第3話 共同生活

「タクト。こんなところで寝てたら風邪ひいちゃう。起きて」

「んん……」


 ここに来てから早二週間。レアとの生活にもだんだんと慣れてきた頃。

 どうやら俺は知らないうちにソファで寝てしまっていたらしい。

 まだこのふわふわした眠りの中にいたい。そんな欲求にかられる。


「起きない。困った」


 レアは俺を揺り起こすことを諦めたようだ。ありがたい。あと五分だけ寝させてもらおう。

 余計な思考を振り払い、再び浅い眠りにつこうとしたところで、レアの気配がまだ近くにあることに気がついた。というかさっきよりも近くにいるような気がする。

 それが気になって、仕方なく重いまぶたを開いた。

 すると、視界一杯にレアの美貌が広がった。ちょっとでも動いたら事故で唇が触れ合ってしまいそうな至近距離。

 一瞬心臓が止まる。


「……何をしてるんだ、レア」


 眠気など瞬時に吹き飛び、冷静な声音で問いかける。


「タクトが起きるまで毛穴を数えてようと思って。あなたって案外肌がキレイなのね」


 この二週間で分かったことは、レアは意外と社交的で、時々こういう突拍子のないことをしでかす、ということだ。


「オーケーオーケー、もう起きた。起きたから離れろ」

「うん」


 すっかり見慣れた無表情のままレアはちょこんと一歩下がる。そのままジッと何かを要求するようにこちらを見てくる。無言で。

 ……またアレか。

 初日から要求されたアレ。最初はルールが分からず苦労したが、やっと覚えて、まあまあのプレイはできるようになってきた。それでもまだレアを満足させてやるレベルには到達していないが。

 期待に胸を膨らませていると思われるレアに、この二週間ですっかりお決まりになったセリフを吐く。


「やるか、チェス」

「うん」


 先ほどの「うん」より心なしか高めの声で即答。その蒼い瞳も楽しげに揺れ……てはいないな、流石に。

 レアは早足で盤と駒を持ってきて、俺の対面のソファに腰掛けた。


「確認するまでもないが、俺が黒い駒、レアが白い駒でいいな?」


 当然でしょと言わんばかりにうなずくレア。初日にそういう取り決めをしたのだ。肌も髪も白いレアは言うまでもないが、俺はレアと正反対、黒髪で肌も浅黒いためそうなった。先攻はハンデということで俺がもらっている。

 さあ、今夜も胸を借りるつもりで気楽に戦うとしますか。

 気楽に、と言っても地味に負けず嫌いの俺はレアに隠れてチェスの教本なんかを読み込んでいたりする。いつか出し抜いてやるんだ。そのためにもこうやって実戦を積まないと。

 いつの間にか俺も、食後のチェスが楽しみになっていた。


 それから三連戦し、頭脳労働の疲れを風呂で癒す。結果? 言うまでも無いだろう。

 湯船に浸かりながら、さきほどの対局の反省を行う。

 ここ二週間ほどマクスウェルの悪魔は一切出現しなかった。だからこそこんなことに時間を費やすことができる。

 何かに熱中していなければ、やつらを倒したい、倒さなければ、という欲求を抑えられないから。


 にしても、結局俺の愛剣は届かなかったな。今日の夜には届くはずだったのに。ただこれから必要になるかどうかは不明だが。きっとこの屋敷も統計データを用いて悪魔が出現しにくい場所に建てられているだろうから。下手したら三ヶ月の間に一度も出現しないなんてことも有り得るかもしれない。

 だとしても油断は禁物だ。やつらは時間も場所も選ばず現れるからタチが悪い。気を抜かないようにしないと。

 一人で入るには大きすぎる、旅館にあるような風呂からでて、レアに声をかける。


「レア、風呂あいたぞ」

「分かった」


 入れ違いにレアが浴室へ。最初は若干気まずかったものの、一週間もすれば慣れてしまった。洗濯物関連のことも。人間は慣れる生き物だということを実感できる。

 風呂を上がった後は二人してリビングでココアを飲みながら本を読み、それぞれの寝室へ向かう。

 任務には、可能な限り護衛対象と共に過ごすことが含まれている。無論、いつ悪魔が現れても迎撃できるようにだ。だから読書も同じ空間で行っている。お互い本に没入しているため一緒にいることを忘れているから自分の部屋であろうがなかろうが変わらない。


 俺とレアの部屋は隣同士になっている。理由はもちろん護衛任務の遂行のため。寝ている間に悪魔が出現した場合、アラームが鳴り知らせてくれるようになっているらしい。


「おやすみ、タクト」

「ああ、おやすみ、レア」


 そう挨拶し合って部屋に戻る。

 ベッドに入りながら、明日は何をしようと考える。

 新しい料理に挑戦してみようか。それとも手つかずになっている庭の掃除か。屋根裏部屋を探索してみるのもいいかもしれない。あるいは、チェス以外の他の遊技をレアに提案してみるとか。


 はじめは、護衛対象とは一線を引き、プライベートでの干渉や会話も控えようと思っていたが、レアの予想外の人懐っこさにあてられてしまい、数日前くらいから自分の方から会話を振るようになった。そのことに自分でも驚いている。

 他人との接触は極力避ける。そう決めていたのに。そうだ、これは任務なんだ。護衛対象とは任務上ほとんどの時間を共に過ごす。ずっと黙ったままだったり距離を置いたりしたら護衛対象にストレスを与えてしまうかもしれない。それを防ぐためなんだ。


 なんて誰に向けて言っているのか分からない、自分でも何を言ってるのか分からなくなってきたことを考えていたら、眠気がやってきた。

 明日こそマクスウェルの悪魔を倒せますように。

 そんな不謹慎な事を願いながら俺は眠りについた。

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