episode1-1 「彼女は昔を思い出す」
彼女は不機嫌だった。
何度見ても変わらない、自分の机の上に置いてある国語のテストの点数。
「およよ、ゆーなの顔が怖い…」
視線を前に動かすと、自分の机の上に前腕を付けその上に顔を乗っけて「たははー」と苦笑いする彼女がいた。
「…もう嫌んなっちゃうよ」
彼女の苦笑いにつられて自分も苦笑いしてしまう。
自分の氏名である、佐倉 由南(さくら ゆうな)の右隣には50の数字が大きく示されていた。
「そういう瑞帆はどうなの?」
「んー、聞きたい?」
彼女は立ち上がり、自分の席に戻って机の中にあるクリアファイルから同じ国語の現代文のテストを手に取り、由南の席に戻ってくる。
「…じゃーん、38点なのだ!」
彼女、志島 瑞帆(しじま みずほ)は教室に響き渡る大きな声で由南の目の前にテスト用紙を大きく見せた。
あまりの声の大きさに、廊下で話をしていたクラスメイトがこちらを見ていた。
まあ、なんだろ…
下手に隠すよりはこうやって堂々としてる女の子の方が好きだからな…私。でも何となく38点を採るのはわかる気がする。
由南は笑うのを我慢していると
「ゆーな、絶対今私の事馬鹿にしてたでしょ」
と、テスト用紙を視界から逃がすように体の後ろに持っていき、今度はむーっと瑞帆の頬が膨らんだ顔が視界に入った。
「…ぶっ、してないしてない!だいたい苦手なのは国語だけなんでしょ?他のテストはいいんだから怒らないでよーねっ、とにかく痛い痛い。痛いから止めて。」
瑞帆に両頬を軽くつねられながら、弁解を試みる。
「むー、どーせゆーなより悪いもん」
瑞帆は持ってきた自分のテスト用紙を元の場所に戻し、また由南の前の席の椅子に座った。
「でも、ゆーなは今回学年10位を目指してるんでしょ?大丈夫なの?現代文50点で」
瑞帆はいつの間にやらふくれっ面をやめ、心配な顔つきで由南の顔をのぞき込む。
「…祥都(さきと)先輩と同じ大学行きたいもんね」
のぞき込んだかと思えば今度は窓の外を見ながら瑞帆は付け加えた。
「…まあ、ね」
我ながら何とも歯切れの悪い返答だと思った。
しかしながら瑞帆は特に気にする事もなく、「次って数学だっけかー」と気だるげな感じの台詞を吐きつつ、由南に微笑んだ。
彼女の微笑みは何故かわからないが、心が楽になる。私も彼女みたいになれたら…な。
「数学、私より取れてなかったら帰りなんか奢ってね」
「…無理無理無理無理!絶対無理!」
鬼だー!と喚きながら瑞帆は自分の席に戻って行った。何回無理言うねん。
次の数学の授業が始まるまでの休み時間の間に、いつの間にか不機嫌さは無くなっていた。
私のイライラとは単純なものなんだな、と理解できた。
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放課後。
クラスの人達は、今日で全科目のテストが返却され各々でテスト成績の話題で盛り上がっていた。
「ゆーな、帰ろー!」
鞄を手に取り席を立とうとした由南の元に、瑞帆がてとてとやって来た。
「帰ろっか。」
由南は持っていた鞄を瑞帆に押し付け、教室を後にした。
結局数学のテストは由南が20点の差を瑞帆につけ、奢らなくてもいい代わりに、由南の鞄を持ってもらうという事で約束は成り立った。
家に帰るまで、瑞帆は終始「鬼だあ」とか「ろくでなし」とかを由南にぶーぶー言っていた。
流石に可哀想と思い、校門を出て200メートル過ぎ、最初の交差点の赤信号にぶつかった時に瑞帆の持っていた由南の鞄を持った。
この前の暑さは今は無い。
通常テスト期間が終了すると、だいたいの学校は授業が再開する為、15時までの学校となるのだが由南の通う学校はテストが返却される迄がテスト期間という枠組みに入っている為に今日も昼前の下校となっている。
由南の通う学校―蒼燿(そうよう)学園高等学校―は、学園都市である蒼燿の中でも有数の進学校である。
由南は今高校2年生であるが、1年生〜3年生まで5クラスが大学に進学する為に勉強に力を入れる「進学科」、3クラスがスポーツを重点的に力を入れつつ勉学に力を入れる文武両道を目指す「スポーツ進学科」なるものが存在する。
由南と瑞帆は進学科で同じ2年1組のクラスメイトである。
由南は、蒼燿学園に新入生となる前の中学生時はテニス部に所属していた。
しかしながら、彼女は現在帰宅部に在籍している。
これは由南自身が選択した事なのだが。
今考えてみるとこれはこれで良かったのかもしれない。いや、良くは無いことだとは十分理解している。
佐倉 由南は中学時代、この学園都市の中でトップの成績を残す程のテニスの実力者として名を轟かせていた。両親もとても喜んでおり彼女自身も人生で一番輝いてる時期に入ったなー、と感じていたのだろう。
しかしそう簡単に幸せな時期は続かないものが人生である。
中学時代最後の試合、あれはベスト16に入るための試合だったか。
雨が降りしきる中での試合だった。
相手も中々の猛者で、由南自身は決勝戦じゃないかと思うくらいの熱戦を繰り広げていた。
相手の実力を分かっていた上で、試合前日の夜まで人一倍練習に励んでいた。
翌日の朝、母に起こされた時は何となく体の調子が悪い事に少なからず気づいていた。
それでも勝たなきゃいけない自分の心に喝を入れた。由南自身、「楽しむ」事より「勝たなければならない」というプレッシャーの方が大きくなっている事に気づいていた。
そのプレッシャーが引き金を引いてしまったのか、渾身のスマッシュを相手に放とうとした時に悲劇は起きた。
「…アキレス腱が断裂しています」
横たわっていた由南の足元で年配の男の医師が、母に告げていた記憶が未だ頭の中に残っている。
夢は叶ったかと思えば、無情に医師から終わりを告げられた。
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