episode2-1「彼は可哀想な人である」
無機質にコピー機から印刷された紙が出てくる。
よく分からないが、何故か悲しさが込み上げてきた。
「…えーっと、確か。なんたらさん?」
びっくりして「ふぁっ!?」と振り返ると、自分より2つ3つ年下の男性が声を掛けてきた。
「…す、すいません突然っ!あの片村(かたむら)さんが呼んでいました。」
彼がぺこぺこしていて何だか可愛いと思ってしまい、頭を撫でたくなった。決してそっち系ではないのだが。てか、名前くらいいい加減覚えて欲しい…
大量のコピー用紙を自分の机にドサッと置き、窓際にある机に向かってこちらを見ていた初老の男性の元へ足を運んだ。
「…すまないね。東河(ひがしかわ)君。最近調子はどうだい?」
片村と呼ばれる男性は、腕を組みながら椅子に座っていて、東河の顔を見てからよくある肘掛け付きの背もたれがある黒い回転椅子を窓の方に向けた。
東河は片村から「俺が何を言いたいかわかるな?」と聞かなくてもわかる雰囲気を感じ取ってしまった。
「…全く調子は良くないですね。やはり自分の教え方、生徒に対する接し方の問題でしょうね…。申し込みはここ2週間1件も来ませんし、今現在実施している蒼燿学園の1年の男子生徒もついこの前で契約を切られました。」
東河は、まるで自分が犯した罪を告白するかのような暗い表情で現在の状況を片村に話す。
「…相手が高校生っていうのが悪かったのか。しかしまあ、君という人は自分を責める事しか考えないよな。確かに君の指導要領、接し方、信頼関係…様々な要因を挙げられる。が、しかしだ。他にも原因はあると思うんだがね…」
片村は窓の向こう側に映る高層ビルを見つめながら話した。
似たような会話は既に片村と何度もしていた。
これは東河にとってはある種の罰だと考えている。
2人の会話を聞いていた、周りの人達も机に向かって仕事をしていたのだが果たして何人が会話に耳をそばだてているのだろうか。
「…他にありますか?自分にはもうここで家庭教師として仕事を続ける自信が…」
あぁ、自分で言って涙が出そうだ。
東河はとりあえず、みんなの視線が机の上のパソコンから自分の背中に向けられている事に気が付き早くこの場から離れたい気持ちになった。
「とりあえず、東河君。場所を変えようか。」
いつの間にか片村は東河の右隣に来ていて、肩を叩くや否や直ぐに視界から居なくなった。
東河も一旦天を仰ぎ、片村の背中を追うことに意識を集中させた。
東河は今日出勤して以来の、ビルの玄関を通り過ぎ右斜め向かいのコンビニへ足を運んだ。
いつもの喫煙所である。
やけに眩しいな、と思いつつ腕時計を見ると12時を迎えていた。
仕事が進まない割に時が過ぎるのは早い。
さっきまでバイクで会社に向かっていたのでは?
妙な感覚に陥った。
自分の気持ちとは裏腹に天気は雲一つない快晴だった。それが尚、彼の心に陰りを生み出していた。
「…すみません。片村さん。気を遣わせてしまって」
東河は片村が既に煙草を吸っており、「ん、大丈夫だ。」とにっこり微笑み煙を吐いた。
東河は失礼します、と言いながらポケットからライターと煙草を取り出し火をつけた。
「君の志望動機、今でも思い出すよ。今の時代にはない、とてもしっかりとした内容だったな。」
片村は残り僅かな煙草を咥えながら、先程出てきた自分達のビルの玄関を見つめながら話し始めた。
「君の最近の契約状況は確かに悪いかもしれない。でも私は君という人材を失うのは辛いんだ。志望動機を私は聞いていたこともあるしな。まあ何だ眼は腐ってるし友人関係も狭いけど…。でもだな、ただ単に私が個人的な理由で君を会社に残すのもダメな事なんだ。上のこともあるしな。」
そう言い、片村は煙草を灰皿に捨てた。
さらっと言いやがったこの人…
しかも一番俺が気にしている事を…
東河は片村に合わせるように煙草の火を消し、灰皿に捨てた。
「俺も上にはい、そうですかと言われて人材を切るほど鬼畜じゃない。ましてや君だ。辛い状況を打破する為に頑張って仕事している努力家をこの会社に残す為にも実はちょっと具申していたんだ。『そこをなんとか』とな。そしたらだ。」
片村は、持っていた携帯タブレットの電源を入れ東河に見せる。
そこには…
「蒼燿個別指導塾 様」
と書かれた一通のメールが開かれていた。
東河も当然見た事のある、自分の会社宛のメールだ。
「これがどうかしましたか?」
東河は足を自分の会社に向けようとした時だった。
「…内容を良く見てみろ。」
片村は先程東河と話していた時より、若干低いトーンで口を開き彼の右肩を掴んだ。
そのメールの内容に、面倒くささを感じつつ文面に目を通した。
「…これって」
東河は軽いパニックに陥った。
学生時代は国語が得意だった。だから家庭教師をする際も国語担当として仕事をしている。もっぱら文章を理解する事など容易いのだが、このメールの文面だけは何度読んでも理解する事が出来なかった。
「東河君。上が指定した、蒼燿学園のある女子生徒の家庭教師を受け持って欲しい。そして2年後に彼女が希望する大学に進学出来たのならば、君はこの会社に残す。」
片村はメールを見ずに、メールの内容とほぼ同じ文章を読み上げた。
「…あの、片村さん。そこは理解出来ます。いや、ちょっと頭が追いついてませんけど…。」
東河は後頭部を掻きながら、呟いた。
問題はその後である。
「ん?担当の女子生徒の事か?えーっと、佐倉 由南さん?それがどうかしたのか?」
東河はタブレットに示されている、その彼女の名前を改めて確認する。
…佐倉 由南。
俺は2年間、リストラされる恐怖よりももっと苦しい思いをするんじゃないかと不安になった。
いや、実のところ問題は彼女自身では無いのだ。
彼女には姉がいるのだ。忘れもしない、その彼女。
―佐倉 由唯(さくら ゆい)―
東河はこの先本当にどうなるのだろうと、天を仰いだ。
片村が「どうかしたのか?」という声は東河の耳にほとんど入っていなかった。
6/17の晴れた昼下がりの事であった。
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