の中は二四時間どこにいても監視されていて、不審な行動、例えばメモをとることでさえ禁止だ。外出などもってのほか。
その代わりどんな物でも無料で送ってもらえるし、家事全般は最新式のロボットがこなしてくれる。
快適な監獄。そう呼ぶにふさわしい屋敷だった。
外観の第一印象は四角い箱。屋敷と形容したのは不自然に豪奢な正面扉とその巨大さゆえだ。どこもかしこも白塗りで、窓も最低限しか備わっていないようだった。
周りは車が通る一本道以外すべて森。他の建物は何一つ見当たらない。
この中に、護衛対象がいる。
インターフォンを押す前に、護衛対象についての情報を整理する。
名前はレア。おそらく偽名、コードネームだろう。
歳は俺と同じ一六歳。性別、女性。身長一六五センチ。体重四八キログラム。
血圧その他の数値は正常。健康状態は良好だ。
兄弟姉妹はなし。両親は現在『回帰園』にて療養中。
特記事項。現界したマクスウェルの悪魔を引き寄せる体質。また、レアの記憶を喰らった悪魔はグレードに関わらず消滅する。
この特記事項には目を疑った。こんな人間がいるのかと。俺を護衛につけるくらいなのだから事実なのだろう。
俺の任務は三ヶ月間この少女と過ごし、マクスウェルの悪魔が現れた際、迎撃するというものだ。やつらはどこにでも現れるから、すぐ対応できるように一緒に住め、というわけだ。
護衛任務。少女本人と、その記憶を守ること。今までの少女の扱いはどのようなものだったかは分からないが、これから三ヶ月間は一切悪魔どもに少女の記憶を渡したくないんだろうな。
この任務ではあまり悪魔を狩れなさそうだ。そこは残念だが三ヶ月だけだし我慢するとしよう。
もし俺が悪魔との戦闘で任務についての記憶を失った場合、政府の人間が再度任務についての説明を行うことになっている。だから安心して自分の戦闘スタイルを貫くことができる。その点は安心だ。
愛剣は任務前に整備に出すと言われてロビーで没収されたため、代わりの武器を渡されている。同ランクの武器だから性能自体には問題が無いが、手になじんでいないためやや不安だ。屋敷で慣らしておくとしよう。
頭の中を整理し終わったところで、ようやくインターフォンを押すべく手を伸ばした――――瞬間に扉が開いた。
間の抜けた顔の俺とは対照的に、少女は温度が感じられないような無表情さだった。
白い服。白い肌。白い髪。
この世のものとは思えない風貌の中に、唯一人間らしいのがその瞳だった。深海をのぞき込んでいるような気分になる、深い深い青。
顔の造作と表情の無さ、ほっそりとした身体のラインも含めまるで彫刻のようだ。写真と実物ではこうも違うとは。
「入って」
声も無感情、無機質なものだった。声質は歳相応の、男性とは違う高めのものなのだが、いかんせん抑揚が皆無。
その少女、レアの印象は様々な意味で『白』、だった。
それからリビング、キッチン、バスルーム、客間と屋敷の中を淡々と案内され、最後に俺の部屋に着いた。
どの部屋もスケールが一般住宅の比では無かったが、特に印象に残ったのは図書室だった。地下室にあったそこには膨大な書籍で溢れかえっており、ざっと見ただけでは軽く千冊は超えていた。ネットにアクセスする機器もテレビも無い中、この大量の本たちで暇を潰せ、ということだろうか。
後で図書室に行ってめぼしい本を探そうと考えながら、自分の部屋になる推定二〇畳ほどの部屋に手荷物を置く。俺にとって一人で使うには広すぎる部屋だ。
さて。まずは何をしよう。これからどう過ごしていくか話し合う、いや、任務についての話が先決か。
後ろに突っ立っているレアの方に向き直り、任務についての話を振ろうとしたところで、先に口を開かれてしまった。
「自己紹介。まだしてない」
「あれ、俺のことは事前に連絡がいってるんじゃないのか?」
「あなたについての基本情報は知ってる。けど、顔を合わせて、目を見て話すことが大事。その方が、記憶に残りやすい」
「そうだな。じゃあ俺から」
何か気の利いた事は言えないだろうかと考えたが、とっさに思いつかなかったためシンプルにいくことにした。
「俺は朝日タクト。よろしく頼む」
「わたしはレア。よろしく」
互いに名前を名乗っただけの、シンプルな自己紹介。
「お前のことはなんて呼べばいい?」
「レア、と呼び捨てにしてくれていい。その代わりわたしもあなたの事をタクトと呼ぶ」
「了解した。今後そう呼ぶことにする」
「あなたは長時間の移動で疲れてるだろうから、ここで休んでいて。夕食ができたら呼びにくる」
「レアが作ってくれるのか?」
「わたしは自炊派。普段から自分の食べるものは自分で作ってる。じゃあ、後ほど」
レアはぺこりと一礼して部屋のドアを閉めた。
俺はこれからあの少女を三ヶ月間護衛する。
無愛想だが礼儀正しい子だった。俺みたいな人間が人のことを無愛想だなんて言えないか。
なんとかやっていけそうだな、と、そう思えた。
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