episode2-3 「彼は彼女の家の玄関をくぐる」


6/18。


ついに来た、佐倉家への挨拶の日。


いや、別にご両親に挨拶するからってあれだよ?

みなさんが想像するようなあれじゃないとだけ言っておこう。


東河はいつもと変わらぬ、腐った目で出勤を果たす。


今日は昨日と打って変わってとても暑かった。

こういう日は一日中デスクワークに限るのだが、仕事上そういう訳には行かないのが社会人の運命である。


「先輩、いよいよここから去る時がきたんですね…」


会社に来て、挨拶されるのかと思いきや三枝にため息を吐かれながら言われた。


いや、まだクビになった訳では無いのだが…

むしろこの担当職務からは外れたかった…


悲しそうに見つめる三枝を尻目に、手にしていた缶コーヒーを飲みながら東河はいつものパソコンをたちあげる。


「まだ去らねえよ…。おい、そんな憐れむような目で俺を見るんじゃない…。」


「そんな事より、先輩。今日は挨拶に行くんですよね?何言うか決めてるんですか?こう言うのは第一印象が第一ですからね!」


東河の久しぶりの仕事に何故かわからないが三枝は目を輝かせながら話しかけてくる。


まるで東河が初めて合コンへ行くみたいに、三枝は心配している。


あぁ、合コンか…

やばい、また開けてはいけない記憶の扉を開けてしまうところだった…。


佐倉家の両親に対して見て頂く書類を朝一で作り上げ、片村に目を通してもらった後に午後の挨拶の最終準備を確認する。


そして、時計が15時を示した頃。


「片村さん。行ってきます。」


「お、気をつけてな。これは君の最後のチャンスだと思ってくれ。言われなくても君が一番どうするべきかわかっているだろうがな。精一杯頑張ってくれ。」


なんか自分がここに戻ってくる事はないんじゃないだろうかと、ある意味フラグがたった気がしたが、片村が東河の肩に手を乗せた時にはそんな不安は微塵も無くなった。


会社を出た。

今日は29℃あると天気予報で言っていた気がしたが、それ以上あるような気がした。


「…もう15時だろ。」


この快晴は、果たして東河にとって幸運をもたらすものとなるのだろうか。


少なくてもこのうだるような暑さはそんな希望的観測を一瞬で打ち消してしまった。


佐倉家は歩いて15分の所にある。

バイクを使えば10分かからずに着くのだが、東河的には家庭教師がバイクで生徒の家に行くのはいかがなものかという考えに至り、歩く事を決意した。


ビル群は直ぐに視界から見えなくなった。

さらに歩くと、のどかな住宅街が姿を現す。


今東河が居るのは学園都市である。


学園都市というと、人口の大半は学生で占められているのだが、例外というのも存在している。


それがここ、蒼燿である。


全国でも有数の進学率を誇り、かつ大手企業の就職率も高い。しかしながら、皆さんが想像する学園都市とは若干違う所がある。


それは学生が「一人暮しをしていない」所である。


蒼燿は比較的治安のいい街ではあるのだが、若い息子、娘が犯罪に巻き込まれたら…という親御さんの心配もあり、最近では家族で生活している家も少なくはない。


最近の話ではあるみたいなので、まだこの蒼燿は「学園都市」の類に入ってはいるようだ。


そうこうしていると、東河は住宅街のある一軒家の目の前に来ていた。


佐倉 由南の家である。


とりあえず、深呼吸をしよう。

相手がどう自分に接しようが、今日の俺は「家庭教師」だ。


ましてや、この世界の進退がかかった大事な一件である。何としてでも結果を残さなければならない。


彼女の家は2階建てで、全体の8割はベージュがかった優しい色をした家となっている。


少し早い気もするのだが、リビングであろう所の窓には風鈴が吊るされていた。そよ風が吹く度にその風鈴が鳴らす優しい音色に、歩き疲れた事など忘れてしまいそうだ。


東河は、家の前で立ち止まりもう一度深呼吸を試みた。


「…あの人、さっきから何やってんだろ?」

「なんか目が腐ってるけど…不審者とかじゃないよね?」


蒼燿学園の制服を着た女子高生2人が東河を見ながら会話していた。



…早く入ろう。

東河は意を決して目の前にあったインターホンを鳴らした。


ピンポーン


「どちら様でしょうか…?」

インターホンの向こう側から、女性の声が聞こえた。


とても優しく、落ち着いた口調が聞き取れるその声は恐らく母親であるだろうか。東河は少しほっとした。


「蒼燿個別指導塾の、東河と申します。今日はご挨拶に伺いに参りました。」


「あ、そうでしたか!少々お待ちして頂けますか?直ぐに開けますので…」


ダダダッと家の中から足音が聞こえてくる。

そんなに急がなくてもいいのだが…。


しばらくすると、ガチャっとドアが開き女性が出てくる。


「すみませんー、お待たせ致しました。どうぞ中へお入りください。」


先程インターホンに出た女性が、東河を中に入れた。


リビングに案内され、「暑い中ご苦労さまです、どうぞお掛けになってください」と冷たい麦茶を出す。そして、テーブルを挟んで東河の向かいに座った。


「あ、自己紹介がまだでしたね。私は佐倉 由南の母でございます、由祈ゆうきでございます。娘がお世話になります。」


母である由祈は、とても若い女性に見えた。

ショートカットの髪型に、白のボタンダウンシャツ。透き通るような腕には不覚にもドキッとしてしまいそうだった。失礼だが…年齢は30前半に感じる。


「…ちなみに44歳ですよ、ふふふ。」

由祈は東河の考えを見透かしているかのように微笑んだ。


危ない危ない、危うく美魔女の魔法にかかる所だった。


そういや、資料で見たけど由南さんも綺麗な人だったなー。やはり母娘は似るんだな、とふと思っていると、思い出した。


もう一人の娘であり、由南の姉でもある。

由唯ゆいだ。


東河は首を横に振った。

こんな事はもう思い出す必要など一切ない。


だが、何かの拍子に思い出してしまう気がしてならなかったのでとりあえず由祈に聞いてみた。


「…あの、いきなりこんな事聞くのも変かも知れませんけど…、由唯さんはお元気ですか?」


東河は恐る恐る聞いてみた。


由祈は一瞬、?と言うような顔をしたが、直ぐに微笑んだ。


「ああ、由唯なら…『…おかーさーん、買い物行ってくるけど何か買ってくるー?』」


リビングのドアがガチャっと開くと、彼女がそこに居た。


約8年ぶりの再会である。


「…」

東河は一瞬固まってしまった。いや、最初から彼女が家にいるであろう可能性はちゃんと考えていた。



でもさ…なんで上下ともに下着姿なん?



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